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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

Nスペ「戦国〜激動の世界と日本」を見ての雑感

・まずこの番組は再放送が終了したがNHK なのでオンデマンド、あるいはまだ NHK プラスで見ることができるはず。そのことをお知らせ
(※再放送は大雨報道で流れた、との情報アリ。その結果として今後再放送あるかもしれず注意)

戦国〜激動の世界と日本〜 (2)「ジャパン・シルバーを獲得せよ 徳川家康×オランダ」
地球規模の歴史から、新たな日本の戦国時代を描くシリーズ。第2集は徳川家康の天下取りの時代。新発見の文書に記されていたのは、オランダ商人と家康の深い繋がり。オランダは、当時最重要の国際通貨だった「銀」を求めていた。世界の産出量の3分の1を占めた日本銀をめぐり、オランダと超大国スペインの間に激しい攻防が始まる。覇権をかけた両国の争いの最前線となった戦国日本、その実像に迫る。ナビゲーターは西島秀俊さん。

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・みての感想。
これ第1回も含めて、ちょっと大風呂敷を広げすぎるところはあると思うんだが、それなりに資料が存在していることも間違いない。そしてこれぐらい資料が残っていたのなら、確かにもっと以前から知られるべき話だっただろう。番組内でも「最近資料が明らかになった」と言われていたのだが、どの程度の資料が新発見で、どの資料が以前から存在はわかっていたのかは気になるところだ。


この議論を今主導しているのは「平川新」というかたらしい。
少し前に、新書を出したばかり。

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15世紀以来、スペインやポルトガルキリスト教布教と一体化した「世界征服事業」を展開。16世紀にはアジアに勢力を広げた。本書は史料を通じて、戦国日本とヨーロッパ列強による虚々実々の駆け引きを描きだす。豊臣秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか、徳川家康はなぜ鎖国へ転じたのか、伊達政宗が遣欧使節を送った狙いとは。そして日本が植民地化されなかった理由は――。日本史と世界史の接点に着目し、数々の謎を解明する。


通説を見直す―16~19世紀の日本

通説を見直す―16~19世紀の日本

  • 発売日: 2015/05/20
  • メディア: 単行本



・このあらましがわかるのはオランダの東インド会社が残した書類と、カトリック教会が残した記録によると言う。ここまで保存しているのにそれに比べて今の日本政府は…的なことを言ってもいいのだが、まあその2組織はさすがに例外的存在でそれを基準にするのも酷ではある。 それに同時代の日本近世の文書記録も世界水準では抜きん出て残されていると言われる。




・本当にオランダ東インド会社に雇われた日本の武士団が南陽でスペインの要塞を攻略したという話があるなら、 読み物的な講談や時代小説でも知られていいはずなのに、ほぼ無名に近かったよね、この事件は?というか、
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でも書いたりまとめたりしたけど、戦国時代の武士が海外で暴れる、という話がフィクションの中でもあまり大きな流れを作ってるわけではない。そこから逆算するとやっぱり NHK のこの番組は隠れた史実に光を当てたスクープ番組と評価せざるを得ないのかも。ちなみに「イサック」は通読しているけど、本当に血沸き肉躍る大傑作…とは、少なくとも自分はそこまで高くは評価していない。
ただ原作者は当代の「三大博覧強記」とも言われる人物だそうで、してみると、今回の番組のような話をすでにつかんだ上でこの話を始めたのかも。

イサック(9) (アフタヌーンKC)

イサック(9) (アフタヌーンKC)




・さらに言えば、その要塞攻略の傭兵団って、まさかエリア88のように各地から寄せ集めた武士がそこでチームを作ったとも思えない。ちゃんと指揮系統や上下関係のあるどこかの武士の「集団」でであろうかと思うので、その記録をたどれないのだろうか?(まあ、朝鮮の役で相手に下って活躍したと言われる「沙也可(さやか)」もいまもって不明だから、限界はあるのかもしれない)



