NHKBSの「英雄たちの選択」で指摘された話。配信はいまのところないらしい。再放送は3月13日(水) 午前10:00 〜 午前11:00
・秀次事件は、やっぱり豊臣政権を決定的に衰えさせた。
・これは偶然だが、秀次とその一族の処断の直後に、伏見城をも倒壊させる「伏見地震」が発生。偶然とはいえ、世の人は……何かの神罰仏罰と、そりゃ思うだろうねぇ。
・最上義光、伊達政宗、浅野幸長、あと誰だっけ…ああ、池田輝政と細川忠興ね。この事件で、秀次に娘(つまり大名の「姫」様)が輿入れして、連座で処刑されたり、「日ごろから秀次と仲が良かったよな、お前?」と睨まれた諸大名ってのがいるが、結果的に関ヶ原でこういう大名はほとんど徳川家康に味方した。
(もちろん、それが原因と決めつけられまいが)結果的に、家康は江戸―東海道をスムーズに進軍できた。そういえば、東で足止めをするはずの会津・上杉や常陸の佐竹は、仇敵がタッグを組んだ最上・伊達に牽制されまくったんだよな…(ここで前田慶次が活躍したが)
・最上義光の娘は大変に悲劇的で「そもそも秀次と対面したかどうかもわからない」ほど輿入れして日が浅く、最上義光は必死で「家康を通じて」助命嘆願、それがぎりぎりで通って、助命を伝える早馬が刑場に走ったが、数百メートルの差で間に合わず
・最初に書いた伏見地震で、こういう時は大名は主人の警護に駆けつけるのが忠義のしるしだったが(歌舞伎「地震加藤」を観よ)、最上義光は真っ先に家康の警護に当たったとか。ギリギリの反抗を示したのか、それとも…
・そいえば、最上義光は伊達政宗と決戦をする場に、彼にとっては妹、政宗にとっては母親の義姫が割って入ったので休戦する、という挿話があったな。史実はしらんけど。
戦国大名が、人質に子供がとられてるとか嫁いでるとかで、どれだけ決断が左右されるかはわからん。
それを過大評価することもないのだろうけど、さりとて肉親に情がわくのも古今東西変わらない……名だたる大名家から輿入れした関白の側室たちが三条河原で斬られてそのまま「畜生塚」に入ったのは、やはり・・・・・・・