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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

石井慧の軌跡について、今ふりかえること〜柔道金メダルから総合格闘技へ―

この記事
news.yahoo.co.jp

なにが驚いたかと言って、はてブのコメント数さ。

b.hatena.ne.jp

こんなに石井慧と、総合格闘技について気になっている人が多かったの?


でも、それはなんつーか、驚く方が特殊なんだろう。というのは、石井慧の歩みについて、当方はいちおうMMA情報も載せてるブログとして、それなりに継続的に知っていた、追っていた…から、逆にこの記事の情報は新情報ではない。
だけど、MMAの専門サイトを見に行ったり、そこのアカウントをtwitterでフォローした人でない限り、今回の記事内容はすべて初耳だったのかもしれない。これは一種の着眼点の違いであったな。石井慧を追っている、いつでも話を聞ける格闘技ライターはそれなりにいただろうが、これまで格闘技系の記事を書いたのかな?という感じの三尾圭氏が「対世間」―猪木流にいえば環状線の外、に向けて記事を書いたことで、これだけの反響になったのかもしれない。
news.yahoo.co.jp

しかし、どうせならゴン格やKAMINOGEやF&L周辺の誰かに、こういう記事を書いてほしかったものだ、という惜しい思いもある。

さて、「2019年の石井慧」に至るまでを振り返ろう。

まず、転向表明したときの記事があった。もうひとつ、「園遊会での爆弾発言」記事もあったが、それは後述する
m-dojo.hatenadiary.com

…といったところで早速、俺の○ミ\(・_・ )トゥ ←丸投げ が火を噴く。
もう20年近く、格闘技の観戦記を専門誌以上のボリュームと頻度でアップしていた「格闘技徒然草ブログ内で、石井慧を検索してみるのダ。
yunta.hatenablog.com

にゃあ。
自分は、石井慧、一貫してMMAで応援しているほうだと思う。というか、柔道をベースにMMAを戦う人は、自分も講道館門下生(名乗るレベルじゃないだろ)として、基本は贔屓目に見る。体にクリームを塗って相手のタックルを防ぐような超絶反則でもしないかぎり、だ(笑)


ただ、石井慧が世間、とくに日本メディアから「消えた」ように感じられるとしたら…彼が、通算のレコードとしては、決して勝っていないわけではないんだけど、端から見ても「こりゃ人生懸かった大一番だな。ここで勝てば天国、負ければ地獄……」という特に重要な試合で、ことごとく白星を得られなかったがゆえだ、とは思わざるを得ない。(もともと、石井の体格はヘビー級の平均よりやや小さめで、ライトヘビー級orミドル級が適正ではないか?という話もある)

今回の記事でも簡潔に、要を得て述べられている。

デビュー戦翌日には「石井、弱かった」と酷評されたが、1年後にはK-1の番長ことジェロム・レ・バンナに判定勝ちを飾った。格闘技の冬の時代にあって、年末になると強豪選手とのマッチメークを石井は強いられた。2011年の大みそかには、元PRIDE王エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。「いままでで一番怖かった。試合前に逃げ出したかった」という一戦でパンチの連打を浴び、なす術もなくKO負けで散った。それでも、ヒョードル戦後には8連勝して再浮上。しかし、2014年にはミルコ・クロコップとの連戦で敗北を喫した。

ミルコもヒョードルも、石井との対戦時は米国メジャーで敗戦し、旬を過ぎたと思われた選手だったが……石井に勝って逆に再浮上した、これは惜しまれる。ヒョードルとの2011年の対戦は、今思えばヒョードル衰えたりとはいえ、いまより8年も前。最後の強さを見せ得た時代だったのだろうか。

自分はこんなこと書いてた

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石井慧は、「とにかくすごく努力している」「柔道金メダリストの地位におごらず位置からMMAを学ぼうとしている」という評判はゆるぎなく定着している…だから逆に「柔道の技術をあれだけ持ち、あれだけ真面目に打撃を含めた総合を学ぼうとしている石井でも、あの階級に放り込まれたらトップは難しい」という残酷な結論が出そうなのである。もう一階級下に…だが、他の選手もだいたいそれができそうな感じはあるんだよな…
要はK-1の佐竹、武蔵な状態、ポジションになる、ということ……それはなあ… 吉田秀彦も、実はこういうポジションだったよな、とも思い出す。


