何の気なしに図書館で借りて読んでみた、この本から。
『月光仮面』『ウルトラマン』『金曜日の妻たちへ』は、テレビのアヴァンギャルドだった。テレビドラマ、テレビ映画の面白さの秘密はどこにあるのか?新たなテレビ表現論への試み。
自分はこのへんのことをもう知っているかな?という前提だったのだけど、考えてみたらせいぜい自分の知識は「ゴジラ」や「ウルトラマン」であって、その前の白黒テレビ…月光仮面や快傑ハリマオはほとんど知らないのだ。
しかし、実はファンタジー的な創作の系譜は、テレビという大枠で語るならこちらのほうが源流のものも多い訳で、大いに蒙を啓かれました。
しかし、月光仮面は最初期待されない=製作費がほとんど出ない、であり…10分番組で10万円、駆けずり回って増額して15万円!! 当時のアメリカテレビ映画は30分で400~700万円の製作費だった時代にだ。
そのせいで、製作者の家が応接間は探偵事務所になったり、ガレージが悪のアジトになったり。銃撃戦の背景には買い物帰りのおばちゃんが歩いているなど、低予算というか、アマチュアの自主製作映画なみのアラが『月光仮面』には目に付くらしい。
そもそも鞍馬天狗などの時代劇をやりたかったところが、予算がないので、それを現代劇にしたのだという。
そして、その中心にいたのが当時29歳の西村俊一。この本によると月光仮面のなまえも、それを「菩薩」になぞらえたのも川内でなく西村の発案だったとか。
ま、それは前段で、本論に入ると、もともと時代劇を撮りたかった西村は、月光仮面やハリマオの成功で、その機会を手にする。
それが1962年の「隠密剣士」。初期は幕府の密命で、将軍の異母兄が隠密として諸国を回る…という設定だったが、やや地味にすぎて1クール目は苦戦。そこで、2クール目から「忍者」を登場させたら大ヒットしたという。
当時から、そういう路線変更はあるんだ(笑)。
この番組に先行して山田風太郎の忍法帳、白土三平の忍者武芸帳、横山光輝の伊賀の影丸などの系譜があり、どれも人気だったという。
忍術から忍法になる時代でもあった。
で、この西村氏の回想。54P
西村俊一が考え出した「テレビ映画」的時代劇は、ただ連綿とストーリーが続くのではなく、一回につきひとつ、視聴者のおしゃべりの材料になりそうな「目印」を盛りこむことだった。その目印が、当時小説や漫画でブームの気配があった忍者物の「忍法」だ。
「隠密剣士」のような世界をやってみたいという気持ちはずっと前からありまして、「快傑ハリマオ』で海外ロケしたときも、夜はヒマでしたからアイディアを書き出していたんです。これはいろいろな忍者物の先がけでしたから、いき制作を始めてみると、わからないことが多くて苦労しましたね。
西村俊一はほとんどのプロットを自ら考え、宣弘社の社員だった伊上勝こと井上正喜がそれをシナリオ化して、一か月分ごとにまとめて現場に渡した。第一章でもふれたように、「隠密剣士」が大ヒットの兆しを見せはじめた第二部以降は、毎回さまざまな「忍法」の目白押しだったが、そのアイディアも西村自身が必死でひねり出したものだった。
土遁、水遁、火遁というポピュラーな術はもちろんのこと、”甲賀忍法むささび落とし”、”燕隠れ”、”まんじ風”。と興味津々の秘術を次々にタイトルにして子どもたちを強く魅きつけた。
「少年俱楽部」に育てられ、たいへんな歴史好きでもあった西村は郷土史の資料などもいろいろと蒐集していたが、時代考証がなかなか細かいところまで具体的につかめないのは現在と同じであって、忍者の行動の実際を映像化するにはイマジネーションを要した。
したがって、「隠密剣士」には西村の空想による設定が頻出しているのだが、後の時代劇では期せずしてこれらの西村の制作によるパターンがあたりまえのように模倣されることがたびたびあった。「例えば忍者が刀を逆手に持つポーズ。これは、忍者にとってそもそもは戦うことより逃げることが目的なので、逃げやすいようにと思って私が考えたんです。それから手裏剣もとがっていては危ないから、卍型にしたらどうかと思ってやってみたんです。
すると、「隠密剣士」の後から出てくる番組で、さもそういうのが昔ほんとうにあったように描かれているんですよ(笑)。けれど、そんなはずはないんですよ、私が考えたんだから(笑)。そういう例がけっこうあって、おかしなことだなあと思って見ていました」
へえー。最近は忍者研究が進んで、一時は忍者そのものの実在が疑われていたがそんなことはなく、いろいろ裏付けが見つかっている。忍者研究が一段新しいステージに入った…ともいわれる
m-dojo.hatenadiary.com
m-dojo.hatenadiary.com
おれも白土三平からしか知らんしさ。
忍者の実像の実態的研究は平山優氏や磯田道史氏に任せて、この「忍者・ニンジャイメージ変遷史」をだれかまとめてくれたら、すごく面白くなりそうなんだけど。すでにそういう本あるのかな?しかし外国語できないと研究できそうもない…