・そもそも今回の「戦国武将傭兵団によるスペイン要塞攻略」で、日本SUGEEになるのは少々おかしい。そりゃ確かに傭兵団の武勇というのはそれはそれで、グルカ兵や、スイス傭兵のように民族の武勇伝となる話かもしれないが、最終的にそこで利益を得るのは雇っているイギリスや法王庁ではなかったか。もし日本武士団がスペイン要塞を常に陥落し得る武力があるなら、 日本独自で攻めるか少なくともオランダと五分の同盟を結んでその利益を分け合うこともできたじゃろ。 そこまでは日本の国力が及ばなかったということであろう。



・戦国時代末期から江戸初期に日本武士団が南シナ海で傭兵として重宝されていたとしたら、それは「天下一統」「元和偃武」によって生まれた「余剰武力」の解消という意味も大きかろう。国家を統一した英雄王は、その強大な軍備をどこかで難着陸させなければいけない。その一つが対外征服戦争に軍隊をそのまま振り分けることで、秀吉がやった唐入りも、結局はこれだったのじゃないか??という視点が 、これも井沢元彦が論じている。これは なかなかに正しかろう。それが失敗に終わったことで、次の徳川家康は比較的スムーズに、内戦を終えた後の軍事力を難着陸させることができた……



・そして毎度おなじみの話だが、鎌倉時代から続いた侍たちの武勇=「ヒャッハー性」を、江戸幕府の初期権力は大改造に乗り出した。この視点から保科正之も高く評価されるし、なんといっても徳川綱吉は「生類憐れみの令」も含めて、一代の大事業を成し遂げた、「文の英雄将軍」として、例えば李氏朝鮮世宗大王に匹敵する存在なのではないか、という。

逆説の日本史 13 近世展開編 (小学館文庫)

逆説の日本史 13 近世展開編 (小学館文庫)






・幕末はともかく、戦国時代=大航海時代、に日本が遠く離れたスペインやポルトガルの植民地になる…というのはちょっと荒唐無稽だというイメージがあるが、他の国だって別に戦闘力や文化がおとっていたわけではない。内部分裂にたくみに西洋が介入、そしてやはりキリスト教を信仰する現地人が協力することで、日本のごく一部がそういった国の支配下になるということはありえたかもしれないなー……とは、自分も考えを改めているところです。



・ただこの話をしてると「キリスト教を近世日本が叩き出したのはトータルとして正しかった。信者宣教師の弾圧もやむを得ない処置」という議論になり「宣教師たちが何十万の日本人奴隷を売り飛ばしていた」 みたいな真偽定かならぬ話になり、なんかここにイデオロギーが絡みかけてる感じがあるんだよな。なんとかそこから切り離した話にしたいものだ


・そういえば豊臣秀吉はライバル的な存在として、 スペインのフィリペ二世を捉えておりそれが対外政策に関係している ……という話は、西尾幹二の「国民の歴史」で最初に読んだ話だった。(元々、 どこかに元ネタがある話ではあろうが)
読んだ時は「先生、シロートとはいえ、あまりに伝奇小説的な話ですね。まあ夢がございましょうが…」みたいな感想を持ったのだが、 こうやって NHK スペシャルで新資料に基づいて番組が作られると、あながち、そこにフォーカスしたのは、馬鹿にした話でもなかったのか???と、いうね。当時のベストセラーだからまだお父さんの本棚にでも残ってるかもしれない。そこを抜き出して再読したら、当時とは違った評価になるかもしれない。

決定版 国民の歴史 上 (文春文庫)

決定版 国民の歴史 上 (文春文庫)

決定版 国民の歴史 下 (文春文庫)

決定版 国民の歴史 下 (文春文庫)



・実際、豊臣秀吉が対外遠征の目標を「フィリピンなどのスペイン領」に定めていたらどうだっただろうね。そこまでの渡海能力があったか、という大問題があるし、そこを攻めて支配したって、スペインよりすぐれた民政があり得たか、といえばそうでもなさそうだけど、鄭成功や清の建国のように「侵略者や簒奪者を倒して、そこの新たな支配者になりました」は、少しばかり良心のとがめと言うか、爽快感が異なる。 まあ、そういう海外拠点があったらあったで日本史は複雑な方向…必ずしも良い方向ではない…に変わっていったろう。



