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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

人気ブログ「デマこい!」の、「日本が植民地にならなかったわけ」から、箇条書き雑感

日本が植民地にならなかったわけ/日本の「すごさ」の源泉 - デマこい! http://rootport.hateblo.jp/entry/2016/06/14/223000

がブクマがつくなど人気です。

このブログの書き手は、おもしろ啓蒙系SF「女騎士、経理になる」の原作者だったのか。(いまだにこの組み合わせには目を丸くする。なんで?)

女騎士、経理になる。 (1) 鋳造された自由

女騎士、経理になる。 (1) 鋳造された自由

女騎士、経理になる。 (2) (バーズコミックス)

女騎士、経理になる。 (2) (バーズコミックス)

あっ、もとはtogetterか

【空想”会計学”読本】「勇者、税務問題に悩む」&「女騎士、オーク一族の経理になる」 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/845822
#会計力の高い童話 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/845907 @togetter_jpさんから
ファンタジー国税庁と勇者の申告、女騎士の会計処理 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/845741


えーと、
記事に話をもどすと、はてブでも賛否両論。わたしもコメントしました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/rootport.hateblo.jp/entry/2016/06/14/223000

このブログ記事、その当方コメント(後述)にもちょっとあるけど「結論は同じ」「だけど内部の記述にはいろいろ異論あり」「ただテーマ、問題設定自体は面白い」と当方は考えていまして、なかなか複雑です。またそもそも、「日本が植民地にならなかったわけ」という問題設定は、いわゆる日本SUGEEE系のまとめ?などにその萌芽があり(なんかうっとうしい広告が、togetterの下とかに時々出てくるよな…)、そのパロディ的な意味合いもそもそもあったっぽいですな。


そんな複雑な話なので、「箇条書き」でむしろ感想を書いていきたいと思う。


・まず、16世紀―19世紀という長いスパンなので、最初と最後は状況がやっぱ違ってますよね、それも全面的に。16世紀、17世紀前半ではヨーロッパは、大航海時代を可能とする航海術では進歩していたけど、アジアの諸国家ににそうそう勝てるほどの武力も、それを遠征させる力も基本的にはない。そもそも、この当時はまだまだ東の大巨人、オスマン帝国の脅威におびえる存在だった。第二次ウィーン包囲は、日本では泰平にまどろむ1683年のできごと。


・欧州とアジアの軍事的逆転はどこで発生したか、ナポレオン戦争時代に、エジプトなどにはまぁ正面対決だと無双級になった…あのころの、少し前なのかね?アヘン戦争の時は完全に差がついていた。(もちろん距離の強みや地形、地の利を生かし、大量の兵隊を動員すれば局地的には勝利も可能であったでしょう。イウォークだって帝国軍を倒せる)


司馬遼太郎史観とあまり差がないっちゃない「風雲児たち史観」だが、敢てそれにのると「大砲の弾が爆発する(炸裂弾になる)ようになってから」西洋と東洋の軍事力格差が際立った、との指摘がある。




・「中国やインドネシアのように、高価な貿易品を算出するわけでもなかった」というけど、その前にこういう記述がある

残念ながら、当時の日本には、オランダ人のもたらす商品に見合うような工業製品がなく、もっぱら金・銀・銅・樟脳などを輸出していた。オランダ東インド会社の帳簿には「クーバン」という単語が記されているそうだ。日本の「小判」のことである。オランダ人は日本で仕入れた金銀を使って、中国をはじめ他国との貿易の決済に充てていた

今の感覚や新井白石のように「金銀は国家の骨」という考えなら、工業製品じゃなく金銀銅などが輸出品というのは「残念」という話になるかもだが、実際に当時、それらを大いに産出していた「黄金の国」なのだから、それはそれ相応に合理的だったでしょう。というか、それだけの金銀を産出するとしたら、西洋のならずものたちは「その金山を直接おれたちが支配して、直接掘ったらもっと儲かるぜヒャッハー!!…え?タイコー(太閤)、ショーグン(将軍)が支配してんの? …サド(佐渡)侵攻はあきらめるか…」というような思考経路があったんじゃなかろーか。


・ブクマに書いた話。

運が主因という結論は同意だけどあちらが望めば桑=生糸や茶、漆のプランテーションは作れたでしょう。「ショーグン政府あるからプランテーションは作れんな…」と相手に思わせた訳で

字数の関係で書ききれなかったけど、とうがらしだって大規模に育てれば胡椒なみの需要はあったと思うし、日本の陶芸品もシルクもそれなりに珍重されておりましたでしょう。
シャーロック・ホームズで陶芸品骨董の売買に絡んで、唐突に日本が登場したときは驚いたな。

「それを確かめるために少し質問してよろしいですか?私は申し上げざるをえない、博士、 ―― もしあなたが本当に博士ならですが ―― 、この一件はますます怪しくなってきた。あなたにお伺いできますか、聖武天皇について知っていることと、奈良の正倉院について天皇がどう関係しているか?おやおや、これでお困りですか?少し、北魏王朝について話してくれませんか、それと、陶磁器の歴史における位置づけについて」
http://www.221b.jp/h/illu-8.html

漆器はいまでも「japan」と呼ばれている。



・さらに、16-18世紀当時なら、どこにでもさらに「輸出品」はあり、実際に輸出も一部ではされていた。…つまり0.2馬力、汎用コンピューターつき一般作業機械…つまり「奴隷」だ、今の感覚では嫌悪すべきながら。だから、人のいるところ「資源、商品が乏しい」国は、ある意味ひとつもなかったのではないでしょうか?


