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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「肉親(も含めた他人)を描くエッセイ漫画」や私小説その他……それが後に生む葛藤とトラブル

…家庭の方では、ハロスクール、の時に、無断で私の本名、仕事歴、外見、精神病をコンテンツとして扱い親が大儲けしていた。リストカットの事は書かれていなかった。このころ、初めて精神科に行った、家庭環境を聞かれると直ぐに児童相談所に連絡しますと言われた、私はそんなことされたら殺されると思い、泣きながらやめてくれと懇願し、サインバルタをもらって…(後略)

いま、この記事は「読み返してみると、文章があまり良くない」を理由に非公開になっているので、ブクマを記しておこう

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/norokoro.hatenablog.com/entry/2021/07/09/%E4%BB%8A



いま発掘したのだが、2019年にはこんな増田の記事もあった。
anond.hatelabo.jp


ところで三浦弁護士のツイート。




実際、ここんとこが難しい。結果から逆算する(子供・肉親が怒るか)で判断するしかないのだろうか(相手が怒ったって発表すべき作品もまたある)…とブクマにかいた.
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/lawkus/status/1532492089115615232


さらにいえばそもそも、書かれた当事者の感覚だって永遠絶対ではなく、「多感な思春期には嫌で嫌で仕方なかったが、年を取って思い返せば、懐かしくてうれしい。大切な財産だよ」というのもあれば、その逆に完全に裏返って「子供時代は嬉しかったけど、今から見ればこんな作品見てほしくない」もあるだろう。

美化されて描かれたって、それも当事者にはツラい

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「(略)…その棟田先生を、こんなに立派な柔道家が四国におるんよという意味で梶原先生に話した。すごい先生がおるんよ、たったそれだけや。
なのに、梶原先生の漫画を見てワシは腰を抜かした。やたら体のデカいウドの大木で、ワシに簡単にやられる内容や。名前は雲井大悟。
(略)
とんでもない内容になっとる。ワシは悔し泣きしたんよ。そのとき、初めて棟田先生の家を訪ね、土下座して謝ったんよ。実際は棟田先生がワシの手を引き上げて、土下座をさせてくれんかったのが本当じゃけん。けどワシは気持ちで土下座した。
棟田先生は本物の豪傑じゃけん。そんなことは気にせんでいいと笑ってくれました。『あんたが雲井大悟のモデルですか?と聞かれたら、はいそうですと言っちゃるけん、安心してください』とここまで言ってくれた…(70、71P)


これは友人・知人間の話だが


ja.wikipedia.org
石に泳ぐ魚』(いしにおよぐさかな)は、柳美里の小説第1作。『新潮』1994年9月号初出。同年12月、柳はこの作品のモデルとなった女性により、プライバシー権及び名誉権侵害を理由として損害賠償、出版差止めを求める裁判を起こされる。

経緯
1994年8月上旬、『新潮』9月号の巻頭に柳美里の小説第1作「石に泳ぐ魚」が一挙掲載される。

『新潮』に発表して1ヶ月ほど経った頃、柳の留守番電話にモデル女性より「至急連絡がほしい」旨のメッセージが残される。折り返し電話をし、話し合いの末に柳より「書き直して欲しいと思う箇所を指摘してくれ」とモデル女性に提案する。モデル女性より挙げられた7、8箇所の訂正箇所を修正し、訂正版をモデル女性に手渡す(この時点では、里花の顔を直截的に描写している唯一の部分である戯曲形式のパートは書き直しの要求を受けていない[2])。

モデル女性より「訂正版を持ってしても出版を許すことができない」旨の返事があり、10月14日に東京地方裁判所に「出版差し止めの仮処分」が申請される。

審理は4回にわたり、里花の顔に腫瘍があるという設定を廃止し、障害の直接的な描写を削除。また、里花の属性(出身大学、進学先、専門課程、サークル、友人知人、父の職業・経歴)を大幅に変更した。裁判所は、両者の意見を聞き、「原型(『新潮』版)のままでの公表はしない。この小説を公表する場合には、改訂版原稿のとおりの訂正を加えたものとする」という和解案を示し、モデル女性側は、仮処分の申請を取り下げた。

しかし、12月にプライバシー権及び名誉権侵害を理由として損害賠償、出版差し止めを求める訴えを起こす。



訴訟は最高裁判所で柳側敗訴の判決が言い渡され確定した[3]。

判決の骨子は「『新潮』に掲載された作品は、出版、出版物への掲載、放送、上演、戯曲、映画化等の一切の方法による公表をしてはならない。謝罪広告の掲載、改訂版の出版差し止め請求ほかの請求は棄却」[4]

