最近、大きく話題になったのは「どうする家康」で数年ぶりの戦国大河ドラマが始まるのも関係してたんだろうか。
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※まとめ全体と冒頭ツイートへのはてブ
[B! 歴史] 日本人学生がスイス人女性に、激しい口調で「なぜ秀吉はキリシタンを弾圧したのか?」と訊かれてた - Togetter
[B!] イサク on Twitter: "日本人学生がスイス人女性に、激しい口調で「なぜ?秀吉はあんなにも厳しくキリシタンを弾圧したのか?」と訊かれたそうです。学生はその激しい口調に驚きながら、努めて冷静にこう答えた。「秀吉がキリシタンを弾圧したのは三つの理由があります。 1、イエズス会の宣教師たちが、日本の女や子供を"
これについて考えをまとめておきたいのだが、脳内にゴールは見えてるのに書くのが面倒だなあ、ってことで箇条書き形式を使いたい。
・最低限の説明は100字に無理やり詰め込んだ、これで足りるかと思う。
スレにコメントした(未収録)が、まず外形上奴隷問題に触れ伴天連追放したのは事実/で、これは『ワシのシマ』『面子』絡む話なので、別に人道を賞揚する必要もないし『あの秀吉が人道的な筈がない』の否定も変。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730529652182680260/comment/gryphon
これを補足説明していこう。「外形上奴隷問題に触れ伴天連追放したのは事実」とは何か。
『天正十五年六月十八日付覚』原文
伴天連門徒之儀ハ、其者之可為心次第事、
国郡在所を御扶持に被遣候を、其知行中之寺庵百姓已下を心ざしも無之所、押而給人伴天連門徒可成由申、理不尽成候段曲事候事、
其国郡知行之義、給人被下候事ハ当座之義ニ候、給人ハかはり候といへ共、百姓ハ不替ものニ候條、理不尽之義何かに付て於有之ハ、給人を曲事可被仰出候間、可成其意候事。
弐百町ニ三千貫より上之者、伴天連ニ成候に於いてハ、奉得公儀御意次第ニ成可申候事、
右の知行より下を取候者ハ、八宗九宗之義候條、其主一人宛ハ心次第可成事、
伴天連門徒之儀ハ一向宗よりも外ニ申合候由、被聞召候、一向宗其国郡ニ寺内をして給人へ年貢を不成並加賀一国門徒ニ成候而国主之富樫を追出、一向衆之坊主もとへ令知行、其上越前迄取候而、天下之さはりニ成候儀、無其隠候事。
本願寺門徒其坊主、天満ニ寺を立させ、雖免置候、寺内ニ如前々ニは不被仰付事、
国郡又ハ在所を持候大名、其家中之者共を伴天連門徒押付成候事ハ、本願寺門徒之寺内を立て候よりも不可然義候間、天下之さわり可成候條、其分別無之者ハ可被加御成敗候事、
伴天連門徒心ざし次第ニ下々成候義ハ、八宗九宗之儀候間不苦事、
大唐、南蛮、高麗江日本仁を売遣侯事曲事、付、日本ニおゐて人の売買停止の事[注 3]。
牛馬ヲ売買、ころし食事、是又可為曲事事。
右條々堅被停止畢、若違犯之族有之は忽可被処厳科者也、天正十五年六月十八日 朱印
— 天正十五年六月十八日付覚[78][79]。(大意)
(自らが)キリスト教徒であることは、その者の思い次第であるべきである。
(大名に)国郡の領地を扶持として治めさせているが、その領地内の寺や百姓などたちにその気がなかったのに、大名がキリスト教徒になることを強いるのは、道理が通らずけしからんことだ。
大名がその国郡を治めることについて、大名に命じているのは一時的なことなので、大名が交代することはあっても、百姓は交代するものではないので、道理が通らないことはなにかしらあることで、大名がけしからんことを言い出せば、(百姓を)その意のままにできてしまう。
(知行地が)200町、3000貫以上の大名は、キリスト教徒になるには、秀吉の許可を得ればできることとする。
知行地がこれより少ない者は、八宗九宗[注 12]などのような宗教上のことだから、その本人の思い次第であってよい。
キリスト教徒については、一向宗以上に示し合わせることがあると、そう聞いているのだが、一向宗はその国郡を寺領(寺内町)を置いて大名への年貢を納めないだけでなく、加賀国を全てを一向宗にしてしまい、大名の富樫氏を追放し、一向宗の僧侶に治めることを命じ、そればかりかさせ越前国までも取ろうとし、治天下の障害になっていることは、もう隠しようがない事実だ。