・そしてそして、ウラル山脈を越えて東へ拡大し続けたロシアが、ウラジ・オストークを経由して大量に穀物を日本から輸入できれば、シベリア開発はもっともっと加速していたでしょう。日露戦争で勝てるぐらいに(笑)。つまり18世紀ぐらいでも、少なくともロシア・シベリア向けには「穀物、食料」を輸出して儲けるという選択肢はあった上で、タイクーンの政府はそれを政策として拒絶したのでしょう。
その結果として、農作物はすべて国内流通されたので、結果的にたべなきゃ腐る穀物はある程度貧困層にもいきわたり、深刻な天変地異をのぞいては深刻な飢餓が少なかったのではないか…とは以前から言われている仮説なのだが、結論はどうだったのでしょうね。


・記事中にこうある。

ヨーロッパ人たちは、いわゆる「二虎競食の計」を実行した。まず武器の提供などで特定の王国を支援して、お互いに戦わせたのだ。スルタンたちは世代を重ねるごとにヨーロッパ人への依存度を高めるようになり、やがて傀儡政権へと堕した

まったくその通りだとは思うが、逆に言うと「日本は16世紀末に、全国的な統一権力を確立できたからこそ西洋が『二虎競食の計』を仕掛ける隙が無かった」と言えるのではないか。それが「運」か、ひとつの優れた点とみるかは人それぞれだろうが。


・ここで逆に、「もし16-17世紀に日本が植民地化されるならどういう手段があるか?」のIFで考えるとわかることもあろう。自分の乏しい想像力では「キリシタン大名と西洋の結託」、というシチュエーションしか浮かばなかった。つまり逆に言えば、戦国三英傑の天下一統、そしてそのアンカーたる徳川家康の築いたタイクーン政府が安定せず、あと100年、戦国乱世が続いていたら、生きるか死ぬかの戦を隣国としている時に、西洋に武力、経済力に依存する大名は九州とかに生まれた可能性は高いと思う。「キリシタン大名」の支配も二代、三代に及んだろうし、「教皇領寄進」によって外国に介入の正当化をする余地も出てきただろう。


・ザビエルがやってきてキリスト教の教えを伝えたのが1549年。秀吉の伴天連追放1587年。関ヶ原、1600年。慶長の禁教令、1612年。約60年で強圧的に、世俗的権力を持つキリスト教勢力が一掃されたことは、良くも悪くも「二虎競食」で浸透する手がかりを失わせた、とは思う。


・ただ、こういう時に「やはり外国と組むのは、この日の本で別の大名と戦をするのとは、ちょっと違うよなあ…」という意識があったか、どうか。
このへんの「日本意識」とか「統一性の感覚」は、ちょっと主観的な評価も入るので考えるのが難しい。ただ、こんな話とかもあったらしい。

文禄・慶長の役を巡る明・琉球・島津氏の情報戦 http://kousyou.cc/archives/6855


…特筆されているのは、秀吉に反感を持っている諸大名の存在だ。特に島津義久は『心中では一日たりとも秀吉への恨みを忘れていない』(上里P155)と報告されているという。
この報告書を元に、明政府では密かに島津氏懐柔工作が実行に移されている。1595年と98年にそれぞれ使者が島津義久の下を訪れて豊臣政権からの離脱を促した。

辺境の蛮賊王、トヨトミが銃を率いて中原をうかがわんとするとき、明はまさに「二虎競食」を計じて、鬼石曼子(グイシーマンズ)こと島津を「日本国王」に封じ、九州独立戦争が勃発…なんてのも、あり得ないではないかもしれないIFだと。


・幕末における「二虎競食」はありえただろうか。小栗が中心になった「幕仏同盟」や、会津の対仏借款申し込み、対馬租借をめぐるあれこれ、下関戦争賠償…いろいろなギリギリな状況はあった。


・ただ、井沢元彦氏の指摘だが、この時の革命原理のひとつが「国学」であり、その国学がたぶんに「宗教的排外主義」の傾向があるから、それがいわゆる「売国」を防ぐ効果があったろう、と。朝鮮の「東学党」、清の「義和団」などもそうだが、たしかに宗教じみた排外主義的熱狂は、外国の侵略に対して抵抗するエネルギーにもなる。


・また、ペリーの黒船に端を発した開国外交において、江戸幕府の外交交渉はたしかに金銀為替比率などのチョンボもやったが、かなり有能で国際情勢、科学知識も踏まえていた…というのが最近の見立てだ。特に同時代の非ヨーロッパ諸国の役人たちの外交と比べると(対外交渉における腐敗の少なさなども含め)、面白いかもしれない。
 



・小川寛大氏(全日本南北戦争フォーラム事務局長)が「南北戦争警察」として登場