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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

"呉座の入寇"受けて整理・保存しておきたい、井沢元彦の「歴史学者批判」(最近の甲陽軍鑑話を中心に)

タイトルの「呉座の入寇」ってのは「刀伊の入寇」をもじった話なんだけど、「刀伊」とか「入寇」って単語登録されてるかな。あれ、個々には駄目だけど「といのにゅうこう」だと変換される…のかな?そんなことはどうでもいいけど、今年はその「刀伊の入寇」からちょうど1000年の記念の年なんですよ!

wikipedia:刀伊の入寇
刀伊の入寇(といのにゅうこう)は、寛仁3年(1019年)に、女真族満洲民族)の一派とみられる集団を主体にした海賊が壱岐対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件。刀伊の来寇ともいう。

余談ばっかりで進まないんだけど、こっから本題。


GOZAポーズで知られる(ほかの紹介の仕方はないのか)呉座勇一氏が、百田尚樹氏の「日本国紀」を批判するコラムを書いた。なお、GOZAポーズに関してはこちらを参照
togetter.com

日本国紀

日本国紀


その中で、こんな風に話が展開される。

www.asahi.com

 先週も取り上げた百田尚樹氏の『日本国紀』(幻冬舎)に対しては、参考文献が記載されていないことを批判する声がネット上で見られた。私の見る限り、古代・中世史に関しては作家の井沢元彦氏の著作に多くを負っている。

 そのことを象徴するのが、足利義満暗殺説の採用である。


実はこっちこそがある意味本丸で、つまり100田さんはジョジョでいえばゾンビか、吸血鬼にすぎない。その力を与えた、大本のディオ・ブランド―か或いは柱の一族に相当するのが井沢元彦だ、とGOZA・ジョースターは踏んでいるわけ。百田というよりその根本の井沢氏を批判する、というふうに、この記事で踏み込んでいる…
agora-web.jp

私は井沢元彦説に批判的である。…井沢氏は『逆説の日本史』などの著作の中で、日本の歴史学界を厳しく批判している。学界に身を置く私には、それは時として罵倒にすら感じられる。学界の歴史研究者は視野が狭く頭でっかちな専門バカである、と井沢氏は再三述べている。歴史学者が発掘し、歴史学者が読解した史料を利用しているにもかかわらず、である。それに比べれば私の批評はむしろ生ぬるいぐらい…

…史料がないから確たることは言えない場合、「わからない」とはっきり認めることが歴史学者の「勇気」である。作家は個人だが、学者は学界の一員である。現時点で答えが出なくても、将来史料が出てきて答えが出るかもしれない。次代の研究者に後を託すのもひとつの見識

……史料に書いていないことを想像で埋めるのは歴史小説には有用だが、歴史的事実を解明する上では有害である。仮に作家の想像が、後に史料で裏付けられたとしても、それはその作家の手柄ではなく、ただのまぐれ当たり

で、この井沢批判を理解するのに必要な「そもそも井沢元彦は何を主張しているのか」について呉座氏は
shuchi.php.co.jp
というコラムを引用しているのだが、実は、同じテーマでありながら、もう少し詳しく、それも「従来の歴史学者批判」の面が大きい論考が、ここにある、という話をお伝えしたいのだ。
私もなんだかんだと井沢元彦のこのシリーズを継続して読んでいるし、ブログの参考にもいろいろしているからね。特に「問題設定力」を評価している、という話も、以前どっかに書いた通り。


ま、本題に戻って、「井沢の歴史学者批判」がもっと端的にわかる論考とはなjにか
それは……ここから、ちょっとばかり行くのはお手数なんだが、実は「Dマガジン」(の、なかの週刊ポスト連載記事)なんだ。
www.nttdocomo.co.jp


井沢元彦が「逆説の日本史」で、1000回以上の長期連載(単行本は累計500万部以上とか)をしているのが、週刊ポストであることはいうまでもないだろうけど、実は昨年11月(11月16日号)、突然、明治時代を論じている通常シリーズを中断して、「臨時シリーズ」の長期連載を開始した。
それが「特別番外編 甲陽軍鑑偽書説の崩壊について」でありんす。

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井沢元彦「逆説の日本史特別番外編 甲陽軍鑑偽書説の崩壊について」