本願寺の僧侶には、天満の地に寺を置く(=天満本願寺)ことを許しているが、この(一向宗の)寺領のようなものは以前から許したことはない。
国郡や領地をもつ大名が、その家臣達をキリスト教徒にさせようとすることは、本願寺の宗徒が寺領を置くことよりもありえないことであるから、治天下の障害となるので、その常識がわからないような者には処罰ができることとする。
(大名などよりも)下の身分の者が思いのままにキリスト教徒になることについては八宗九宗と同じで問題にならない。
中国、南蛮、朝鮮半島に日本人を売ることはけしからんことである。そこで、日本では人の売買を禁止する[注 3]。
ウシやウマを売買して食べることは、これもまたけしからんことである。
ことごとくこれらの条文で固く禁止し、もし違犯する連中があればすぐに厳罰に処する。以上 天正15年(1587年)6月18日
・ブクマをざっと見た限り、批判的なコメントは(「そもそもこのスイス人は実在するのか」ちゅう論点を除いては(笑))
◇1:人身売買は当時の日本国内でもあったし、海外に売ったのも日本人(キリシタン大名など)が一方の当事者だ
◇2:朝鮮に攻め入り、そこでも多くの人を拉致した豊臣秀吉が、人身売買の禁止に熱心なわけがない
◇3:イエズス会は奴隷貿易をやめさせようとしていた。責任はない
みたいな話ではあるな。
・1と2は連動している。
まず、当時……戦国時代の日本において、特に戦争下で多くの人身売買があったことは間違いない事実。
秀吉唐入りでもそれは多数あり、陶工などがそれで日本に連れられた、というのも有名な話。
・だが、逆の話でな。豊臣秀吉が唐入りなどに際して大規模な人狩り(特に職人狩り)を行ったことは、むしろ西洋諸国をそれへ関与したとして厳しくとがめる姿勢と、ある意味で連動、同じ方向性にあるのだ。一言でいえば「既に支配権を及ぼし、領有している地の民は保護。攻撃しているところではそうではない」という。当たり前の話すぎるな、文章にすると。
冒頭ブクマで「これは『ワシのシマ』『面子』絡む話」と書いたが、そういう話。…たとえると、このような話になる。
山口組と柳川組が激怒したからと言って「酒席で他人に絡んで強要することを禁じた柳川組・山口組の大英断」とはならんやろ(笑)。
自分がやるとかやらぬとかじゃなくて、自分のシマで他人が、自分たち(だけ)がやっていたことをやろうとしたら、それだけで権力者の逆鱗に触れる。その行為が客観的、あるいは当事者の主観的に「悪」かどうかはまた別の話。
・と同時に全国統一した豊臣秀吉は、この人身売買を基本的にやめさせようという方向性も持っていたようだ。さてそういうと「唐入りでは…」みたいな話になるだろうけど、そもそも日本でこの人身売買、というかその前提となる拉致(乱取り)は「戦争の一手段」としての面が大きかったようなのだ。敵国領土に攻め入った時に、田畑のイネや麦を刈り取って自分のものにしちゃう、あるいはまだ実っていない段階でも刈りとってしまう。それは敵国に経済的、軍事的なダメージを与える手段。生産手段のひとつである「人」もそうだった。そして軍費、特に兵員への報酬としては、給与の代わり(あるいはプラスアルファ)として、略奪を許可する、というのも非常に世界で一般的な話でした。
・そもそも、「人身売買」といっても、アメリカ奴隷制やギリシャローマのような安定的な奴隷身分の構築があったというより(そもそも対になる「諸権利を持つ自由民」「市民権」という概念があっただろうか?)、戦国時代の乱取りは「一時的な戦時捕虜と、その身代金」的な側面もあったようなのだーーとは、乃至政彦氏の主張。渡邊大門氏は、これに対して全く賛同できん、みたいなことをtwitterで述べていたが。もちろん、現地で”捕虜”が”身代金”を払ってもらい釈放される、もあったろうが、払ってくれる親族などがいなかったら、普通に労働力などとして売られるのでありましょう。
