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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

人類の「文化」開始は約5万年前。意味なく、石器を左右対称にし始めたことでわかる(磯田道史)

磯田道史氏は、テレビ司会も務め、講演の予定は4,5年先まで埋まっているという売れっ子だが、著書も面白く、人気と実力を兼ね備えた初代タイガーマスク的存在だと思う。
磯田氏の、高校での講演をまとめた「歴史とは靴であるー17歳の特別教室」という本で、ちょっと面白いくだりがあったので紹介しよう。



人間の「文化」の始まりとはわたしが丸めて要約した言葉で、
要は、人類はいつから行動を学習したり他人の経験を行動に生かしたり、抽象的な概念やシンボルを理解できるようになったのか…という話です

そんなのわかる訳がない、と思う所だが
だいたい5万年前からだ、という説が有力、なんだそうだ。

そんなことなんでわかるの?
石器の形でわかるのだという。

…石器は長いあいだ、かたちが残る。 そうするとこんなもの(※黒板の絵)がみつかる。 石器を使ってモノを切ったり刻んだり刺したりするだけならば、別にどんな形だって全然かまわないわけです。
ところが、これ、わかります? 左右対称になっている。これでもか、というほど、こだわって時間をかけ、左右対称な石器を作りはじめます

学者たちは――人類学者たちも――これを「凝り」と呼びます。見てくださ い、両方が同じになるまで......。もう絶対に両方同じじゃないと気がすまない、石器作りに「凝る」オタク原始人がいたんですよ(笑)。
このころに生きるのはつらかったはずです。なぜかといえば寒いんです。なにせ、 この鎌倉あたりが札幌ぐらいの気候でした。そのなかでこんなちっぽけな人類がナウ マン象とかマンモスとかと戦うわけです。
そんな状況下で、石をサッと割っただけ、よく切れたらそれでいいはずなのに、どうしても美しい形にこだわる連中があらわれています。やっぱりこの時代あたりから、人類はなにやら不思議なことを考えているらしいことがわかるのです。

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磯田道史の講演より 「石器を実用的な意味もないのに左右対称にしたところから人類の文化は始まる」


たしかに気づかなかったが、なんなんだろうね。「まったくひょうげた石器よのグヒヒヒ」とか「石器を磨くなど蛇足…」とか言い出す、石器時代古田織部千利休もいたのだろうか。
同時期に人類は「針」を発明し、高度で複雑な服が作れるようになる。「ビーズ」という、まったく実用性のない装飾品も洞窟の遺跡から出て来る様になる。

かくして、人類は文化を生み、その成れの果てでブログやらSNSを使い始めるのであります(笑)


森恒二「創世のタイガ」では、石器時代にタイムスリップした現代人グループが「こんなに人類の進歩を速めていいのか?」と葛藤しつつも、生活の必要のためにさまざまに発明を伝えるのだが、服装の進歩についてもちょっと語っていたな。

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創世のタイガ、服の進歩


その一方で、「まだ『神』(という概念)はこの時代には早いのではないか?」とかの議論もしている。
対立するネアンデルタール側についた別の現代人グループは早々に「神」を伝えて結束しており、そこが今後の対立点になりそうだ。

そういう概念にしても、文化にしても「いつが起点なんだろう?」を考古学的に考察できるのなら面白い。