炊飯器がない外国で鍋を使ってごはんを炊いたら失敗したのでその話を教室でした時に「日本人なのに米を調理できないの?」と笑われたので「だって日本ではたいていの家に米を調理する専用の機械があってそれを使ってたから」と説明したら「米を調理する専用の機械!!」と教室が大爆笑に包まれた
— すずきじゅんじ (@fkgwfkgw) August 29, 2022
最初に言っておくと、やはり、自分達にはなじみのない、ある食物を専門的に料理する機械がある、というのはそれだけで新鮮な驚きであり、そこから笑いがこみあげてくることは「自然(しぜんと読むより、「じねん」と読んだ方がニュアンスが伝わる気がする)」、そしてそれが「笑い」になるのもよくわかる。
その笑いは、差異、自分の常識との違いがあるからこそ生まれる。
異文化そのものではないが、
たとえば異文化をやや不正確に理解して出てきたもののズレ(ニンジャスレイヤーズ的ギャグ)、あるは同一言語の中だって単純な誤解や勘違い、言い間違いなどでひとは笑う。 それもまた「自然」の範疇。
と、思いつつも、このブログなどで扱った過去記事。
wezz-y.com
(ブクマコメントにも注目)
職場の後輩が中国人男性客から「近くでオッパイ吸える場所どこですか?」ってカタコトで聞かれて、(あっこれは風俗だな)と思い「こっちだよ」と飛田新地を案内しかけたところで後ろから赤ちゃん抱っこした嫁さんが現れて実は授乳室のこと聞かれてたって話。
— 詰所太郎 (@tarow_tms) 2019年3月26日
新しい年号「令和」だけど、中国語で
— yunishio (@yunishio) 2019年4月1日
_人人人人人人人人人_
> 累哇(疲れた) <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
と同じ発音であり、とても面白がられている。🙂
頭で理解するのと、体が反応しないのは必ずしも一致しない。失礼であると知っている事が役に立つ。フォローで応援、微笑みます。いいねで誰かがオレンジをレンジにいれます。リツイートで誰かが早めに悪夢から目覚めます。#漫画 #エッセイ #笑い #敬意 #あるある pic.twitter.com/j7BbITee1L
— 星野ルネ (@RENEhosino) February 3, 2021
「日本ではコメ炊き専用機械がある」「私の名前はヘンナ・アホです。ちなみに母の名前はミンナ・アホです」「ずりせんですか?(釣銭の言い間違い)」「タモリの牧師説教芸」、何は笑ってもOKで何はNGか…。これはけっこう難しい、自分も確信した答えは無い。