大手メディアは、日本国籍がなく、戸籍から抹消されている彼の名前を「真鍋淑朗」ではなく「シュクロウ・マナベ」と書くべきだと思う。多くの人に「日本国籍がなくなると、漢字の氏名も失ってしまう」ことを知ってほしい。https://t.co/5l6IXBn2fF
— ヘフェリン・サンドラ (@SandraHaefelin) October 6, 2021
産経新聞の記事に
≫日本人のノーベル賞受賞者は28人目。
とあります。テレビでも「日本人、日本人」と連発していますが、真鍋淑郎さんは米国籍のアメリカ人です。
米国のほうが研究費が出る関係から、米国に渡り現地で長年研究をしていく中で「米国籍を取得する研究者」は少なくないわけですが、現地(米国)での功績を、「日本、日本、日本人、日本人」とやってしまうのって、あまりカッコよくありません。
云々。
この話、まあ真鍋さん(マナベさん?Manabe-san?)みたいな経歴の人が、この種の名誉を得るとこの議論は恒例、風物詩みたいなもんでありますが……、そういう恒例に、この前の話題を合体させよう。
…終始、試合をコントロールした青木真也 (EVOLVE MMA)が試合後にマイクを握り、放送席で解説を務めた大会プロデューサーの秋山成勲に向かって「お前、何で断ったんだよ!」と述べ、オファーを断った秋山に激高した。
(略)
試合後にマイクを持った青木は「(略)9月6日に俺にオファーが届きました…」と述べると、放送席の秋山を見て次のように捲し立てた。「お前、何で断ったんだよ! おい、言えよ。嘘つくんじゃねぇよ。おい、何とか言えよ、この虚構がよ。おい、笑い事じゃねぇんだよ。何とか言えよ、早く」
そんな青木に対して秋山は「あのね…皆さん色々なSNSを見ていてご存じだと思うんですけど、断った理由としては、筋肉を断裂してしまい…それが先生の判断と…色々な選択肢があったんですけど、断るのが億劫で。やはり試合をして、リングに立つのが格闘家として在り方だと思ってるんですけども、苦渋の選択としてそういう判断をせざるを得ない状況で色々な検査を受け、周りの人にたくさん迷惑をかけ、十分にわかっている」と弁明…
ノーベル賞と国籍と「誇りに思う」が話題の時に、プロデュース大会を開くとは実に”持っている”と思う。
ただ、一般化して考えた方がいいし、あまりハレーションを起こすのも本意ではない。タイトルのように「A」選手としよう。
A選手は、法律上の国籍ということで考えれば疑問の余地などない。J国民である。2001年にK国の国籍から、J国に変更した。
では、自己の「自認」として、あるいは周囲の評価として、そうなるか・・・・・・・・
はっきり言って、時々の状況によって発言は相互に食い違いがある。そのへんの発言録や、また本人の言とは別の、周囲の評価とかを細かーく語ればいろいろとある。
たとえばこの時のは、あくまで一例だ。
○秋山成勲(1R4分45秒 KO)●デニス・カーン
※ロープに詰めてアッパー一発。
(略)
秋山:試合後マイク「(韓国語で)みなさん帰らないでください。ひと言言いたいことがあります。チュ・ソンフンです。今まで本当にいろんなことがありました。でもここに帰ってくることができて、みなさんの顔を見ることができたことがすべて僕の力になっています。最後にひと言言わせてください。我が大韓民国最高!」
秋山成勲 、復帰戦で完全KO勝利~大晦日は吉田秀彦と対戦か | ブラックアイ2
それに関する…たとえば上のリング上コメントとは違う、いろんな資料をいろいろと本気になれば出せると思う(たとえば、実家にある筈の評伝・研究本や雑誌・ネットインタビュー発掘など)だが、そこは面倒なので略す。
更に言うなら、このA選手は
格闘技界で、あるいはその前の柔道界でも・・・・・赫赫たる実績を残し、熱烈なファンを獲得し、巨額のギャラも得ている。
その一方で、大きなルール違反を競技上で犯し、その後の処理の曖昧さも含め、いまだにそのことで知られている面もある。
いわば、両方において・・・・・そういう人間を、その人の祖国の”誇り”あるいは”恥”であるとみなすなら、両方の対象として見ることができる存在なのである、実に偶然ながら。
ただ、すごく簡略化していうなら「いま現在はJ国の国籍を取得しているので、AはJ国人である」「K国出身の親から生まれており、K国人である」という、簡単な定義・認定は自他ともに、間違いなくなされていない、ということです。
そして私見を申すなら、それはいいことだと思われます。
というのは……法的な認定が必要な時、あるいはどこぞの団体がその団体のルールとして、表記などにおいて国籍の確定を求めるなら、それはそれでいいでしょう。
しかし、自分は●●である、という自認は観念のたぐいだから、たとえば国籍法でそれが可能かどうかに関係なく「自分にはJとK、二つの祖国がある」としてもいいし、たとえば「今はスペインから独立していないが、私はあるべき「カタルーニャ共和国」の国民である」と任じてもいい。「自分は共和主義者であり、天皇を戴かない「日本共和国」の民だ」を自認したり「世界は国家でなく、イスラームの教えに沿いカリフの治めたもうウンマ(共同体)の下にあるべきだ。私はそのウンマの民であり、ナントカ国の国民でない」とか、そんなアイデンティティだってありましょう。
「国籍こそ●国だが、私(或いは彼)が◇人なのは、それに関係なく変わりない」
…そんなあれこれを、はいそうですかと認めるか、「おまえがそう言うんならそうなんだろう、お前の中ではな(俺たちの中では違うぞ)」で却下するかは、これまた受け手の自由裁量……というかはともかく、幅があっていいんじゃないかと思うです。
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@HASSANKONAKATA 私はムスリムとしては、イスラーム法上の義務であるため新生カリフ制イスラーム国を支持するが、イスラーム地域研究者としては、新生カリフ制イスラーム国が全ウンマを統べる真のカリフ制となり存続できる可能性には悲観的だ。
— 中田考 (@HASSANKONAKATA) 2014年6月30日
@HASSANKONAKATA
— 中田考 (@HASSANKONAKATA) 2014年6月30日
私としては、新生カリフ制イスラーム国(IS)を支持しつつ、私自身が考える「あるべきカリフ制」の啓蒙を続けていくしかない。カリフの名前を人口に膾炙させる事が、カリフ制再興のために私にできる唯一の貢献だろうし、ISの歴史的意義もそれにつきそうだ。
そういう自由裁量で言うなら、自分はやはり表記としては、今回ノーベル賞を取った真鍋氏はまず「アメリカの真鍋さん」と表記するとおもいますけどネ。その上で周囲が「日本人として誇らしい」、と思うのもまったく許容範囲。それは、日本国籍を取得している白鵬を、それでもモンゴリアンが「白鵬はモンゴル人の誇り」とみなしても一向に差し支えないのと同様に。
そういえばA選手は、その子供が、子役・モデルとしてK国で人気を博している。
その際に、その「何国人か」については、どう認識されているのだろうか。そんなことは話題にもなったことがない、というなら、それはそれでいい事だと思うが…
そういえば!!
この前、K-1初参戦し勝利した石井慧も、格闘技メディアは「イシイ・サトシ、クロアチアの誇り」と表現すべきなんですかネ。
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