INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

日刊スポーツの記事削除&謝罪で「コタツ記事」再論。「取材せず」が理由なら、そっちの悪影響のほうが大きいぞ

???ばかりの記事です。

日刊スポーツは2021年3月27日の配信記事で共産党の前衆院議員、池内さおり氏のツイッター本人への確認取材をせずに記事化しました。記事には「池内さおり氏、駅で男性にぶつかられ『女性差別だ』」という見出しを付けました。これに対し、記事は被害者を黙らせる圧力につながるという指摘を複数受けました。池内氏への誹謗(ひぼう)中傷につながった点につきましても配慮が足りませんでした。記事は取材がなく不適切と考え、3月29日午後2時前に削除しました。同時におわびを掲載し

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202103270000241.htmlwww.nikkansports.com

日刊スポーツ、圧力を受け記事削除?

「取材なかった」が理由なら、削除記事は100や200じゃ済まないぞ。権力者(前議員)から言われたら待遇違うの?

今は削除された、日刊スポーツが「不適切」とする記事、遡って確認することができた。

(削除前の)日刊スポーツ記事は、以下のような話である


共産党の前衆院議員、池内さおり氏が、駅のホームで激突した男性とのやりとりをつづり、「あまりに失礼。女性差別だ」と訴えた。

池内氏は26日、ツイッターで、電車に乗ろうとした際の出来事について書き出した。「今の時間は全く混雑無し。電車が到着しスピードが落ちる。私の乗り口は降りようとする人も2人。私から見て右側から出ようとする乗客を目視し、私は左寄りのスペースから乗ろうとした」と状況を説明し………(後略)

自分なりに「ファクトチェック」してみたが、事実と異なっているところは見つけられなかった。

「やりとりをつづり」…確かに、つづっている(ファクト)。
「訴えた」…確かに、訴えている(ファクト)。
「状況を説明」…確かに、説明している(ファクト)。

後半部分も、事実関係で誤報をしたと思える部分は無かった。

何がどのような理由と経緯で、削除とお詫びに至ったのか、説明ではさっぱり具体性を欠いている。というか、記事のどの部分がどういうふうに問題だったのか、何にも答えてないに等しい。
ここに、お詫びの「第一形態」らしきものが、画像で残っている。

こちらも併せて見ると、…ますます感じるのは「日刊スポーツの対応の不可解さ」のほうである。百も二百も質問があるし、
どんなふうに、どこからこの記事にクレームなりご意見なりがついたのであろうか。
その謝罪・削除対象が、衆参に一定の地歩を占める政党の前の衆院議員であり、次回選挙でもその政党から出馬を予定している「権力者」であることが関係している、そういう疑念を持たれても仕方のない状況ではないか。

というか、今の状況ではそちらのほうが自然よ?


SNSやTVで『こんな文章が、発言があった』だけ報じる「コタツ記事」が<安易>なのは然り。されど<無用>に非ず。時には、はてブも多数つく(笑)


この話は、何度も書いたので過去記事に任せる。
「基調演説」もかいている。

m-dojo.hatenadiary.com

(前略)…どれも、ツイートの内容から外には出ていない、いわゆるネットを見ればそれだけでかける「コタツ記事」だ。


・・・・・・・・・・ただ、何度か書いているかもだが、「コタツ記事」というものは決して間違いではない、と思っている。
ネットの情報量はあまりにも膨大であり、誰かがどこかで何かを「書いた」ら、それですべての情報が完結しているわけではまったくない。「…というところに、…という話がかいてあったよ。これまでの経緯がこれこれであり、だから重要だよ」というのを、誰かが…あるいは自分自身で紹介しないと、その情報が埋もれるだけである。
タツの中からネットに接続し、モニターを眺めるのは2018年の「現場」であり、あさま山荘や内戦のユーゴスラビアに行くのと同じ…とはいわないが、それでもそこが現場であることは、善悪を超えて事実として正しい。
(略)

こちらでは、そういう記事の持つ意味(有用性)についてもう少し具体的に書いている。
m-dojo.hatenadiary.com

「こたつ記事」なる言葉の語源調査
m-dojo.hatenadiary.com


というか、日刊スポーツさん…
ツイッターを本人への確認取材をせずに記事化しました」
「記事は取材がなく不適切」
「指摘を真摯に受け止め、今後は取材、記事制作過程に一層留意」

するという同紙だが、4月1日のサイト掲載記事では

麻木久仁子、BTSの人種差別抗議に「心が震えた」

[2021年4月1日8時53分]


タレントの麻木久仁子(58)が、米国で急増するアジア系住民に対する憎悪犯罪ヘイトクライム)をめぐり、韓国の人気男性音楽グループ、BTS防弾少年団)が抗議したことを「素晴らしい。心が震えた」と称賛した。