NHK「歴史秘話 ヒストリア」の放送を受けてのものだった。ここで、こういう話にスポットが当たったのが、とてもうれしかったらしい。

www.nhk.or.jp
エピソード2 「甲陽軍鑑」は偽書なのか
明治時代、近代的な歴史学が始まると「甲陽軍鑑」に疑いの目が向けられます。これは後世の創作、「偽書」なのではないか…? 以後、ほとんど顧みられなくなった「甲陽軍鑑」にひとり光をあてたのが国語学者酒井憲二でした。その「言葉」からのアプローチは、甲陽軍鑑に再び命を吹きこむことに。


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井沢元彦「逆説の日本史特別番外編 甲陽軍鑑偽書説の崩壊について」

画像以降の部分をテキストで続けよう。

…要するに小幡景憲と言う「ペテン師」が武田家家臣高坂昌信の名を騙って デッチ上げた「ニセ史料」だ、と決めつけているのである。誇張ではない。前述の番組「歴史秘話ヒストリア」では戦国時代史の権威でもある小和田哲男静岡大学名誉教授が「甲陽軍鑑」について、かつて日本歴史学会は「いわゆる偽書、虚妄の書。ウソが書いてある」としていたと明確に証言している。
 
ところが現在はその小和田名誉教授も、同じく日本中世史の権威である黒田日出男東京大学名誉教授も 「甲陽軍鑑」を史料として高く評価し「自宅の疑いをかけた人はナンセンス。生きた戦国時代の叙述」であるとまで言い切っているのだ。

この発言の重みがわかるだろうか?「偽作の疑いをかけた人」というのは、 具体的にはこれまでの日本歴史学界の戦国史の専門学者、つまり同じ業界の先輩や同僚たちほとんどすべてを指していることになる。なぜなら「甲陽軍鑑偽書である」説は学界の定説だったからである。それが完全に誤りだったと、大御所達が公式に宣言したということなのだ。この決断と勇気には敬意を表するが、これがこの番組の最大の歴史的意義である。



かくいう私は(略)「甲陽軍鑑偽書ではない。高坂昌信が残した真実の記録だ」 と、何度も繰り返し述べてきた。そのために地方公演や歴史シンポジウムなどの場では、大学や恩師から「甲陽軍鑑偽書説」を叩き込まれた学者や研究家からバカ扱いされた。「シロウトはこれだから困る」という侮蔑の目で見られたことも一度や二度ではないところが彼らの方が完全に間違っていたのだ。私が快哉を叫んだ理由がおわかりだろう…(後略)

番組はオンデマンドで、あとから配信を見ることもできる
www4.nhk.or.jp
www.nhk-ondemand.jp


てか、そんな講演会やシンポジウムがあったのか(笑)見たかったな。
ただまあ、井沢氏本人が「出雲に超巨大建造物あったはずだ説」と並んで、「自分が正しかった!専門家が間違っていた!」としている「甲陽軍鑑偽書でない」話だが、呉座氏の、既に引用した「まぐれ当たり」論というのは既にそれへの反論として想定したものであったのではなかろうか。再度引用しよう。

仮に作家の想像が、後に史料で裏付けられたとしても、それはその作家の手柄ではなく、ただのまぐれ当たりである。当たった時だけ「ほれ見たことか!」と喧伝する、たちの悪い占い師や予言者と何ら異なるところがない。

そりゃそうだ。ただのまぐれ当たり、っう話じゃない?
……という話について、実は井沢氏はこのシリーズで再反論をしているのだ。山本勘助甲陽軍鑑について、自分はこういう形で信憑性を判断したのだ。それが間違ってるんか!!と。
そこを引用しよう

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井沢元彦「逆説の日本史特別番外編 甲陽軍鑑偽書説の崩壊について」

テキストでもう少し補足。

山本勘助もかつては実在しなかったとされていた。明治時代の東京帝国大学教授で、歴史学会の大御所田中義成は江戸時代の大名が「山本勘助は信玄の側近ではない。その家臣の山県昌景の身分の低い家来に過ぎなかった。ところが勘助の息子が僧侶で父親の活躍を大げさに書いたのが『甲陽軍鑑』だ」という説を丸呑みにして「偽書説」のさきがけとなった。もう、ずっと昔に死んでしまった人だが、私は初めてこの説を読んだ時「東大教授かなんだか知らないが、本当に常識のない人だな」と思ったものである。
 
お分かりだろうか。息子が父親を顕彰するために書いたのなら、「敵将に父親の勘助が作戦を見破られ死んだ」と書くはずがないし、百歩譲ってそれを認めたとしても「勘助は責任を感じ立派な最期を遂げた」と かくだろう。しかしそんな記述は「甲陽軍鑑」には全くないのである。
 
