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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【要調査】「朕は国家なり」異説異伝。「神に拠る王である以上、我欲でなく『国』として振る舞う(べし)」との意味?

ウラリー㌠ @urary7776時間前
そもそもの話をするなら、「朕は国家なり」は「国王の統治権は人民からの信任によるものではなく神によって授けられたものであり、王は我欲や貴族の資金援助に左右されることなく『神の正義』『法の支配』の下、私人としてでなく国そのものとして判断を下す」という意味であって「俺は国そのものだからなんでも好きなようにやるぜ」という意味ではないですよね?

ここのコメント欄における
togetter.com

この方のコメント
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紹介した通りなのかは、ちょっと分からない。だがちょっとアンテナに引っかかったのは、かすかにこういう記憶があるからだ。

自分は今でもこのブログで取り上げるように、最終的には形而上学的なものになる「主権論」あるいは「支配の正統性/正当性」をめぐる議論というのが、高校ぐらいのころから好きでした。
だからホッブス、ロック、ルソー当たりのことを詳しくまとめた社会の世界史や倫理教科書・資料集などはだいぶ眺めたし、岩波文庫ぐらいに収録されている古典はどれも手に取った記憶がある。「手に取った記憶」という書き方は、つまり通読したかといえば…(笑)いや、正確には「通読したかどうかも覚えてない」だが、それなら読んでないのと同じだろ(笑)

だけど、そんなパラパラ読みの原典そのものか、解説書だったか……

「王権神授説」。
なにも資料が無くても「ボシュエ」という名前が出てくるぐらいには、やっぱり覚えてた!といま一人でカンドーしてるけど、確かその辺の解説を読んで…もともと、王権神授説なんて、国民主権人民主権の解説の引き立て役として登場。夢枕獏だったら8人用意するやられ役のひとりで「王権神授説は、…の人民主権論で乗り越えられた」みたいな扱いだったんだけど、どこかの解説書には、けっこう詳しく書かれていて…で「へー、なんだ。王権神授説なんて、暴君に媚びて全面委任するタイコモチの理論だと思ったら、一応なにやら精密な理論を構築してるんだな」と、感じたことがあるのです。

ただ、その印象だけで、詳しいことは全部忘れてしまった。

だから上のコメント、ん?とひっかかる部分はあるものの、どの程度の根拠などがあるのかは全く分からない、という宙ぶらりん状態。

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市民政府論 (光文社古典新訳文庫)

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ただ、さらに思うことあり。
話は「ロードス島戦記」と「ドラゴンボール」に飛ぶんだけど、
ロードス島戦記には、邪神崇拝の宗教が出てきて、その教義が「汝、心の欲することを為せ」という欲望の全面開放。
ドラゴンボールでは、一時世界の支配者になったピッコロ大魔王が「法律などという者は廃止する。なんでも好きなことをやれ」と布告し、地球全体がバイオレンスジャックの関東無法地帯状態になる、というくだりがある。


でも、その両方を見て、なんかリアリティの無い話だよなあ、と思ったのでした(ピッコロのほうは、別に世界を支配した上で庶民から税金やら徴兵やらをしたいわけでないだろうから、実はその範囲ではあり得るっちゃあり得る。リアルな世界の支配者としては、こうならないよな、という話)

どんなに悪の支配者でも、自分が100%の悪だったり、自分のやってることは100%の私欲だということには耐えられず、かならずそこに「正当化の欲望」が生まれるはずであろう、という話。
まあ「本願ぼこり」や「金剛戒」とかなんかいろいろあるとは思うけど、それもそのまま「ヘイ悪一丁!!」ではなく、正義のノリをまいたり正当化のしょうゆを塗ったりと「ひと仕事」してるもんだと思うのです。


だから王権神授説と、その象徴である「朕は国家なり」が、掘ってみればそれなりに精巧な正統化のロジックをまとっていることは十分にあり得ると思うのです。
それはもちろん、ルイ太陽王が、その通りにふるまったことを意味しない。ルイの言葉と対を為すようで為してない「王は国家第一の僕」、とか言ったフリードリッヒ大王の実際の振る舞いや、労働者の国を作ると公言したボルシェビキの所業より乖離が小さいものでもあるまい。
だが、そういう正統化の論理のほうを忘れてしまうと、支配の正統性と、その根本に置かれたフィクション性まで忘れる危険がある。


余談 王権に「神」がくっつくと、逆に結構制約される、という話。

これはイスラムが世界の中心に位置していた、アッバース王国爛熟期の「暁の矢」のおはなし。

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アッバース王朝時代の「暁の矢」。宗教への恐れがカリフをも束縛する(ムロタニツネ象 世界の歴史)

こうやって貴族や宗教界などに力が分散しているため最高権力者もやれる権限があまり大きくなくそんなこんなの制約があるのが「中世」。
銃を持った「常備軍」のチカラが大きくなったため、王の権力が強まり絶対王政なるものが生まれたのが「近世」というのが、通俗的な解釈だと思うけど、まあいろいろ違うかもしれません。

ルイのオヤジであるルイ13世が、三銃士の時代ってことでいいんだよな。リシュリュー出てるし。彼は「朕は国家なり」に先立つ名言
「ペンは剣よりも強し」の出典であることも有名。初出の意味が、人口に膾炙した通俗な意味と比べると「うーーーーん」なことも有名。
ja.wikipedia.org