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ん?ただ渡邊大門氏も、秀吉の禁止令が常識を覆した、ちう評価みたいだ(本文は今は読めない)
「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令 https://t.co/wzL1AskuWO
— iRONNA(いろんな) (@iRONNA_jp) January 29, 2019
→かつて、戦場における人の略奪は、当然の行為として認識されてきた印象がある。しかし、秀吉は人の略奪や人身売買禁止という政策を採った。
・で、あるからよう、ひとたび強力かつ全国的な統一権力を持った側は、その秩序を保つために「それは、もうやるなよ」と命じる方向性にいくのは、いたって当然なんだわ。それは全国の武力紛争を禁じた、いわゆる豊臣平和令こと「惣無事令」のようなもんで、それを秀吉が命じたからと言って「平和主義者秀吉」とかは言わんだろ。そうやってまとめあげた武力を結局は対外戦争に持ってったわけだから。
・上の話は、藤田達生氏の中公新書「戦国日本の軍事革命」で、少し紙幅を取って説明されている。おもしれー本です。これをまとめて紹介する準備をしてた時に、この話題がやってきたから変更してこれ書いてるわけで……
・同書でも書かれてるが、実は人の誘拐を含む「略奪」は、軍の統制を乱すという点からも統一された巨大で精強な軍からは否定されるべきものなのだ。近世軍よりさらに前の盗賊まがいの軍隊ではしばしば、財宝略奪や人間の拉致にかまけて軍の統制が崩れ、攻撃力が衰えるということがある。財宝を投げ捨ててそれを追撃軍が拾ってる間に敵将が逃げる、とかね……。中世ぐらいならその乱暴なパワーを利用したほうがいい、どうせ統制が取れないんだから、てなのも正解だが、西洋でフス戦争のヤン・ジシュカが生み出した「軍律・軍法」の軍の強さは、平行進化のように戦国時代を経た日本軍も追いついた。
・秀吉は天下統一の終盤では朝廷等の権威をまとい「公儀の軍隊」を装った。その結果として自分の指揮下の「勝手な(ここ重要)”狼藉”」を厳しく取りしまるモチベーションがあり、それはその後の徳川幕府軍にも引き継がれている。ただし、そんなに一朝一夕にあらたまるもんでもないし、秀吉や家康の統制も上のような、人道的使命感とかがある話じゃないから、時々はガス抜きさせて、片目をつぶってるようなもんだったのだろう、と。
・あと秀吉も、宣教師と教会に腹を立てているのも事実だけど「貿易などでわしに旨い話を持ってくれば、そういう問題は目をつぶってもいいで」的な未練も満々。それはその追放令自体にも、その後の自分の行動にも痕跡がある。少なくとも「自国民の保護のために、絶対に人身売買禁止は許さんし、宣教師とも交流を一切断つ!」的な感じじゃアない。
・3のイエズス会の奴隷貿易の話も、この「秀吉は軍隊の炉乱暴狼藉や人取りに厳しかったが…」と、少し似た面がある。イエズス会は何しろ布教第一、それもこれまで福音の届かなかった地域に何が何でも信仰を届ける、という絶対布教するマンの集まり。「布教の障害になるので奴隷貿易はやめるべき」と思えばそうも主張するだろう(実際にした)。だが問題なのは、やはり組織である以上、そう簡単に意思統一がされないというか…
・ちなみに「実際に彼らを海外に売ったのは日本人のキリシタン大名じゃないか」という話もあるが「アメリカの黒人奴隷も、少なからずの人数が、アフリカの黒人国家内で黒人が市場に売りに出した人達」であります。そこは免罪符にならぬであろう。いくらカソリックでも(笑)
・論文から。
ここまでの研究で分かったのは、1590年代までにイエズス会が日本の奴
隷貿易に対して肯定的な姿勢を見せていたが、1598年長崎で開かれた会議
によってその態度がからりと変わって日本のイエズス会士が日本人奴隷貿易を
非難するようになったということである。しかし、イエズス会が日本人の奴隷化
を如何に正当化したのかという問題はいまだ解決していません(略)
今までの研究で分かってきたことをまとめると、1550年代からポルトガ
ル人は中国人と日本人を九州で購入していた。イエズス会士は㏿やかにその貿
易の仲介者になって、奴隷を買うことを許可する公認証のようなものをポルト
