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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

『スペインの日本侵略の野望』は発言・記録が残り、認定も自然。だが平川氏の結論は突飛すぎぬか~「戦国日本と大航海時代」読んでの結論。

話題になっているので、急いで続編かきます。

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からの続編だが、この新書で展開されている学説を巡る議論。

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信長のシェフ~西洋の侵略と対抗論(平川新の論考がベース?)


はてなで話題になったのはtogetterから。
togetter.com

ブクマコメント
b.hatena.ne.jp


といっても、ツイートしたらすっきりして、再論するのも面倒になったので、それを再録します。いやあ字数制限の下で書くと内容が圧縮できるねえ。
同趣旨をここで最初から書いたら絶対ダラダラ長文になってたわ(笑)



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信長のシェフ 西洋に対抗するために唐入りは「愚策だが効果的」という矛盾した結論にならざるを得ない

信長のシェフがこんな展開になるとはおもわんかったし、そもそもこの作品自体、チート無双異世界話の平均以上でも以下でもないと思ってる。ただ、物語上でも平川説をシミュレートすると「愚策だが効果的」ぐらいの結論になる、ということだろう。

愚策だが(思いもかけぬ)効果があった、という話でいえば世界はその手の矛盾であふれている

江戸幕府儒教思想採用が水戸学と尊王討幕論を生んだり
モンゴル支配や十字軍が東西交流を促したり
銃を採用したことで騎士階級が衰退したり
社会主義政権が、資本主義に福祉や政府規制を採用させたり
日本の無謀な対外侵略が植民地独立に(間接的に)つながったり…意図しない形の「結果的な効果」はさまざまで、フィクションなどでは、主人公がその「結果的な効果」を見越して、それを目的に最初の行為を行った、とすると、その人を超絶チート英雄にたやすくできる。平川新氏の論考は、いろいろ資料を根拠に語ってるにしても、まさに最終的には「結果として」そうなってるんじゃないかというのが感想。

ただ「互角の大名の戦に、軍艦数隻で介入」「ガチ信仰の大名が『教皇領』寄進」はあり得たIFでは。戦国乱世が信長秀吉によって収斂しなかったら…

という保留は批判論に際しても、つけるべきだと思います



こっちでも書いてたか

・ここで逆に、「もし16-17世紀に日本が植民地化されるならどういう手段があるか?」のIFで考えるとわかることもあろう。自分の乏しい想像力では「キリシタン大名と西洋の結託」、というシチュエーションしか浮かばなかった。つまり逆に言えば、戦国三英傑の天下一統、そしてそのアンカーたる徳川家康の築いたタイクーン政府が安定せず、あと100年、戦国乱世が続いていたら、生きるか死ぬかの戦を隣国としている時に、西洋に武力、経済力に依存する大名は九州とかに生まれた可能性は高いと思う。「キリシタン大名」の支配も二代、三代に及んだろうし、「教皇領寄進」によって外国に介入の正当化をする余地も出てきただろう。


・ザビエルがやってきてキリスト教の教えを伝えたのが1549年。秀吉の伴天連追放1587年。関ヶ原、1600年。慶長の禁教令、1612年。約60年で強圧的に、世俗的権力を持つキリスト教勢力が一掃されたことは、良くも悪くも「二虎競食」で浸透する手がかりを失わせた、とは思う。


・ただ、こういう時に「やはり外国と組むのは、この日の本で別の大名と戦をするのとは、ちょっと違うよなあ…」という意識があったか、どうか。
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信長のシェフ 戦国大名が自国の領土を「教皇領」として寄進したら?

平川氏は、実際に九州の大名抗争に、スペインが一方に協力し、軍船が介入した事例も紹介している。



資料編。スペインとイエズス会は「あー、明国とか日本征服したいわー」「征服するには、こういうふうにすればいいわー」な発言記録が、たしかに山ほど残っている。その事実自体は認定できるが…

論点再整理
・スペインやポルトガル、他の西洋諸国が「日本or明国を征服したい」という記録はあるか
・それはどの程度の地位や権限のあるものが発言したか
・それは実力・国力的に実現可能性があったか
・実現可能性が無いとしても、相手側が脅威を感じる合理性があったか

などなどの論点があるわけですが、まず最初の段階、「そういう史料があるか」について、「戦国日本と大航海時代」は非常に詳しく答えている。以下、かなり膨大な孫引き引用。平川氏が地の文にかみ砕いて解説していた箇所も入っている。

日本66カ国すべてが改宗すればフェリペ国王は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊を得て、一層明国を容易に征服することができるであろう



明国を征服するために、日本に駐在しているイエズス会のパードレたちは容易に2000から3000人の日本人キリスト教徒を送ることができる。彼らは家続く戦争に従軍しているので、 陸上界の先頭に大変勇敢な兵隊であり、少しの給料で喜んではせ参じるだろう


