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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【メモ】隠密が諸国の大名を調査し、幕府に報告ーという文書は実在する(土芥寇鱷記を紹介する「殿様の通信簿」)

磯田道史の本を図書館でまとめて借りてたので、こっちも紹介しておこう。

水戸黄門は、名君ではない!
史学界の俊秀が、新潮新書武士の家計簿』につづいて世に問う新たな歴史像。
幕府の秘密文書による生々しすぎる大名の素顔。

史料「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」──それは、元禄時代に大名の行状を秘かに探索した報告書だったのか。名君の誉れ高い水戸の黄門様は、じつは悪所通いをしていたと記され、あの赤穂事件の浅野内匠頭は、女色に耽るひきこもりで、事件前から家を滅ぼすと予言されていた。
各種の史料も併用しながら、従来の評価を一変させる大名たちの生々しすぎる姿を史学界の俊秀が活写する歴史エッセイの傑作。

「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」…元禄期に書かれた書物。幕府隠密の「秘密諜報」で、公儀の隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府の高官がまとめたもの、とされる。当時の大名243人の人物評価が載っている。現存するのは一冊のみ。

目次
はじめに
徳川光圀――ひそかに悪所に通い、酒宴遊興甚だし
浅野内匠頭大石内蔵助――長矩、女色を好むこと切なり
池田綱政――曹源公の子、七十人おわせし
前田利家――信長、利家をお犬と申候
前田利常 其之壱――家康曰く、其方、何としても殺さん
前田利常 其之弐――百万石に毒を飼うべきや
前田利常 其之参――小便こらえ難く候
内藤家長――猛火のうちに飛入りて焚死す
本多作左衛門――作左衛門砕き候と申されよ
あとがき
文庫版あとがき

著者の言葉
過去の歴史をみているのに、現代をみているような感にとらわれることがある。江戸時代の殿様の姿をみていると、とくにそうで、現代社会に通底する大切なことが、時折、ちらちらとみえる。
殿様の暮らしぶりをみていて思うのは、ひとつには、生活が豊かになり、ぜいたくが可能になってきた段階で、人間はどのようになってゆくのか、ということである。殿様たちは江戸時代のなかで未来を生きていた、といっていい。現代日本の我々と同じように、飢えを知らず、やわらかく、うまい食事に箸をつけた最初の日本人たちであった。
(「あとがき」)

磯田道史(いそだ・みちふみ)
1970(昭和45)年岡山市生まれ。歴史家。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。2018年3月現在、国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞受賞)、『天災から日本史を読みなおす』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『日本史の内幕』など著書多数。

ここの前書きは端的にまとまってて、非常に手際がいい。このへんが磯田氏がひっぱりだこになるゆえんだろう。


実は「殿様の通信簿」というものがある。『土芥寇鱷記』(とかいこうしゅうき)という元禄期に書かれた本で、一部の史家には知られた書物だが、一般には知られていない。この『土芥寇鱷記』は、本というよりも、幕府隠密の「秘密諜報」といったほうがよく、公儀の隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府の高官がまとめたもののようである。書き写すことが、よほど厳しく禁じられていたようで伝来する写本が少なく、世界に一冊しか残されていない。戦前には、旧広島藩主浅野侯爵家がもう一冊もっていたらしいが、この一冊は原爆で焼かれてしまい、現在は一冊しか存在しない。
この書物を世に出したのは、東京大学史料編纂所の金井圓教授(当時)であった。金井教授は、この書物が、
1:おそらく標高官が隠密の「探索」に基づいて書いたものであること、
2:元禄(1690)年ごろに書かれたもので、当時の大名二百四十三人の人物評価を載せた稀有な書物であること、
3:現存するのは東京大学史料編纂所所蔵の一冊だけであること、

などを明らかにし、昭和四十一(一九六七)年に、みずから原文を解読されて、この書物を活字化された。これが校注・金井川「土芥寇催記」である。「土芥寇鱷」とは聞きなれない言葉だが、「孟子」にその出典がある。
「君の臣をみること、土芥のごとければ、すなわち、臣の石をみること寇鱷のごとし」
という一文、江戸時代には「四書五経」を、そらんじているのが、教養人の基準になっていたから、「孟子」のなかの「土芥寇艦」という言葉は江戸の士人にとっては、ごくありふれた言葉であった。
「殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を親の仇のようにみる」
そういう意味である。この「土芥寇鱷記」には、水戸黄門も出てくれば、浅野内匠頭も出てくる。水戸の黄門様が、どんな人物だったのか。赤穂浪士討ち入り事件の浅野内匠頭は、どのような殿様であったのか。
大石内蔵助は本当に名家老だったのか。この極秘資料を読めば手にとるようにわかる。ただ、この「土芥寇経記」は江戸時代の少な言で書かれていて,原文は読みづらい。内容を現代語に直しながら、元禄期の殿様たちの生々しい生活ぶりにせまることにする。

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殿様の通信簿


感心するのは「抜け忍」とか「公儀隠密」とか、忍者関係は講談俗説のたぐいが多いじゃないですか。
だから「面白いけどフィクションなんだろうな」的に思う所がある。しかし、「公儀隠密の諜報資料と思われる、諸大名の行状を報告する文書が現存し、そこには水戸黄門から浅野内匠頭まで有名大名の実名と評判が載っている」という、この事実だけでスゴイじゃないですか。

こういう実例があれば、また逆に想像の翼を、さらに広げることもできる。
たとえば「なろう」とかで時代劇を書いてる人もいるのだろうけど、そこに出て来る架空の殿様や藩について『それらに関する「土芥寇鱷記」での記述では…』とやれば、ぐっとリアリティが増す。これには続刊があり、そこに描かれていた、的な設定とかもね。


磯田本は、その個別の内容についてもいろいろと面白く…、
なんと水戸黄門については「悪所通いは困ったものだ」という噂とか、いろいろ。

ただ磯田氏は水戸光圀は好奇心がつよく、いろいろな文人墨客に実際に会っているが、身分差の関係で、そういう人物に”天下の副将軍”が会える場所はむしろ吉原などのお座敷しかなかった。むしろ文化サロンととらえるべきだ」と弁護している。
この設定ひとつとっても面白く応用できるんじゃないですかね??

ほかも前田家の徳川対抗思想とか、池田家とか浅野家とか、いろいろ磯田流の解釈があり、それは個人的には、目立った異説が出ているそれらの大名家についてむしろ「王道」のほうに判断を引き戻す傾向があると感じている。
このへんのこと、可能ならあとで書いてみよう。





ただ、上の本でも「おそらく」という形であり、公儀隠密とか幕府高官がまとめたとかの断言はしていない。
ウィキペディアでは、「だれがどの目的で書いたかは不明」という、慎重な記述をしている。

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