忍者の逆手刀も卍手裏剣も、1人のテレビマンの創作が常識化した【創作系譜論】 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp小堀流の卍字手裏剣というのがあるのだがあれは偶然の一致なのかそれとも実は真似たのか/フィクションの忍者についてなら『忍者文芸研究読本』という本がある
2020/12/29 19:29
tobuakaei.hatenablog.com
しかし、この開発された忍者の「刀の逆手もち」はもう、何の他意もなくパクられてるようだ。
それに、なんと隠密剣士は1962年作品だが、海外にバンバン売れて人気番組だったんだとか。ザ・サムライと言う名で、オーストラリアとか、さらには東南アジアではほとんどの国で放送された。
日本エンタメ・サブカルの海外展開ではアトムに負けない速さじゃないかな??そしてそれが、後年の海外の忍者ブーム、そしてニンジャという概念、名称、キャラクターが完全に「定着」する先駆けとなったのであろう。
その海外のニンジャ概念の中に、「カタナ、ニホンサーベルを逆手に持つ」も、「スワスチカ型のスリケン」も確実に刻み込まれている。
ほらこれ。
※追記 上の引用イラストに対して
気になったのですが、日本語版ウィザードリィのイラストは国内書き下ろしなので、それを掲載しても海外で逆手持ちや卍手裏剣が広まってるということにはならないと思いますがいかがでしょう?
— 小太刀右京/Ukyou Kodachi (@u_kodachi) 2020年12月31日
…にしても。こういうささいなディテールに関しても(いや、むしろディテールこそ)、自分のアイデアが模倣され、それがパクリやモノマネを越えて「〇〇といったらXXなのが常識でしょ?知らないの?」になり、それが世界中に広まったクリエーターの気分ってどういうものなのかね。
憤懣やるかたないのか、最高の名誉だと誇らしくなるのか、「いや、そこまでマジにとられると…」と、生まれ変わりをマジに信じられた某漫画家が声明をだしたような、何か空恐ろしさを感じるのか…。
m-dojo.hatenadiary.com
エルフの耳が長いのもダークエルフが褐色なのも、みんな僕のせいみたいです(笑)
副島氏:
自分なんかの世代ではもう、エルフといえばディードリット、ドワーフといえばギム、みたいなイメージなんですよ。出渕裕氏:
よく言われるんですよ。エルフの耳が長いのは、お前のせいだって(笑)。副島氏:
いろんな方から聞かれてるのかもしれないですけど、実際のところはどうなんですか?出渕氏:
当時はそう言われて初めて「えっ、そうなの?」って。それこそ自分の中のイメージでは、エルフの耳はあれぐらい長いものだって、なぜかインプットされていたんです。
news.denfaminicogamer.jp
togetter.com
(了)
追記 実際の逆手切りの話や、同年の「座頭市」など
1962年同年、勝新太郎の『座頭市』が公開されてるんで、西村氏だけかどうかは分かりませんが、流派にはなさそうですね。ナイフの逆手持ちはどうなんだろう https://t.co/xkg9H1dab4
— CDB (@C4Dbeginner) December 29, 2020
そろそろ「逆手持ち」について書いておくか - 火薬と鋼 https://t.co/Q5xBL4cGdH
— CDB@初書籍発売中! (@C4Dbeginner) 2020年12月29日
「逆手刀」の殺陣、これは牧冬吉考案説と近衛十四郎考案説も聞いた(読んだ)ことがある。
— 高井 忍 (@takaishinobu) 2020年12月30日
忍者=逆手刀を定着させたのは『隠密剣士』でいいとして。 https://t.co/E8YvfVPs27
どーぞ、どーぞ。
— 高井 忍 (@takaishinobu) 2020年12月30日
西村俊一氏は『隠密剣士』のプロデューサー、牧冬吉氏はレギュラー出演者でしたから、どちらにせよ「逆手刀」=忍者のアイデアは『隠密剣士』の現場から出てきたものと判断してよろしいかと。
近衛十四郎説は忍者ではなくて、超近接からの不意打ち殺陣としてやったという話でした。
うむ、逆手の型が無効だとか現実的ではない、という話ではない。「忍者は戦闘を最小限に抑え、そこから脱出するのが主目的だから逃げやすい様に刀を逆手持ちする」/「それが忍者の一般的な構えだ」というのが西村氏の創作だというおはなしです。
残念ながらあまりブレイクしなかった作品だが、MASTERグレープより
m-dojo.hatenadiary.com
第一話試し読み
gekkansunday.net
twitterの方で「バズったので宣伝」やった
「バズったので宣伝」を初めてやります。
この記事を載せたブログ
https://m-dojo.hatenadiary.com
は基本、テーマが雑多すぎるが、似た分野はカテゴリ「創作論」で読める。
m-dojo.hatenadiary.com
起源やお約束を考えるツイートを見つけたら集める、こういうまとめも蓄積中。
togetter.com
追記 「卍手裏剣」について、この説を覆す?新資料が!!