もし陛下が戦争によって明国に攻め入りそこを占領するつもりなら、陛下に味方するよう日本において王たちに働きかけるべきである、キリスト教徒の王は四人に過ぎないが10万以上の兵が赴くことができ、カルラが我が軍を指揮すれば明国を占領することは容易であろ、



スペイン国王の命令に基づいて在日イエズス会が明国への出兵を命じれば、日本のキリシタン大名たちは忠実に従う。平戸の領収松浦市小西行長が、スペイン側から要請があり次第、十分に武装した兵隊をわずかな費用で明国を始めブルネイ、シャム、モルッカへのどこへでも差し向けると表明していた。




…生糸などの貿易を確保するために明国へ軍隊を派遣しなければならない。これにはスペイン国王が返答しており今は適切な時期ではないとしているが、もし友好政策を改める必要があるときはしかるべき措置を命じるとしていた



明国の為政者が選挙を妨害しているので政府行動を起こすことは正当であるとして国王に迅速に遠征隊派遣を求めている。


8000人のスペイン兵と、10から12隻のガレオン船で簡単に明国を征服できる


1583年、スペイン国王に対して、明国が不況を妨害していることは武装攻撃を正当化する。わずかな鉄砲隊で何百万人もの野蛮人を殺すことができるのでできるだけ迅速に軍勢を派遣するよう要請する


明人を改宗させることは不可能なので、メキシコやペルーと同じように征服すべきだ。


広東を占領するだけなら200人の兵隊で十分 、明国全土を征服するためにはまずは普及に取り組みその上で1万ないし12000人の軍勢を送り込めば良い。



征服事業の最大のものはシナを征服すること。もっともそれは着手すべき時期と条件に叶えばのことである



今の明国は宣教師の入国も貿易を求めているので征服事業を正当化することはできないが、貿易を口実にマカオへの移住民を増やせば広東の役人は関税収入を増やすために何らかの不幸を働くだろう。これは戦争を行う理由となる。陛下が征服事業を決定すればそれを正当化する口実には事欠かない。



私は多くの(スペイン)人がそれ(明国征服)について語り色々多くの計画を立っているのを耳にしている


日本の国民は非常に勇敢でしかも絶えず軍事訓練を積んでいるので征服は困難だ。日本征服については慎重に進めなければならない。しかしながら、シナにおいて陛下(フィリピン総督 )が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになるであろう。 それゆえに日本を極めて重視する必要がある



20万から30万の軍勢を率いて支那に渡りその国を征服する決意であるが、ポルトガル人はこれを喜ぶや否や(と秀吉が訪ね)…その問いに対するポルトガル人らの答えを聞くと関白は無上に満悦した。



明国出兵の際には2隻のポルトガル戦だけではなくポルトガル領インド副王に要請して援軍を送らせようと語った



彼(コエリョ)は、イエズス会士は改宗を口実に当地(日本)に渡来して大阪の仏僧と同じことを行って日本王国の支配者になろうとしているという自分の考えをしばしば明らかにした。



(※この会話は天正少年使節団、つまり日本人の視点で語った発言)
千々石ミゲル「我々としてもこの度の旅行の先々で、売られて奴隷の境遇に落ちた日本人を親しく見た時は、同行一切忘れて、ちと元号同じをする同国人お店から徒歩区矢田獣かのように、こんな安い値で手放す我が民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった」
その友人マルチノ「まったくだ。実際我が民族中のあれほど多数の男女やら、童男・童女が、 世界中のあれほどさまざまな地域でさらっていかれて売り裁かれ、惨めな賤役に身を屈してるのを見て憐憫の情を催さないものがあろうか」




コエリョは大量の火縄銃の買い入れを命じるとともに有馬晴信小西行長などのキリシタン大名に反秀吉連合の結成を呼びかけた。一方でコエリョは、フィリピンの総督や主張に対して援軍派遣を要求した。200から300人のフィリピン兵がいれば要塞を築いて秀吉から教会を守ることができる・



日本に強固な要塞を築き200人から300人の兵士でこれを防備するようスペイン国王に要請すると求めている



私は朝鮮との和平がならないように切に望む。さすればマニラは平和なのだから



太閤が死んだのは昨年のことだったがその後も用心に用心を重ねて暮らしている。朝鮮からの帰還兵は10万人以上で彼らは貧しく欲に憑かれているのに、その後に期待すべきものを持たない。だから再び当地を脅かすことになる



日本が朝鮮問題に全力を挙げている今こそ台湾の港を占領すべきだ。日本がフィリピンを攻めるためには台湾を経由することになるがもし台湾を日本に抑えられたらマニラは破滅する。日本が台湾やフィリピンに軍隊を派遣する余力のない今のうちに台湾東北部の港湾を占拠し要塞を築くべきだ。



