古(いにし)へも 今もかはらぬ 世の中に 心のたねを 残す言の葉
いちおう、「本好きの下克上」配信をabemaTVのおかげでそれなりに見られている。
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粘土板や木簡で試行錯誤していた主人公は、ついに「紙」の試作品も作れるようになったのだ。
学研まんが「発明発見のひみつ」では、けっこうちゃっちゃと蔡倫が作ってたのだけど(笑)、あれはあれで行政官の立場を利用してチャイナ全土の「紙前史」みたいなものを集めて、そのいいとこどりをして作った、というからな。紙のKをとっての「K-1グランプリ」だ。
紙の発明(紀元前2世紀頃)
紙は、紀元前2世紀頃、中国で発明されたと考えられています。当初は試行錯誤しながらいろいろな方法で紙が作られていたようですが、西暦105年頃に蔡倫(さいりん)という後漢時代の役人が行った製紙法の改良により、使いやすい実用的な紙がたくさん作られるようになったと言われています。
ちなみに蔡倫が紙作りに使った材料は、 麻のボロきれや、樹皮などでした。
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しかしそうやってリアル世界史で、そしてあの物語世界では主人公が生むであろう「紙」は、本当にその後、世界に大いなる貢献をしまくった。何しろ薄い、軽い、折れる曲がる畳める切れる‥‥そして保存性がありまくる。
最初に紹介した一種は、「古今伝授」の継承者でもあった戦国武将・細川幽斎の詠んだ句である。その背景には、関ヶ原に関連するこういう一件があった。大変感動的なので、ご一読を。
さて、それはそれとして、このあと紙と本があの物語内でも生まれるとして・・・・・・ある本に、直接は書かれていないけど、敷衍するとそういう結論になろうという視点があって、興味深かった。
それがタイトルに謳ったテーゼである。
『このあと、何千年と歴史が重なるとしたら、後世の人の歴史区分は「紙記録時代」/「電子記録時代」となるだろう。そして今が、その歴史区分のまさに転換期なのである』
、・・・・・とね。
実際、王朝の交代や憲法改正の時期、あるいは領土統治、経済システムの変化……そういった区分ではなく、日常使われている土器の様式によって、いまの日本はご先祖の歴史を区分しているではないか。「縄文時代」「弥生時代」と。
このアイデア、視点を提供したのは井沢元彦「逆説の世界史」1巻である。
去年だったか、呉座勇一氏に無茶な議論をふっかけてたが、あれは呉座氏が評した「井沢氏のやってることの功績は『歴史ライター(自分で新資料を読んで新説を掲げるのではなく、先行研究を紹介して自分の文章でまとめる人)』のそれである」という言葉をふつうに、それはありがとう、と受け取っとけばよかったのにそうせず自滅した感あり。
まさにその「先行研究をまとめて紹介する」ところ、そして今回のように超巨大な視点、「疑問設定・問題設定」の手腕を、自分は大いに評価している。そこから井沢説もワンオブゼムとして、個々に思考すりゃいいじゃんねー。
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で、この「紙記録時代/電子記録時代」については、こう書いてある。
私はこれ(通常の時代区分)とは別に、情報器積ツールに何を使っているか、という分類もありだと思うのだが、 それで分けるなら「紙以前と紙以後」に分けるべきだろう。 つまり、紙というのは、それはど偉大な発明だということだ。 紙の出現によって、骨などに比べたら格段に優れていた粘土板やパピルスを誰も使わなくなった。
実際の時代区分としては、中国からイスラム世界を経由して西洋世界へ紙の製法が伝わったタラス河畔の戦い(Battle of Talas/751年)あたりを分水嶺とすべきだろうか。 それ以後、世界は「紙時代」に突入したのである。 それから数えれば千二百年以上の長きにわたっていた「紙時代」。 今それが終わりを告げようとしている。
文明の発達と共に、紙という情報書積ツールを超えるものが遂に登場したからだ。 それはハードディスクなどの磁気ディスクであり、CDやDVD などの光ディスクであり、SDカードなどのフラッシュメモリー、 つまり電子メディアである。……図書館いっばいの蔵書を、将来的 には1枚のディスクに収めることも可能になるかもしれない。しかも、紙よりも保存期間は長くなるだろう。
(略)
…ただし、紙の本というものはしばらくは残るだろう。紙には、電子メディアより一つだけ優れた点がある。それは閲覧するための機器を必要としないということだ。
生まれた時から「本」に親しんでいる世代、それは私もそうだが、そうした世代が生き残って いる間は「本」も生き残るだろう。しかし、それから先は、生まれてから「電子版の絵本」しか 読んでいない人々が大人になり社会の主流となる。 そうなれば「本」は次第に消えて行くだろう。ちょうど、パピルスが今は観光土産としてしか 残っていないようにー。
今は、まさに紙時代から電子メディア時代への大変革期なのである。
今の世の中を、「電子記録時代」の黎明期と位置付けるというのは、一種のSF的視点、ともいえる。
たとえば、あるSF作品…地球と、独立しようとする植民地惑星の戦争があるとしよう。そこで、たとえば登場人物がこう語る訳ですよ
「貴公、シンゾー・アベを知っておるか?」
「アベ?『電子記録時代』最初期の人物ですな」
「ああ、貴公はそのアベの尻尾だな」
「私が?」
みたいなやり取りがあるのですよ、たぶん(笑)。
いや、俺にとってのSFというのは…ここで説明なしに、すっといまこの21世紀初頭を、『電子記録時代最初期』と言い換える、こういうのが俺にとってはSF、センスオブワンダー、「すこし・ふしぎ」なアレなんですよ!逆に言えば、これ以上の科学設定、超ひも理論がどうこうとか言われてもわからない(笑)。
そう、とにもかくにも、そんな視点… 世界史を「紙無し時代」「紙記録時代」に新たに区分し、その上で今、「紙記録時代」から「電子記録時代」に移ろうとしているんだ、そんな歴史的視点を心にひめつつ、「紙無しから紙ありの世界を作ろうとしている異世界チートの主人公」を描く、『本好きの下克上』を見たり読んだりするとまた別の面白さがあろう、という話でした。
【記録する者たち】
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