例の、「ジンギスカンというのはモンゴルにとって敬愛と尊敬の対象だから、なんかモンゴル風なんて命名してる変な日本の肉料理に名前を使うなよ」という話あったじゃないですか。
「チンギスハンに敬意を払わないといけない」ってそんなに自明なんだろうか、うちの国モンゴル帝国に侵略された経験あるんだけど
— 柞刈湯葉(いすかりゆば) (@yubais) July 17, 2019
ま、このへんは日本国天皇への(外交的)敬意とアジア諸国の意識、という部分にもかかわってて、そっちから考えるのもおもろぞうし。
では本題へ
https://t.co/uySlOKQv8M そういう事言う人にとって、これは「チンギスハンに敬意を払ってる」ことになってるんでしょうか…
— 845@C96金曜南エ35a (@845sha) July 17, 2019
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その後、公開停止となったようだ。
こちらは大丈夫かな…?
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自分は、好きな外国語曲の歌詞は結構知りたがる方だと思うけど、これはあんまりに曲のノリがいいので、そう思わなかった。なんちゅうか、すさまじいね。というか、歌う時の衣装がチープで素敵(笑)。偽モンゴルのコスプレでは長い伝統を誇るプロレス界的には親しみがある。
そういえば、このバンド(いま書いてて名前を思い出せん…)って、ジャンボ鶴田の初期入場曲「チャイニーズ・カンフー」のひとたちじゃないだろうか。違ってたらすまんね。「目指せモスクワ」という曲も歌ってたが、目指したのはジンギスカンのことでいいんだろうか。ナポレオンやヒト…じゃないだろうな。
歌詞の話に戻すと、「騎馬で軍団の戦闘に立つ」「気に入ったものは略奪する」「女を自分のものにする」などなどは、ドッカの料理とはちがって、資料的にもわかる歴史的な事実であろう。その場合は、鍋とは違って、「事実を歌にしたのだから何が悪い」と拒否できるのかしらね。
てか、この話じゃねえか。
徳川家康公は、東照大権現としてまつられた宗教的な存在である。それを貶めるような描写は「宗教への冒涜とヘイト」となる、と言われたら、つー話。我ながら予言すぎるわ…
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こっちの後半部分でも、まったく同じ内容の話を、対象を変えて論じている。徒手空拳から、一代でアラビア半島を征服した、軍事的・政治的大英雄の話…そこは「再放送」しよう
帝王ムハンマド、将軍ムハンマド…彼は「戦国BASARA」ぐらいには扱っていいんだよ(たぶん)
どでもいいんですが、ムハンマド本人について。
あの人、歴史の教科書を素直に読めば分かりますけど、基本的にツワモノ。つまりですな、他の聖者賢人はというと
・獄門磔
・毒を飲まされて処刑される
・政治家失脚後、就職できないままうろうろして生涯を終える
・一応教団としては成功したが、自分が王子してた祖国全体が滅亡
なんですけど、ムハンマドはアラビア半島を統一、そこに君臨したまま栄光の生涯を終えたのです。
「酔うては枕す美人の膝、醒めては握る天下の権」。
いやムハンマドは酒は飲みませんね、失礼しました。
はてなキーワードにもかくある。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E0%A5%CF%A5%F3%A5%DE%A5%C9宗教家としてはイスラム教の開祖。アッラーの預言者。生年570頃〜西暦632年没
アラビア半島を統一してイスラム帝国の礎を築いた点で政治家や武将とも呼べるんだろうか。うむ呼べる。
日本ではまだ、蘇我氏排除のクーデターすら起こってないころですが、大陸では中華最大級の名君・太宗 こと李世民なんかが活躍していますね。両者の残した巨大帝国は、その後タラス河畔で激突、そして「紙」がイスラーム世界を通じて西洋へ…と続きますが、それは余談です。
両者が直接闘ったらどうなっていただろう。
さて、何が言いたいカというト。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43751_27955.html荻生徂徠は煎(い)り豆を噛んで古人を罵るのを快としてゐる。わたしは彼の煎り豆を噛んだのは倹約の為と信じてゐたものゝ、彼の古人を罵つたのは何の為か一向わからなかつた。しかし今日考へて見れば、それは今人を罵るよりも確かに当り障りのなかつた為である。
(「侏儒の言葉」 芥川龍之介)国を動かし天下を揺るがした歴史上の英雄豪傑も、その1億分の1も歴史を動かせないサラリーマンの酒場の席や、ブロガーのキーボードによって批判批評揶揄、あげくのはてには美男化・女性化されても文句はいえない、というかスタンダードだってことです。
まあ日本だって、例えば南北朝の魔帝ゴダイゴを論じるのには多少の時間を要したわけだから状況は理解できなくも無いが、ムハンマドを、「世界史の一角に大きな足跡を記した武将にして帝王」と考えると、例えば織田信長や坂本龍馬を論じたり創作したりするような感覚で、彼のことを受け止めやすいのではないか。
もちろんそれは、彼のことを「この世に唯一絶対の存在であるアッラーから啓示を授かった、最終の預言者」であるとみなす人たちの認識を、さまたげるものではない。