・もう一つ評価は改めたのは山岡荘八の「伊達政宗」(正確には山岡氏を原作に横山光輝が描いた漫画としての「伊達政宗」)。
これ後半になると、政宗がスペインと結んで、天下取りの野望を秘めていた…という話になったり、大阪の陣で西洋諸国が介入しようとしていた…みたいな話が出ていて、まさにこの部分は「作者の想像力のなせる伝奇小説的味付け」だと思っていたのですよ。ところが今回のような番組を見ると、この辺も多少の信頼性を加味しなければいけないかな??と思ったりするのです。

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山岡荘八横山光輝伊達政宗」にはキリスト教勢力が多数登場


・不思議なもので、日本は鉄砲に関しては非常に技術水準の優れたものを開発改良したのに、大砲に関しては、いつも海外のほうが優れている、というイメージがある。
これは、「日本の場合、戦国期の要塞は多くが山城。上にある要塞を攻める時は、それほど大砲の長所が生かされなかったから」という説明を聞いたことがあるが、ただしいかはわからない。投石器があまり目立たないのもこれゆえに、だとか…

るまたん @lematin
@tomojiro @kankimura 僕の積年の疑問ひとつは、なぜ日本では攻城用の投石器が発達しなかったのか、ということです。戦国期の城なんて、重火器があればイチコロだと思うんですが。
 

2013-01-27 23:59:28
tomojiro @tomojiro
@lematin @kankimura そこは自分も興味があります。


2013-01-28 00:05:06
Kan Kimura @kankimura
それは全くその通りです。QT @tomojiro:戦国時代の日本でなぜ重火器の開発生産が発達しなかったのか(火砲の生産は世界的レベルにあったにも関わらず)は相当興味深いです


2013-01-28 00:06:42
るまたん @lematin
@tomojiro @kankimura 「たまたま技術が伝播していなかった」というのが正解のような気もします。


2013-01-28 00:15:12
drきのこる(専門なき専門バカ) @drkinokoru
@kankimura @tomojiro 大砲の存在が伝わってれば、当然研究して開発もしたでしょうけど、当時の戦国時代にあんまり必要じゃなかったからじゃないですかね?なくても城落とせるし。あったらもちろん重宝されたでしょうけどね。

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番組では、当時の大砲の威力をハイビジョンカメラで撮影した映像も含めて紹介していて、たしかに貫通力が予想以上だったけど、
しかし、この時代の大砲は何にせよ、砲弾それ自身が爆発するわけではないのでまだまだ牧歌的だった。これが、弾丸の破裂する「榴弾」になったとき、世界の戦争はさらに地獄度を増す…(だれの発明だったのだろう?)

過去記事より

・ここで「榴弾」が生まれた時代はいつかな、という話を考える。
榴弾」とは、大砲によってぶち込まれるのが単なるでっかい鉄の玉はなく、それ自身が爆発して、敵にダメージを与えるようになった弾丸のこと。戦争の歴史を変える、ひとつのエポックメイキングらしい。
だが、やはり絵的な問題で?この史実はドラマでは無視されがちなんだと。「風雲児たち」の中で作者が炸裂弾を紹介したとき(高島秋帆の時代ですがな)「えー、関が原とかを私が描いた時も、迫力がほしいのでウソを承知で弾を炸裂されました。テレビや映画でもそーやってるもーん(大意)」と開き直りやがった、あのジジイ(笑)。
 関が原や大阪の陣のとき、少なくとも日本ではまだ巨大な鉄の玉が飛んでくるだけだった(もちろんそれだけでも破壊力や恐怖心はすごいものがあるが。)

この第二次ウィーン包囲のとき、大砲の弾は炸裂したのか?
これはみんな大好きウィキペディアを読んでも分からなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%B4%E5%BC%BE

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