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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

憲法11条補論〜架空の「上位者」によって、例えば奴隷も自由になれる/「ヴィンランド・サガ」を題材に

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の続き。

第十一条
国民は、すべての基本的人権の享有(きょうゆう)を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる

ここが「与えられる」になっていることについての、ひとつの背景です。

ということで、前号、いや前前号かのアフタヌーン連載「ヴィンランド・サガ」に話が飛ぶ・・・・・・・

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ヴィンランド・サガ 奴隷が働いて自由を得る仕組み 2020年4月号アフタヌーン

ちょっとややこしいのだが……自由を望んでいる、とある奴隷を解放するため主人公が、イングランドで自ら体験した「奴隷が、土地を開拓しそこで農業をすると、一定の報酬(農地からの利益の一部)を得る。その報酬を積み立てて、あらかじめ設定した奴隷の解放金(自分で自分を買う額)に到達した時に自由を得る」という仕組みを奴隷主に提案する、というくだりだ。

この話自体は、8〜10巻に登場するので、それを読んでもらったほうが早くはある。

ヴィンランド・サガ(9) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(9) (アフタヌーンKC)

  • 作者:幸村 誠
  • 発売日: 2010/06/23
  • メディア: コミック

しかし、この制度だけでは、憲法11条と直接はつながらない。つなげるには、古代ローマなどに遡り…ここからは、過去記事の再録。

どこまで一般的な例かは分からないが、日々の労働に対して対価を与え、それの蓄積によって身分を自由なものにする(自分を買い戻す)という仕組みがあった、ということをまず押さえておこう。

なぜこんな制度があったのかというと…、やはり人間の「モチベーション」はそういうものだという、人間性の本質が関わってくるようなのだ。

「自由」を餌にした奴隷の使役方法〜「神による贖(あがな)い」という言葉を生んだ制度

奴隷は言うまでも無く生涯奴隷のはずだが、ローマ帝政期には、意外なほど奴隷の解放が多かった。これにはいろいろな理由があり、また解放の動機・ケースは種々さまざまだが、最も大きな理由の一つは、解放したほうが奴隷所有者にとって有利な場合が多かったからである。
 
というと奇妙なようだが、俗に言う「ただより高いものはない」の一例であって、不能率・超低生産性の奴隷労働は、意外なほどコストの高いものについたらしい。確かに単純作業なら鞭もある程度は有効かも知れぬが、特殊技術を必要とする労働における特技をもった奴隷の能率向上は強制、威嚇、体罰では不可能である。さらに学問奴隷や技術奴隷となると…(略)彼らが能率を上げてくれないと商売が成り立たない・・・いかに奴隷所有者でも知識や技術は暴力で吐き出さすことも、取り上げて他に与えることも不可能だからである…(略)
 
とすると、報酬の幾分かを奴隷に与えて能率を上げさせるほうが、結局奴隷所有者にとっても有利ということになる。…こうなれば奴隷のほうも一心に能率を上げて収入を増やそうとする。とすると必然的に仕事は繁盛し、所有主の収入も増えることになる。一方奴隷のほうがその収入を貯蓄して、それによって自由を買い戻す……のがごく当然の願望になってくる。

非常にわかりやすいまとめだが、
ここからがまたおもしろい。

だが、ここで一つ障害が出てくるのである。何しろ奴隷は主人の家畜同様だから、自分の意思で契約を結ぶことも出来ないし、財産を所有することも、所有権をはじめとする何らかの権利を主張することも一切出来ない。したがって、たとえば報酬を主人に預けて積み立てておいても、途中で主人の気が変わって彼を売り飛ばせば、一切はおしまいで体よく積立金も没収…(略)そういう危惧があっては、だれも一心に働く気にはならない。だがそれでは所有主のほうも困る。

そのため(だけではないと思うが)積み立て貯金を神に預かってもらうという方法がとられた。
(略)
奴隷は得た報酬を神に預託する。そして一定金額に達すると、神様がその金で彼を贖い(買い戻し)自由にしてくれた。したがって解放奴隷とは、形式的には「神の奴隷」であり、実質的には自由民であった。
新約聖書が記される200年以上昔・・・ニケーアという名のローマ人の女奴隷が、アルフィのアポロンに自分を買ってもらったという形で自由を獲得したことを記す刻文を示そう。

ピティアのアポロンはアンフィッサのソシビオスからニケーアというローマ人の女奴隷の自由を3.5銀ミナで贖った。法による前売却人はアンフィッサのエウムナストス。彼(ソシビオス)はその代価を受領した。自由を贖う代価を、ニケーアはアポロンに委託した。

こういう制度がそもそもあったからこそ聖書の「主によりて贖われる」とか「キリストは義と正と贖いである」という言葉は、なんとなく今では抽象的、神秘的な概念のように扱われるけど、当時としては極めて具体的なイメージだった…と解説されている。
以上、

の「歴史における『生活の座』」より引用した。
【追記】のちにこういうまとめを見つけた。同じく山本七平の本から。

山本七平botまとめ/『神・主人・奴隷の三角形』〜解放奴隷(リベルテ)と上下契約〜 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/265612 @togetter_jpさんから


※元はこの記事
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・・・・・と、いうことなんです。
えらい人に掣肘を加えるために、それよりさらにエライ何か、を架空の形であっても設定する。
それによって、奴隷主も王も、専制者になりえないようにする…遡れば旧約聖書儒教成立の時代からあったのですよ。
ユダヤ教のトーラーには、表紙に王冠の紋章が描かれていたとか。

宣王が孟子に尋ねる。「殷の湯王は、夏王朝の桀王を放逐して天下を取り、周の武王は、殷王朝の紂王を討伐して天下を取ったとされている。それは歴史的事実ですか?」「もしそうならば、臣下が君主を殺害する事が是認されているのですか?」
(略)
 これに対する孟子の有名な回答は、かなり過激である。
 「仁をそこなう者、これを賊といい、義をそこなう者、これを残という。残賊の人は、これを一夫という。一夫紂を誅するを聞けるも、未だ君を弑せるを聞かざるなり」。
 (仁の徳を破壊する人を賊といい、正義を破壊する人を残といいます。たとえ王であっても、残賊の罪を犯した人はもはや君主の資格はなく、ただの人にすぎません。私は武王がただの人である紂を殺したとは聞いていますが、君主である紂を殺害したとは聞いておりません)。(梁恵王章句下)
孔孟思想は21世紀に生きられるのか? アラキラボ 【題名のないページ】


もちろん、この「架空の上位者を設定する」発想は
226事件において、陛下はいまの政治の現状を、決してお望みではない!!と決起させ、それが失敗に終わって自分たちに死刑の判決が下ると

今の私は 怒髪天をつく の 怒にもえてゐます、
私は今、
陛下を御叱り申上げるところ迄、精神が高まりました、
だから毎日朝から晩迄、 陛下を御叱り申して居ります
天皇陛下
何と云ふ御失政でありますか、
何と云ふザマです、
皇祖皇宗に御あゆまりなされませ


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ということにもつながるのですな。

ただ、ここで考えておくべきは、政治の効用として「架空の上位者」を設定するのなら、それは法の根本の部分に「フィクション=大嘘」を組み込むことを許容する、ということだ。
「それってウソだよね?」「ぼくたちに権利を与えた天、造物主、最高存在…って存在するの??ウリウリ」みたいなからかいは、それは聞こえないふりをするしかない、
あるいは「よく気づいたね。そこはフィクションなんだ。だけどナイショな」とウインクするしかない。

法が法であるためには、むしろそのフィクション性を中心に置くのも、悪くないことかもしれない。。。