※話題が、ある人物の自死に関連しています。深刻な悩みを抱えておられる方は、こういう話題を読むことを避けて、まずこんな部署へのご相談を
電話相談
もし、あなたが悩みを抱えていたら、その悩みを相談してみませんか。
電話相談|自殺対策|厚生労働省
20年前の本日、PRIDE主催DSE社長・森下直人氏が都内ホテルで遺体として発見。
— ふるきっつあんの不条理ツイート。 (@foolkitchen1) January 8, 2023
その年の大晦日、日本の総合格闘技は民放三局を制圧する最盛期を迎えるが、その光景を森下氏は見ること無く…
森下氏怪死からシバター久保問題に至るまでの20年間で、総合格闘技は遂に地上波を喪失。
その責は誰にあるか… pic.twitter.com/PJp5GDFDmh
画像元のウィキペディアをそのまま転載したい。
森下直人
ページ
ノート
閲覧
編集
履歴表示
ウォッチリストに追加その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 同姓同名のお笑いコンビのメンバーについては「ななまがり」をご覧ください。
もりした なおと
森下 直人
生誕 1960年6月10日
愛知県名古屋市
死没 2003年1月9日(42歳没)
東京都新宿区西新宿[1]
死因 自殺
遺体発見 ヒルトン東京[2]
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
出身校 東海大学
団体 ドリームステージエンターテインメント
配偶者 あり
森下 直人(もりした なおと、1960年(昭和35年)6月10日 - 2003年(平成15年)1月9日)は、日本の実業家。愛知県名古屋市出身。元株式会社ドリームステージエンターテインメント(DSE)代表取締役社長。来歴・人物
森下が自殺した場所とされるヒルトン東京(東京都新宿区)
東海大学卒業。大学ではマスメディアを専攻[3]。経営学博士号を持つ。家電量販店エイデン(現エディオン)に入社。店頭販売で抜群の実績を上げ、34歳で広告宣伝部門を子会社化したハドックの代表取締役に就任。パーフェクTV!(現スカパーJSAT)の設立に関わったことがPRIDEとの接点になる。
KRS時代のPRIDEでは、興行側とテレビ局の間に調整役をこなし、KRS解散後はDSEの社長としてその手腕を振るうことが期待された。1999年(平成11年)1月にDSEを設立した後は、PRIDEも徐々に軌道に乗り始め、ますます発展していく矢先の2003年(平成15年)1月9日未明、投宿していたホテルの浴室内で首をつって死亡しているのが発見された[2]。警視庁は検死の結果、事件性がなく自殺と判断。
1月16日に、東京都港区の青山葬儀所で社葬が行われた[1]。2000年(平成12年)に再婚した妻と1歳の長女を遺している。
学生時代にボクシングを齧っていたが、格闘技自体には愛着がないことを公言し、日本発の世界に通用するコンテンツとして可能性があるからやっているだけ、と常にビジネスライクに語っていた。しかし死去一日前の際に行われた記者会見では、これからのPRIDEの展望を、長時間に渡って熱弁していた。その為DSE関係者は「あれだけこれからの情熱に燃えていた人がなぜ急に自殺を?」と首を傾げていた。
また、業界屈指の好人物として知られ、人柄を慕う関係者も多かった。
著書
大浦淳司・著 『これが勝ち組! 12人の成功プロセスだ』 ビジネス教育出版社 2001年(平成13年)6月 ISBN 4-8283-0018-X
インタビュー「まず人と出会うことから始まる」 を収録
アントニオ猪木・著 『非常識』 河出書房新社 2002年(平成14年)6月 ISBN 4-309-26564-2
対談「ビジネスそしてエンターテインメント」 を収録
関連項目
榊原信行
出典
^ a b “【PRIDE】森下社長の社葬に国内外のPRIDE戦士が多数参列”. BoutReview. (2003年1月16日) 2016年3月16日閲覧。