柳美里によるプライバシー権及び名誉権侵害行為によって、被害者が重大な損害を受けるおそれがあり、かつその回復を事後に図ることが困難になる。被害者は大学院生にすぎず公共的立場にあるものではなく、雑誌掲載小説が単行本として出版されれば被害者の精神的苦痛が倍増され、平穏な日常生活を送ることが困難になる。文学的表現においても他者に害悪をもたらすような表現は慎むべきである旨を、最高裁判決理由で指摘した。

判決確定から約1ヶ月後に、モデル女性の周辺情報や腫瘍のある顔について直接的に描写した箇所を60箇所以上修正した『石に泳ぐ魚』改訂版を出版[5]。

この一連の騒動は、仮処分の段階から柳に対する非難や擁護や「文学における表現の自由」をめぐっての論議が起き、マスコミ・論壇・文学界から大きな注目を集めた。高井有一島田雅彦竹田青嗣福田和也、清水良典が柳側の陳述書を提出し、車谷長吉、高橋治、加藤典洋らが判決を批判した。

www.courts.go.jp
原審裁判所名
東京高等裁判所

原審事件番号
 平成11(ネ)3989

原審裁判年月日
 平成13年2月15日

判示事項
 名誉,プライバシー等の侵害に基づく小説の出版の差止めを認めた原審の判断に違法がないとされた事例

裁判要旨
 甲をモデルとし,経歴,身体的特徴,家族関係等によって甲と同定可能な乙が全編にわたって登場する小説において,乙が顔面にしゅようを有すること,これについて通常人が嫌う生物や原形を残さない水死体の顔などに例えて表現されていること,乙の父親が逮捕された経歴を有していることなどの記述がされていることなど判示の事実関係の下では,公共の利益にかかわらない甲のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む同小説の出版により公的立場にない甲の名誉,プライバシー及び名誉感情が侵害され,甲に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるとして,同小説の出版の差止めを認めた原審の判断には,違法がない。

こういう話の、元祖みたいな存在もいる。

…実在のクリストファーも9歳のときに寄宿学校に入学しました。このとき彼は、“クリストファーのモデル”として世界中から大量のファンレターを受け取り、新聞や雑誌の記者に始終追いかけられているほどの有名人。そんな息子を心配したミルンは、物語を完結することにしたのです。その上、彼自身も作家として『クマのプーさん』から卒業したいと望んでいたそう。

 案の定、寄宿学校に入ったクリストファーは「プー」が原因で周りの生徒から執拗な嫌がらせを受け、父が生み出したもうひとりのクリストファー・ロビンを呪うようになってしまいました。
 とはいえ、父とは兄弟のように仲が良く、父の人生をたどるようにケンブリッジ大学を卒業したクリストファー。ところが、第二次世界大戦後の不景気もあり、輝かしい道を歩んだ父とは違い、作家にもなれず、よい職にも就くことができなかったのです。

 世間がクリストファー・ロビンに抱く理想、そして父が自分に抱く期待に応えられないことにクリストファーは非常に苦しんだそう。「父が私の幼い肩に乗っかって、現在の地位にのぼり、私から名誉を奪い去り、ただ、父の息子であるという空な名声だけを残してくれたのではあるまいかと思えるときもあった」と自伝でその痛みを…
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こんどローカルドラマのシーズン2がはじまるぐらい、今も根強い人気を保つ東村アキコひまわりっ」等を含む家族をモデル、あるいは実際のキャラとして描いた作品も、実はほのぼのと受け入れられてるかと思いきや…

2009年NHKマンガノゲンバ」の映像で語られた言葉だから、テキストにして残してるのはウチだけかもしれん。

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司会 じゃあこれからまたマンガに健一さんの伝説がいろいろ出るのはありそうですね


でもなんか、ちょっと、うち・・・地元の宮崎のほうの、なんか親戚の親族会議で、もうなんか「アキコをどうにかしろ」みたいな感じで、その、親戚をネタにして笑いをとるのをもうやめさせてくれと、本気のブーイングがけっこう上がってきてて、であの、実の弟からも、本当にもうお願いだから俺たちのことをマンガにするのをやめてくれと、親戚にビビっていま封印気味ですね。


司会 はあ、身内ネタは。そういうときはどうするんですか、ほかのネタは。


いや、友達を犠牲にしたりとか。(略)でもだんだん、みんながわたしと距離を置くようになってきて・・・」


けっきょくのところ、明治以降の私小説、あるいはノンフィクションとおんなじで「わたしがみた、体験した、あついは想像した」ことを書くのだから、まず大原則、基本としては自由なのだ。

しかし、それを規制するごく狭い、小さい例外としての名誉毀損や肖像権が存在する・・・・・・・・・と考えるべきでしょう。

それは実際の人物の「キャラクター化」も同じではないかと思うのです。
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【思い出して追加リンク】こちらは、彫刻家が、教師時代に中学生の生徒と付き合っており、その時の裸をモデルに「アート」を作って、高い評価を得たが……というテーマのフィクション

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