逆に惜しいのはミルコ戦で、初戦は内容的に圧倒しつつも、不運なカットでの流血TKO負けだったので、再戦は「こりゃ勝てるよ、おいしい試合だ」というふうに見ていた。
この時期だったと思う、専門ライターからも「いま、UFCに一番近い選手は石井慧だ。ミルコに勝てば、たぶんUFC行きは決まりだろう」みたいな情報が出てて、さもありなんな感じだったのだ。あそこだって「元金メダリスト」の出場はそれなりにハクになるだろうし。
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でも、再戦でハイキック一閃から、パンチ連打によるKO敗北……それは、あまりにも残念だった。

ここでの「振り出しに戻る」がなかったら、UFCに行っていたと思う。ただ、UFCでも苦闘は続いた可能性が高いから善し悪しか…。

その後、世界第二の総合格闘技団体「ベラトール」(ちなみに堀口恭司が現在、バンタム級王者になっている)で、ベテランのビッグネームと対戦した。クイントン”ランペイジ”ジャクソンと、先ごろ引退したキング・モー


yunta.hatenablog.com
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vsジャクソンは判定がややホーム判定?と思わせるものだったが、モー戦は完敗だった。

その後、最近では日本で桜庭和志のプロデュースする組技団体戦QUINTET」に参戦したんだけど、強いとは感じたものの、一本勝ちの山を築くというわけにはいかず、判定引き分けに持ち込まれたりもした。(ルール上、どんなにせめても一本勝ちしないと両者失格)


ただ、そうやって渡り歩く間に格闘家仲間が増え、「有名格闘家のスパーリングパートナー」として名前を聞くようになった

…藁にもすがる思いでたどり着いたのが、現在の練習拠点のクロアチアであり、拳を交えた相手のミルコ・クロコップだったのだ。

「おまえはダイヤモンドの原石だ。磨けばまた輝くから」
――2017年からはクロアチアにいるミルコのところに練習拠点を移しました。そのきっかけは?

「ミルコに2回負けてから再起ができないというか、すごく煮え切らない感じで、3連敗しました。そのときちょうど、ミルコがRIZINグランプリ(2016年無差別級トーナメント)で優勝したんですよ。それで習いたいと連絡をしたら、いつでもいいよということで。そこからですね、行くようになったのは」

ミルコとのトレーニング風景
www.youtube.com


こんな光景まで見られるようになってる。

もともと、ミルコはファブリシオ・ヴェウドムをコーチで招くほど、チームの強化には熱心だからね。こういうところは、やはり素質や潜在的な強さを認められたからこそ招かれるのだと思う。

その前に、石井とゲガール・ムサシの盟友関係も有名だった。
sadironman.seesaa.net
ameblo.jp
tweetlonger.blog.fc2.com


QUINTETには、石井が世界を渡り歩いて練習した相手から、グラップリングが強い選手を抜粋した混成軍「チーム・バガボンド」を作って参戦できるぐらいだから、ほんとうに意外な人脈を、築いてきたのだろうし、それができるオープンマインドと語学力を身につけたのだろう。
OMASUKI FIGHT氏に「英語上手い」とお墨付きを得ている。


石井が日本でデビューしたときは、その逆に、さる”業界の大物”たちに「俺が”後ろ盾”になってやる」とか「なんで俺に”あいさつ”にこないんだ」みたいなしがらみもしがらみが二重三重だったという話も聞いたが、これは事実かどうかわからんちん。

どうして、あの若さで柔道を辞めて、総合格闘家になったのですか?

「昔から総合格闘技をやりたかったからです。小さいころから強さに憧れていました。柔道よりも総合の世界でどこまでできるんだろうという思いがずっとあって。オリンピックまでは柔道をがんばって、そこから先は総合に転向しようと思ってました」

――日本では2008年の北京五輪の前ぐらいに格闘技ブームは下火になり、タイミング的にはいい時期の転向ではなかったですが、気にならなかったですか?