それにこのこと(※引用者註、「このこと」とは勘助軽輩説、息子が盛った説のこと)を書いた大名は別の軍学の門人だ。生け花であれから手であれ流派が違えば他流派の悪口を言いがちなのが人間だ。これは高校生には分からないかもしれないが社会人ならわかる常識だろう。つまりこの大御所にはそんな常識がまるでないのである。
 
 しかし注目すべきはそれだけ悪口を言っているのに勘助の歴史的実在自体は決して否定していないということだ。にもかかわらず、その後を受け継いだ奥野高広という歴史学会の大御所はその著「武田信玄」(日本歴史学会編集、吉川弘文館刊)で「勘助は架空の存在である」と断定してしまったのである。

疲れたんで、もう一度画像で〆る

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井沢元彦「逆説の日本史特別番外編 甲陽軍鑑偽書説の崩壊について」



長々と引用したが、
要はこんな流れ

呉座「井沢氏の説は陰謀論的なものが多い。(そして百田氏はその亜流)」
 
井沢 「甲陽軍鑑歴史学界は偽書とか言ってたが、結局は偽書説が否定されたじゃないか。それは俺のかつての主張と一致してる、ドヤァァァッァア!」
 
呉座「史料が無いことを断言しないのは当然。もしその後資料が見つかって、断言してたことと一致してもそれは「まぐれ当たり」にすぎない」
 
井沢「俺は、まぐれ当たりじゃないんだよ。『偽書ならこの人物が失敗したとか、作戦が見破られたと書かないよね』という常識に基づく状況証拠の推論をして、当てたんだよ!それを「一理あるよね」と検討してればよかったじゃねーか」

実はいまんところ、そもそも井沢氏と呉座氏は直接のやり取りをしているわけじゃないから、上のような対話篇は実在しない(偽書説)。ただ、両者の発表されたテキストを対比させると、そういう流れになるワケ。


ただ、惜しむべし、呉座氏の「アゴラ」で井沢歴史論を検証するときに使ったテキストより、もっと端的な資料がこの「逆説の日本史特別編」だったのだけど、約3カ月前の週刊ポストを探してきて読むというのは、やはり骨だったのだろう。最後の太線部分、これには触れられずに終わっているのである。
だから、まずは「こういう回が最近ありましたよ」「dマガジンで読めますよ」ということだけでも知らせておきたいのだ。そして戦火が、ますます燃え広がったら面白いよなあ…と思うのです。

「Dマガジン」無料試し読み期間を使えば、これらのコラムも無料で読んで離脱できるよ


dマガジン 体験ムービー ver.2

資料的に記録しておくと
井沢元彦「逆説の日本史特別番外編 甲陽軍鑑偽書説の崩壊について」は全4回で2018年の
11,16
11,23
11,30
12,07 号にそれぞれ掲載された。最初の回がdマガジンで配信されているのは、2月4日まで。


いや、自分も使いこなせているわけでも、読みたい雑誌を全部読めているわけでは全然ないけど、オトクなもんですよこれは?小見出しに乗せてるように、もしお金を払うのがいやなら、お試し30日をやってそのまま離脱すればいい。今回の「呉座の入寇」をきっかけに、この「dマガジン」での井沢元彦甲陽軍鑑回だけでも読んで、dマガジンを体験するきっかけにしては?と、dマガから何かもらってるわけではないけど(笑)、おすすめしておくのです。

呉座勇一氏のこの前出た、陰謀論批判中心の新書

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

togetter.com

「国家鮟鱇」さんがこの話題でブログ記事かいた

tonmanaangler.hatenablog.com
tonmanaangler.hatenablog.com





埋め込みやってたら膨大になってしまうので
国家鮟鱇 on Twitter: "この記事評判が高いみたいなんだけど、俺には何か違和感あるな。「証拠が出ない限り絶対ダメだというのが歴史学界の頭の固さ」という批判に対する答えはどこ?
https://t.co/nJQzLmz4AB"

を開いて、その「ツリー」を読んでもらう方がいいようだ。


【追記集】その後3月、井沢元彦氏からの反論が出る

togetter.com

その後、メディアを渡りながら、論戦が続いた。

ネット上でのまとまったもののひとつが2019年6月のこれ
gendai.ismedia.jp