ガル人に発行するようになったことが明らかにされている。豊臣秀吉は奴隷貿
易の実態を知り、1587年にそれを禁止した。イエズス会は1596年になっ
て初めて日本において奴隷取引する者をキリスト教から破門とすることを定め
た。司教の死後に破門令が無効になり、1598年新司教が破門令を再び制定し
た。その後、日本人の奴隷化を禁止するようポルトガル国王に働きかけるが、イ
ンドのポルトガル人が反対して、その策略は失敗に終わったとされている。
本論文は問題として提示したいのは、日本のイエズス会が日本人の奴隷化を
神学的な理念を適用して弁解したことである。そのため、日本人奴隷史にとって
『正当性』(Justification)という点はとても重要な歴史的なテーマになるhttp://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/91848/2/dt-ko-0244_jp.pdf
・イエズス会は、要は規模や組織でいえば島耕作の「ハツシバグループ」みたいなもんで、そこの部長や課長には中沢もいれば今野もいる、ってことなんだろう(わかんねぇ喩えだろ)。具体的に言えば、イエズス会日本支部の代表(日本準管区長)ガスパール・コエリョという人物が相当な食わせ物っぽいやつで、こいつのせいでイエズス会の評価は同時代的にも日本史的にもずいぶんと減点されている感がある。ぶっちゃけ内部でも「あんたが要らん事言うから!」的に批判されたこともあるとか。
ja.wikipedia.org
・このへんは同じく中公新書の「戦国日本と大航海時代」に、外国語の資料の翻訳がたくさん引用されている。内容には個人的に、保留したいところが多いが…そこも含めての過去記事。
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・上の各種資料を見れば「イエズス会が奴隷貿易に関わったり、日本征服の野望を抱いていた」というのを外形的に「存在した」と言えるか、と問えば「言える」という答えは間違いじゃない、で良いと思う。
・ただ、過去記事にも書いたけど、「本気と夢想の区分け」が分からない部分がある。「あの石頭の本社役員の代わりに俺にこの地域を任せてくれりゃよ、すぐにアップルもGoogleも抜いて世界の経済界を牛耳る会社にしてみせるのによう!」とか「今後10年間で、この地域は世界の成長センターになります!」みたいな大言壮語、今の商社マンたちもやってるだろうしね。
・さらにいえばスペインとポルトガル、イエズス会とフランシスコ会の利害対立、メンツも絡んだ対立もある。相手を道徳的に貶め、自分が有利に立つ「記録の戦争」も含めて・・・・・・・・・。
・そして、そもそも論として<当時の>西洋諸国はアジアを征服できたか?という話もあるが
流れで2021年のこういう連ツイを見た(引用部以外も、前後に多数ある)
大航海時代において、ヨーロッパの技術的優位がそれほど大きくなかったことは、それこそポルトガル人が持ち込んだという鉄砲を、すぐさまコピーして大量生産をやってのけた日本人が証明しているじゃないですか。当時のアジアやアフリカでの欧州の「植民地」とは、貿易拠点という「点」にすぎません。
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2021年6月8日
アジアやアフリカにおいて、16-17世紀のヨーロッパ人は、大国のなかった島嶼部(フィリピンとか)でこそ、そこそこの拠点は築けても、中国やインドに食い込むことはできませんでした。軍事的に不可能だからです。宣教師で洗脳? それができた地域ってありますか? フィリピン以外ないでしょう。
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2021年6月8日
大航海時代、ヨーロッパ人が「点」だけでも拠点を築けたのは、船の技術とそれに積んだ大砲が優れていたから、というのは、技術史の古典であるチポラ『大砲と帆船』が説くところです。言い換えれば、船の搭載砲の射程距離を超えると、もう欧州人の軍事的優位はありません。https://t.co/iUcPSSoCeV