^ a b “「PRIDE」の森下社長が首つり自殺!新年会で抱負を語ったその夜に…”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2003年1月9日)
^ 『現代物故者事典 2003 - 2005』日外アソシエーツ、2006年3月発行、609頁カテゴリ: 20世紀日本の実業家21世紀日本の実業家PRIDE格闘技の関係者名古屋市出身の人物東海大学出身の人物1960年生2003年没自殺した人物
いま、自分の手元には「格闘技資料集」と題したワードファイルがある。
ファイルをそのまま保存しておいたり、雑誌もデジカメで画像を撮影して保存すればいいのに、たぶんそういう手段に知恵が回らないのだろう。何しろこの事件は、このブログを始める前の話ですらある。
そこから、ほんの一部だけ抜粋する。別の箇所には「この日記に…」とあり、おそらくはどこかのブログや掲示板に、メディア記事が転載されたものだと思われる。
あまりに突然の死にDSE関係者は声を失った。森下社長は8日午後、03年の日程を発表、記者との懇親会ではPRIDEのさらなる発展を元気に話したばかりだった。その後、仕事関係者と食事を取った同社長は、その席で「(自宅がある)名古屋に帰る」と話したようだが、そのままホテルに宿泊、惨事はそこで起こった。
状況の説明にあたったDSEの榊原信行常務取締役(39)によると、森下社長は8日午後10時半ごろ、20代後半の女性と2人でチェックイン。その女性と別れ話が元で口論となり、突発的に自殺を図ったようだ。同社長は浴室に15分間ほど閉じこもり、女性が開けたところ、浴衣の帯で首をつっていたという。女性からの通報を受けた新宿署員が現場に駆け付けたが、既に息を引き取っていた。遺書はなかった。
榊原氏は「その女性とは全く面識はなく、仕事関係ではない。完全にプライベートな問題で起こったことと判断している」と困惑を隠せなかった。新宿署は2人の間に交際上のトラブルがあったかどうかなど、女性から事情を聴いている。
動揺を隠せないDSE関係者だが、今後に関しては「早急に体制を決め、発表したスケジュールを完遂していきたい。社長の遺志をくんで、格闘界を盛り上げるため今まで以上に頑張っていきたい」と話した。PRIDEは03年第1弾として3月16日の横浜アリーナ大会が決定しており、スタッフは全力を尽くして同大会の開催に向かう予定だ。
PRIDEシリーズはここ数年、観客動員も増え、榊原氏は「興行面、運営面のトラブルはなく、経営を圧迫する材料はない」と話しており、それだけにDSE関係者は、あまりにも突発的な自殺に「信じられない出来事」と口をそろえた。
≪悲しみの帰宅≫森下社長の遺体は9日午後8時40分、悲しみにくれる家族とともに名古屋市西区の自宅マンションに到着。親族への取材は「家族もショックを受けているし、プライベートなことなので」と居合わせたDSE関係者によって規制された。そして約1時間ほど自宅で家族と共に過ごし、名古屋市西区の葬儀場に安置された。通夜、葬儀の日程は未定だが、DSEでは週明けにも、都内で社葬を執り行う予定にしている。
当時「名古屋タイムス」「噂の真相」などの記事が踏み込んだ内容を載せていたとか、その当時人気だったネットのややアングラ系の記事を載せる「探偵ファイル」などの名前も、自分のファイルからは出てくる。
前日懇親会の言葉がのこっている。
前日に「記者との懇親会」を行い、そこでのスピーチでは、当時のK-1の脱税問題などを語っていた、という話や「これから会いたくない人と会わなきゃいけない」という関係者の証言なども、当時はあった。
懇親会のほうでの、公のその最後の言葉はこちら。画像のテキスト、何とか読めるだろうか……
この「前日の懇親会」に出席した記者も、当時30代なら、今は定年前の50代半ば。まだ、この業界にいるだろうか……