2021年1月18日の投稿ツイート!·
昭和18年刊行 成瀬関次「手裏剣」
— 習志野青龍窟 忍道家🥷 (@3618Tekubi) January 18, 2021
に卍形手裏剣の詳細が書されている。
記事にある西村俊一氏が卍形手裏剣を最初に考案したとの言説は違う様だ。
「手裏剣」の発行時で西村氏はまだ15歳。
忍者と手裏剣のイメージがテレビで創作された事に関しては概ね異論ない。
画像は甲野善紀先生より頂きました。 https://t.co/GukPA3fAm3 pic.twitter.com/2CYEbVqViX
古いツイートに失礼します。
— BAN@薩摩忍者(武術・民俗)系youtuber (@BAN_kagoshima) 2021年4月7日
卍手裏剣は西村俊一さん{1928年(昭和3年)4月24日生}のアイディアとの事ですが、手裏剣文化の研究良書と言われる「手裏剣(成瀬関次 著・昭和18年4月発行/西村さん15歳)」には既に変形十字手裏剣として紹介されていますね。 pic.twitter.com/F5OVwYqDNC
2024年追記
とりあえず、手裏剣の形状についての一覧があるのは藤田西湖の『図解手裏剣』…国会図書館デジタルで検索するとでてきますが、小堀流万字手裏剣というのがあるはあるです。町田さんも指摘されてますね。ただしこの本が1964年で、隠密剣士が1962年…うーん、微妙…https://t.co/Z0VglZkMCt
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) 2024年2月21日
他にも成瀬関次の本についての言及が記事にはありましたけど、それは国会図書館デジタルではでてこなかったので、検索したら日本武道体系に万字手裏剣のコレクションの写真を掲載されている斎藤先生の記事がありましたね。時期は大分さがりますけど…https://t.co/Qp8mipzwZL
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) 2024年2月21日
ついでに、国会図書館デジタルで「万字手裏剣」「卍手裏剣」で検索すると、前者では1964年のものが一番古いですが、後者は1960年でした。国会図書館限定なので読めませんけど…徳南晴一郎は漫画家なんで、これも漫画でしょうが、ここらが隠密剣士の元ではないかしら。https://t.co/CXNr1Nkh8D
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) 2024年2月21日
小説ですが1953年出版の川口松太郎『皇女和の宮』に卍形手裏剣が登場します。以下は再録された全集です。創作ですが1962年~の隠密剣士よりは遡れます。https://t.co/dnAcMkwmyd
— 町田@司書・システマ使い・火薬と鋼運営 (@machida_77) 2024年2月22日
その卍形の手裏剣について吉川英治と川口の対談に登場します。https://t.co/6EU9Kb96zv
吉川英治と川口松太郎の対談には、川口の発案ではなく実物を見たことはないがそういう物があることを知っていて書いたという話と、川口がこの対談の前(昭和33年以前)に展覧会で実物を見たという話があります。実在流派にあったかどうかはともかく、この時代に話と実物はあったということです。
— 町田@司書・システマ使い・火薬と鋼運営 (@machida_77) 2024年2月22日
【創作系譜論】※準タグです。この言葉でブログ内を検索すると関連記事が読めます