統一地方選、
注目の大阪で結果が出た。たかじんのばぁー。(意味不明)
そのおかげで、過去の当ブログ記事にも来客がある。当ブログ記事っつっても、雑誌「宗教問題」発行人にして南北戦争研究家の小川寛大氏のツイートを表示しただけにすぎんのだが、まぁこれ以上ないほど的中させたわけで。
この選挙直前、そしてこの後も、小川氏はいくつかツイートしている。
ここに寄り道するより、直に見たほうがいいんでないかい。
たとえばこんな興味深いツイートをしておられるぞ。(以下抜粋、ぜんぶではない)
<投開票直前>
予想。大阪は維新が勝つ。自分は政治ジャーナリストではなく、単なる宗教ゴロに過ぎないので維新の内情などというのは分かりかねるが、大阪公明党の混迷ぶりがちょっとなあ。大阪自民党なんてのはもう本当に論の外。そして今回の大阪の選挙は、創価学会「常勝関西」の“終わりの始まり”になりかねない。
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2019年4月6日
選挙の予想なぞバクチか占いみたいなもので、明日自分は大恥かいてるかもだが、大阪公明党が維新を押さえ込むシナリオがどうしても想定できない。無論「勝ちに不思議の勝ちあり」だが、同時に「負けに不思議の負けなし」で、自分の情報では大阪の自公が負ける分には十分な理由がある。
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2019年4月6日
<選挙後>
大阪の選挙、この結果が出たから言えるが、創価学会・公明党でハッスルしてたのは、ほぼほぼ関西の関係者のみ。関東で結構いい地位にいる人でも「特に首長選で絶対に勝てるわけがない。どれだけ恥をかかずに終わらせるかだ」みたいな話をしていた。後は府議会、市議会でどれだけ維新が勝つかだ。
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2019年4月7日
これ以上はカネになるとこで書かにゃならんからネットではいい加減にしとくが、今回の大阪の選挙が教えてくれるのは「公明党(創価学会)は所詮、公明党(創価学会)でしかない」ということを周囲は無論公明・学会関係者すら忘れかけてたということで、目が覚めたらいいんだが覚めなきゃより悪くなる。
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2019年4月7日
大阪は2首長選と府議会過半数を維新が制し、まあ市議会過半数は無理だったが4戦3勝。そして公明党はグタグタになって今から事実上の「折れます」宣言をしてる。自分の視点としては、あとは公明の「折れ方」が一局面でとどまりうるか、「常勝関西」崩壊の序曲となるかだ。 pic.twitter.com/hY8nhe99DO
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2019年4月7日
最近でかい選挙があるたび書くけど、自分は単なる宗教雑誌の編集者で政治ジャーナリストではない。自民党の内情とか安倍さんの心中とか、何も知らんしウオッチもしてない。しかし今の日本政治の動きは創価学会を見てるだけでほぼほぼ当てられてしまう。自分が言うのも変だが、これはあまり健全でない。
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2019年4月7日
続き 「民意神学」の難問…?いや、一貫させようと思えば簡単に一貫するけど、そうしない場合が難問なんだがね!
同じ「首長選挙」で合わせるために、ことしの住民投票ではなく、昨秋の知事選のほうにリンクを張ろう。
www.asahi.com
www.nishinippon.co.jp
ryukyushimpo.jp
・・・・・・・・まあ、その、なんだ。
これが周囲にソンタクしない「選挙民意原理主義」に立てば、別に迷いはないのですよ。
「沖縄は基地反対。大阪は都構想推進(少なくとも、再度の住民投票実施)。どちらも、それを公約として全面に掲げた候補が勝利したことで、当該地域の民意は示された。それを尊重せよ」と。
あるいは「首長選挙は、個々の問題はそれはそれで、ダイレクトに民意を反映しているわけではない。というか、大所高所の見地に立てば、当選候補が目玉スローガンにした政策を、必ずしも実現する必要はない(国や他自治体が、賛同する必要はない)」という、別の意味の「選挙民意否定原理主義」に立てば、これも迷わないのですよ。
【大阪知事選&市長選は民意、沖縄知事選は民意ではない/沖縄知事選は民意、大阪知事選&市長選は民意ではない】、こういう話だと、ちょっとそりゃ整合性に難がある。
まぁ、たとえば、あのクロス辞職&立候補はトリッキーな戦術に過ぎた、とか沖縄はその後、あらためてワンイッシューでの住民投票を行ったので民意が補強されている、とかそのへんのことが争点になるのでしょうか。
選挙というのは、最終的には票の数で、一番多い候補が当選するに過ぎない。そこに、何の意味や正統性を付与するかは、やはり一種の「神学」とならざるを得ないのでしょう。
たとえば2005年の小泉郵政選挙は衆院の解散だから、本来は法案が審議され否決された参議院の構成にはいささかも変化を与えないのだが、それでもそれが「民意」だとして参院も態度をあらためるべきだ、との意見が優勢になり、実際に参院では再度民営化法が可決された。(衆院再議決で必要な三分の二以上を自民が取ったからかもしれないが)こういうのが「民意神学」だと思うのです。
さて、社説来た
www.asahi.com
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