INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

井沢元彦「逆説の日本史」がみなもと太郎「風雲児たち」にエール。「幕末を知るためにおすすめだ」

まず私のtwitterの書き込みを(少し追加)。

連載中の週刊ポストで、かなり長期間幕末を論じてる井沢元彦「逆説の日本史」は今週「この時代を知るには、みなもと太郎風雲児たち』(コミック乱掲載)がお勧めだ」とエールを送った。
思想や肌合いが違うだろう2作者だが、現在進行形の創作物として同じ幕末時代を描いているので、両方の読者である俺は「よきライバル」としてその異同を比較しつつ読んでいる。

と、いうことです。この二つが同時進行に近いので、読み比べると面白いよ〜というエントリは以前から書こうと思っていたのだが、片方の作者に先を越されるという嬉しい出し抜かれ方をした。週刊ポストは100万部雑誌、まがりなりにも宣伝効果も高いだろう。

井沢はあっちこっちで異論いろいろ受けながら、ともかくシリーズを10年以上(もっとか?)書き続けて幕末まで到達したが、面白い趣向として「幕末は事態が同時進行で、しかも細かい事件が発展して明治維新になるので、ペリー来航から明治までは1年ごとに書いていく」ということにした。
すなわち「1853年編」「1854年編」……とね。
まあ司馬光以来の編年体なわけだが、実際にこの形式は分かりやすい。
(↓これはその幕末の前の話)

逆説の日本史17 江戸成熟編

逆説の日本史17 江戸成熟編

「陰謀」「暗闘」は解釈次第。だから面白い。

ところで、以前、この大河漫画「風雲児たち」の現在の展開を紹介するとき「風雲児たち 安政の大獄編」と、勝手にここをクローズアップして独立した一篇だと定義した。俺の勝手な解釈だが、ここを「シーズン:安政の大獄編」というひとつの独立した漫画と見ると、非常に入ってきやすいのだ(大河漫画は、その大河の悠久さによって入る前からくじける読者もいる。「シーズン」分けは結構効果アリ)。
 
同時に、この「安政の大獄篇」は個人的には漫画で「陰謀・政治闘争・権力闘争をどう描けるか?」という大きな挑戦もやっていると思っている。漫画はこれらを元来、描きにくいジャンルだというのが持論……なのだが、やり方によっては逆に一番向いているのかな?なんて感じることも。
ゆうきまさみ版「機動警察パトレイバー」を私が時代を越えた傑作と見なすのも、シャフトの暗闘など権力闘争を巧みに描いた漫画だから、という部分も大きい。


そしてまた「風雲児たち 安政の大獄篇」を読んでいて思ったのは「あ、これは作者の解釈、想像がかなり重要だなあ」ということ。

・武将Aが、XXXの闘いに置いてB軍を撃破!!
・大名Cが、治水工事をみごとに成功させてコメ生産が22%増加。しかし400万両もの負債に藩は苦しんだ…


といったことは数字や資料で裏付けられる面が多いし、逆にそういう資料が無いと、いくら想像やフィクションを入れていいったってマズい。

しかし「京都からの手紙に、井伊直弼は大いに動揺した!!」とか「このとき、徳川斉昭は油断していた」というのは・・・・「いやー、わたしは動揺しました」とか手紙に残っているってこともあるかもしれないけど、実際のところはその後の歴史の事実から後付けで解釈されていることが多い。そうするしかないし、それゆえに我々は合理的に分かっていく。
幕末のような複雑怪奇な諸勢力の暗闘は、だから書き手が大いに解釈・推理していくしかない。

で、評論の場合は「あくまでもここは推測だが、わたしは・・・と思う」「ここはXXXXで間違いないだろう」と強弱をつけやすいが、漫画やドラマは「シーン」としてこれを描くので、いろんなチョイスから選んで断定する傾向になっていく。

「井伊は手紙に動揺した」というのは「ふむこれも想定内よ、と冷静に受け止めた」という解釈もありえたかもしれないが、漫画やドラマではそこを決断し、キャラクター造形を固めて、そして積み重ねていくのだ。
(「風雲児たち」はそれでも例外的に、推測部分や異説はナレーションを多用してフォローしている作品だが)
そして、その政治の複雑怪奇さがあるからこそ、政治を一番大きく動かしながらも、その思想と行動が究極的には「政治」を全否定している吉田松陰の”聖なるおろかもの”さが光り輝くのだ。

風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)

風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)

その現在進行のスリリングさを見よ。決して史料を引き写せば「風雲児たち」が描けるわけではない。そしてそのスリリングさって、ひょっとして雑誌連載ならではの醍醐味かもしれない。