「そうですね。ビジネスで考えてなかったので、そこはあんまり。ただ総合をやりたいからいきました」

――2008年の年末には、石井選手への独占交渉権がアメリカのメジャー団体のUFCに与えられました。契約がまとまらなかった理由は?

「ぼくのまわりにいた人たちですね。あのころは、UFCだけに限らず、いろんなことがありました。21歳というのもあり、そこで初めて、全員を信じちゃいけないんだなと。世の中には変な人もいるということを学びました(苦笑)」

本当にここだけは間違いないのは、石井慧の総合転向はまずもって「MMAをやりたかったから、MMAの世界に来た」ということで、だからこそ10年、泣き笑いと七転び八起きの格闘技人生ながら、ぶれずにやってこれたのだと思う。

RIZINでもUFCでもない、独立系海外MMAなどで活躍するということ

その後の、最近の試合は、ネット配信の時代だからいろいろ探せば視聴するのも可能ではあるが、初心者にはむつかしいのは事実。
だが、石井が再浮上した、最近の試合をお見せすると…
www.youtube.com

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ほか
※4時間18分からみてください
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日本でも名古屋で開かれた「HEAT」で試合してるんだよ
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――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のKSWにも出場しましたけど、すごいらしいですね?

「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のPRIDEみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたKSW.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもKSWに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」

ポーランドで、総合格闘技が人気というのは知る人ぞ知る話で…2010年にちょっと触れていたが、
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過去に「Dropkick」サイトなどで紹介されているので、そっちを読むとよくわかる
ch.nicovideo.jp
gonkaku.jp
ch.nicovideo.jp


これを見ると、もはや「総合格闘技を根付かせることに日本では失敗した。ポーランドでは成功した」と言い切ってもいいぐらいかもしれない。
・有望選手は、常にUFCからの引き抜き可能性がある
・「でも最強はUFCが決めるんだよね?」と言われる
というプレッシャーをはねのけて、いかにローカルでのMMAのステータスとストーリーを維持するか…おおいに学ぶところがあると言わざるを得ません。

こういう場所場所に、ひとり、日本人選手が人気者になっているとしたら、それは大いに国のイメージアップにもなる。おれもカメルーンと言えば、アフリカ少年星野ルネの前のイメージは「ソクジュ」一択だったもの(笑)ポーランドも、5番目ぐらいには「パウエル・ナツラの国だね」となってたよ。

「今はクロアチア国籍」にもインパクトはあったろうけど、似た話は前から言ってた

――クロアチア国籍をとることも考えてます?

「あ。国籍とりましたよ」

――本当にクロアチア人なんですね?

「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」

以前は米国市民権に関して、似たこと言ってた。
そんなことを、こうやって論じたのはうちぐらいだけどな(笑)
m-dojo.hatenadiary.com
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このときのお方が、今は譲位され上皇陛下に。往時茫々、夢また夢……

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でもさ、実際にいまから予選みたいなの出ても、「柔道クロアチア代表」として東京五輪に余裕で出場できるんじゃあなかろうか? 本人にその意志はないのか?東京五輪で、「クロアチアの怪物」を日本重量級は迎え撃つかもしれない…

ああ、これがあるのか

www.joc.or.jp

2- オリンピック競技大会、大陸別競技大会もしくは地域別競技大会、もしくは関連IFが公認した地域選手権大会、もしくは世界選手権大会において、1方の国を代表した後国籍を変更した者、もしくは新しい国籍を取得した者は、このような変更もしくは取得の3年後までは新しい国を代表してオリンピック競技大会に参加してはならない。但し、この期間は、NOCと関係IFとの合意およびIOC理事会の承認を得て短縮されることがあり、取り消されることもあるものとする。

「このあいだ」だから3年は経ってないだろう。日本柔道界はほっと一安心。

柔道、いまでも超絶強い説(説っていうか事実だが)

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そんなこんなをひっくるめて、石井慧選手のこれからに幸あれ、であります。

最後の締め、石井選手自身がいいオチつけているんで拝借しよう(笑)