麻木は3月31日、ツイッターを更新。BTSが…(略)
www.nikkansports.com


取材の背景を全部確認することはできないが、これってどんな「確認取材」があったのだろうか。記事を読む限りは、確認取材をしたと推測するような部分がないこと、賛同してくれると思う。

もちろん、だからと言って事実誤認ではない。
知る限り、
「称賛した」⇒称賛してる(ファクト)
twitterを更新した」⇒更新してる(ファクト)


である。逆に言うと、いわば根本としての記事の性質は、池内記事(削除前)も、麻木記事も同種のものだ。

それはそれで、記事として「安易だ」といえばなるほど安易だが、逆に言えば「安易」以下…なにかの謝罪や削をしなければいけない類のものではない。そうなったらとしたら、よっぽどの、どこかからの「圧力」を疑うに足る。



だいたい同種の「安易」なコタツ記事、時としてはてブもたくさんつくからな(笑)

先に挙げたダルビシュの張本批判記事
現在、ブクマ516。
b.hatena.ne.jp


田村淳の聖火ランナー辞退記事
現在、ブクマ627。
b.hatena.ne.jp

黒岩神奈川県知事の、小池知事との交渉裏話記事
現在、ブクマ349。
b.hatena.ne.jp


どれも、どこを切ってもピカピカのこたつ記事。
だけど、まあみんなニュースとしての有用性を理解してるし、事実関係の間違いもないからブクマしたんやろ?そして、ほとんどの人は「これがこたつ記事か、そうでないか?」ということが脳裏に浮かばなかったんじゃないか(笑)
自分がこうやって例示できるのは、記事やブクマで「これはこたつ記事だけど…」と嫌味な指摘をし続け、一種のタグ付けをしてきたからでありんす。

その後も日刊スポーツ、絶賛こたつ記事を掲載中……




その「効果」論(いわゆる犬笛論)

id:b-itoh1975 氏のこの記事に、
benitoh96.hatenablog.com
こうブクマをつけたのでそちらで。

これは変な理屈で、例えば杉田水脈の発言が(批判的に)報じられた結果、実際に逮捕に至る脅迫事件まで発生したが、それは予想できた筈だ、報道した側の責任だ、とはならぬ。百田尚樹も次々ツイートは記事化されたな
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700489967329733954/comment/gryphon

もっとさかのぼって、こんな事例を考えてみよう。

m-dojo.hatenadiary.com

今回の話で考えると、講演会の妨害行為をするぞ、というのは、そのまえの講演会への抗議のなかに、「妨害行為をしてでも潰せ!!」という”犬笛による命令”があったのですかね、なかったのですかね。何しろ「犬笛」だからふつうには聞こえない。その人には聞こえたかもしれない…


なあんてことはない。そもそも「犬笛」って概念がムリあるんだわ。いや、そういう概念を作ってもいいけど、それなら「今回の妨害行為予告による竹田氏講演会の中止は、それに先立つ講演批判者が妨害行為をせよとの”犬笛”を吹いた結果だ!」という議論もなりたっちゃうで、と。
逆に、竹田講演会への批判を許容するからこそ、「犬笛政治」という概念で直接的にその論者全体を批判するというのを否定する。そういうわけです。

まあ、ぶっちゃけこの議論は2013年、靖国神社放火事件というのがあった時に語り尽くしている。…(後略)


上の靖国神社放火事件の時の話は…

加藤紘一宅放火事件に「小林よしのりや小泉の責任だ」との声があった。では、靖国神社への放火は…
m-dojo.hatenadiary.com



当ブログは一貫して、
こうやって実際に発生した放火や暴力的街宣の責任を、その対象に批判的な言論の責任とするのはおかしーだろうと言ってきたが…。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061228#p3
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080417#p4
それはいわば、今回のような「靖国神社への放火(未遂)」が発生したとき、「靖国神社批判をしていた言論人やメディアが、『時代の空気』を作り出した!!!」と攻撃されないようにするために論じていたんだよ(どや顔)。


いや、もし佐高さんが、「たしかに私が靖国に放火してもいいんだという『時代の空気』を作ってしまった。私はこれらの放火事件(2011年にもあった)、放火未遂事件に責任がある」ということなら、賛成はしないが首尾一貫性は認めるが。

鈴木邦男氏は、かつて、その種の「やばい反響が起きそうな記事を書いた媒体に責任がある」という主張をしていたが、その発言を後日撤回したことがある。

http://kunyon.com/shucho/080414.html
…又、週刊誌に対しても、「何を書いてもいい。でも、不必要に右翼を煽らないでくれ」と言った。「じゃ、“言論の自由”への干渉ではないか」と言われ、その言葉は撤回した。情けない。確かに、何を書いても自由だ。記事を見て、「煽ってる」と思い、行動する人間が悪い。つまり、これは私も含めて、「右翼の問題」だ。「それは、そっちが解決することだろう」と言われたら、一言もない。