シャムは1000人で征服できる。チャンパは300人。コーチシナは1500人の兵隊で平穏に(支配)でき、カンボジア王国は従属させることができる



日本には多くの都市があり、いずれも人口が多い。全国どこでも米小麦大麦をゆたかに算出し、狩猟と漁業の収穫量もイスパニアに勝る。銀の鉱脈も多く金の質は極めて良い。このように広大にして繁栄する大王国に進入することはスペイン国王にとって極めて有利なことだ。私が思うにこの地に欠けている唯一のことは陛下をその国王としていないことだ



武力による侵入は困難だ。なぜなら住民多数にして城郭も堅固だからである。新イスパニア(メキシコ)の土人のように野蛮なら恐れるに足りないが、日本人は弓矢や槍、刀を有し、 長銃 を巧妙に使う。スペイン人と同じように勇敢なだけでなく議論や理解の能力においても劣ることはない。



少数の日本人がマニラ市陥落の危険に瀕せしめたること3度也。(※ほんとかいな?傭兵の仕事?)


皇帝もし命令を下さば5万人10万人を同市(マニラ)に派遣すること可能にして、これをなさば脆弱なる城壁内にある500のイスパニヤ人は多勢に抵抗することあたはざるべし


武力による侵入の困難なること、真に確実なりとすれば、我らの主なる神の開きたまえる聖福音宣伝の途により、彼らをして陛下に使うることを喜ぶに至りしむる他、選ぶべき道なし。



キリスト教を弘布し、キリシタンの数増加するに 現在の皇帝(家康)および他の皇帝(秀忠)死たる時は、諸侯は彼らを苦しむべきこと明らかなるの者の中より選ぶことなく陛下(スペイン国王)を仰ぐであろう。


新世界の門戸は斯くの如くして開かれ、数年のうちに陛下の領有に帰するを実地に見んことを、神に於いて期待す。


これも手間がかかるので入れればいいのだが…略した部分では、これらの発言の多くについて『誰が、いつ、どこで発言したか』を同書では紹介している。それも抜き出して時系列にでもすれば、もっと有用なのだが面倒なので略す。




以上のような発言やその意図を「日本側」が知って、反応した記録もある。
それは、こういう発言に反発し追及するものもあり、逆に相手を脅迫しかえしてるだろ、なものもあり、「そんな意図が裏にあるだと、ふふん言わせておけ、やつらができるものか」的な余裕を見せるものもあり。どれが「正解」だったかも、また評価はそれぞれだろうか。

それはそもそも17世紀に日本が舵を切ったキリスト教禁制・信者と教会の弾圧と、後世「鎖国」と評された政策がどう評価されるべきかにかかわっており、それがこの平川説が賛否を呼ぶ背景なのかもしれない。


その点では、この記事も読んでもらえるといいかな?

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ただ、そもそも論でいうと当時の西洋は(日本と同様に)「相手が『弱かったら』征服する。『強かったら』貿易と修好をする」という、正直すぎるアレを行動原理としていた。これは1621年に、江戸幕府が平戸のイギリス・オランダ商館に「日本近海での略奪樽行為を禁止する」と通告した際オランダ商館長が西インド会社総督に知らせた報告である。

マカッサル王とは違い、皇帝(将軍)は自分の港や停泊地での、(外国人の)暴力を許容しない。マカッサル王にその意思がないとは思わないが、彼にはその(外国人の暴力を抑止する)能力がない。しかし日本の皇帝(将軍)は、力において欠けるところはないのである

日本と250年友好関係を継続したオランダですらこうなのである。というか、世界の行動原理なのだろう…


m-dojo.hatenadiary.com

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ヴィンランド・サガ 武器なしでの新国家は可能か
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ヴィンランドサガ 武器なしでの新国家は可能か(アフタヌーン2020年7月号)


最後にひとこと 「この二人」が突出してワルいやつらだったんとちゃうかい?

イエズス会日本準管区長 ガスパルコエリョ
ja.wikipedia.org


スペインのフィリピン臨時総督ロドリゴ・デ・ビペロ(1609年、その任を終え帰国時に船が遭難し日本に漂着。その機を逆に生かして徳川家康、秀忠と謁見し、貿易交渉をした)
ja.wikipedia.org

とくに後者は、(遭難者という立場であるのに)日本の銀山開発について非常に突っ込んだ交渉を江戸幕府と行い、かなり高飛車というか欲深な条件を日本に出しているタフなネゴシエイターであった。


この二人についていろいろ調べれば「西洋の日本侵略の野望、たしかに存在セリ」も言えるし、一方で「とはいえ、出先の中間管理職の提言レベルなのでは?」ともできるかもしれない。その研究はまかす。