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2021年6月8日
ですから、秀吉のころにヨーロッパ人がアジアに築いた拠点というのは、極めて不安定で、ヨーロッパ人同士の拠点争奪戦に加えて、現地の有力者の怒りを買ったら潰されてしまいかねないものだったのです。実際、秀吉はスペイン領フィリピンに貢納を要求し、びびった比総督は現地の日本人を殺害したとか。
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2021年6月8日
繰り返しますが、16-17世紀において、ヨーロッパ人がアジアやアフリカで、現地の有力な国家を征服して領域的な植民地を建設した例は、ないでしょう。サン・フェリペ号事件の船員の放言はフカシです。当時ヨーロッパ人がアジアに築けた拠点は、小さく不安定なものでしかありませんでした。
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2021年6月8日
代表的な例として台湾が挙げられます。中華帝国の辺境として未開の地だった台湾を、当時絶頂期だったオランダは占領して、ゼーランディア城を築きます。しかし、そこに現れたのが『国姓爺合戦』で有名な鄭成功でした。オランダの拠点は鄭に落とされ、明の残党が清に抗戦する拠点になってしまいます。
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2021年6月8日
つまり、明とか清とかアジアの大勢力どころか、滅んだ明の残党というゲリラ勢力にすら、ヨーロッパの拠点は落とされてしまうようなものでしかなかったのです。そんな軍事的不利を、キリスト教布教で乗り越えた地域がどこかありますか? ないでしょう。
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2021年6月8日
これは大体の主旨は重なる所も多いのだが、一方でたとえば「何ともナチュラルに、当時のフィリピンを下に見ているものだ」と思わされる(苦笑)
>宣教師で洗脳? それができた地域ってありますか? フィリピン以外ないでしょう。
『フィリピンという一例があれば、それだけで大ごとですね』
>秀吉はスペイン領フィリピンに貢納を要求し、びびった比総督は…
>スペインとオランダが拠点争奪の戦争…安全に日本船を通したのです。幕府を怒らせて、対日貿易から締め出される方がずっと怖かった
『つまり16世紀末-17世紀初頭に日本に誕生した統一政権には、西洋も一目も二目も置いたのですね。その時期に、群雄割拠の日本が統一される保証とか無かったけれども』
>16-17世紀において、ヨーロッパ人がアジアやアフリカで、現地の有力な国家を征服して領域的な植民地を建設した例は、ない
『そう、「有力な国家」が必要……逆に、諸大名が領域ごとに独立国の様相を呈し、相争っている時は常に危険性はあった、という』『そもそもコルテスのアステカ征服も、現地に同盟軍を作って成功した訳だし』
>当時のアジアやアフリカでの欧州の「植民地」とは、貿易拠点という「点」にすぎません。
『日本に長崎でも浦上でも(教皇に寄進されたことが実際にある)「点」の西洋拠点が生まれてたら、それだけで歴史には大きな影響があったのではないですか』・・・などなど
>サン・フェリペ号事件の船員の放言はフカシです。
『だとしたら「そんな洒落にならないフカシをしたら、ああいう結果になっちゃうかもね、仕方ないね、彼らの自己責任だね」という話ですかね』
・上の話は、2016 年にある人気ブログで「日本が植民地にならなかったわけ」がテーマとなって話題をよんだ時に、逆方面からの思考として「じゃあ植民地になるとしたらどんな形だろうか?」を考えた時のことが骨子となっている。
その後、2020年にNHKスペシャルでもこのテーマが語られた。
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m-dojo.hatenadiary.com「もし16-17世紀に日本が植民地化されるならどういう手段があるか?」のIFで考えるとわかることもあろう。自分の乏しい想像力では「キリシタン大名と西洋の結託」、というシチュエーションしか浮かばなかった。つまり逆に言えば、戦国三英傑の天下一統、そしてそのアンカーたる徳川家康の築いたタイクーン政府が安定せず、あと100年、戦国乱世が続いていたら、生きるか死ぬかの戦を隣国としている時に、西洋に武力、経済力に依存する大名は九州とかに生まれた可能性は高いと思う。「キリシタン大名」の支配も二代、三代に及んだろうし、「教皇領寄進」によって外国に介入の正当化をする余地も出てきただろう。
・ザビエルがやってきてキリスト教の教えを伝えたのが1549年。秀吉の伴天連追放1587年。関ヶ原、1600年。慶長の禁教令、1612年。約60年で強圧的に、世俗的権力を持つキリスト教勢力が一掃されたことは、良くも悪くも「二虎競食」で浸透する手がかりを失わせた、とは思う。
・ただ、こういう時に「やはり外国と組むのは、この日の本で別の大名と戦をするのとは、ちょっと違うよなあ…」という意識があったか、どうか。
このへんの「日本意識」とか「統一性の感覚」は、ちょっと主観的な評価も入るので考えるのが難しい。(後略)
・幕末はともかく、戦国時代=大航海時代、に日本が遠く離れたスペインやポルトガルの植民地になる…というのはちょっと荒唐無稽だというイメージがあるが、他の国だって別に戦闘力や文化がおとっていたわけではない。内部分裂にたくみに西洋が介入、そしてやはりキリスト教を信仰する現地人が協力することで、日本のごく一部がそういった国の支配下になるということはありえたかもしれないなー……とは、自分も考えを改めているところです。
・というか、さっき例に挙げた「戦国日本の軍事革命」って本は、引用した「墨東公安委員会」氏も、くしくも推奨していたけど、まさに表題の軍事革命とはぶっちゃけ「銃を使用するための鉛や硝石の大量購入が必須になることで、南蛮ルートを握っている勢力が勝ち上がっていく」という話なんだよな。
・もうひとつ、「キリスト教によって洗脳し、征服なんてできない」という論もあるけど、ほぼ消滅一歩手前のマイナー宗教から、約100年で一国に浸透し、領域支配や最強の軍隊・要塞などを構築、最終的にはその国の覇王と血みどろの「決勝戦」を行った宗教もあるわけで……浄土真宗はあり得ても、その半分ほどの布教期間で、まだ途上だった日本でのキリスト教はそうなることは不可能だった、とはなかなか断言はし難い。
・・・・・とまあ、やっぱり長くなったか、ほぼ1日がかり。
戦国時代の人身売買と奴隷、
キリスト教(イエズス会)と海外への人身売買
それに対する豊臣秀吉や幕府のスタンス
について、だいたいこういう背景があるよね、ということを語れたと思います。
あと最後に2点! その「海外に買われた日本人奴隷」について「50万人」という人数がどこかで出回っている。
これについては首をかしげざるをえない。
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「奴隷という制度(その身分からの解放という点も含めて)」については、まさにそれを描く「ヴィンランド・サガ シーズン2」が、この前始まりました。
それは見る価値あると思いますよ。
SEASON 2 放送情報
放送局
TOKYO MX 1月9日より毎週月曜日24:30~25:00放送
BS11 1月9日より毎週月曜日24:30~25:00放送
岐阜放送 1月9日より毎週月曜日24:30~25:00放送
AT-X 1月10日より毎週火曜日20:00~20:30放送 ※リピート放送:毎週木曜日8:00~
毎週月曜日14:00~
※放送日時は予告なく変更になる場合がございます。配信情報
配信サイト
Netflix 1月9日より毎週月曜日25:30~配信開始
Prime Video 1月9日より毎週月曜日25:30~配信開始
ひかりTV 1月9日より毎週月曜日25:30~配信開始
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(了)