実に面白い一節をtwitterで見つけたので紹介したい。
不信仰(クフル الكفر)よりも悪いのは、何かをアッラーと同等の存在として見ること(シルクالشرك)。アッラーに帰依(イスラームالإسلام)しないのならしないで構わないから、あなた方の価値観をコッチに持って来ないで、というのがムスリムの声である。
— なつめやし無料配布(3狼目) (@SoheStsk) 2017年6月23日ということなので
— なかはた@中国のどこか (@cider1d1l) 2017年6月23日
「日本人は宗教に寛容なので仏様もキリストもアッラーもみんな八百万の神なのよ」
みたいな不寛容極まりない言い方を外国人にはしないように気をつけよう https://t.co/AnnGPpPgri
わっはっはっのわっはーぶ…いやおかしくない。「アッラーのほかに神なく、ムハンマドはその預言者なり」を一丁目一番地とする信仰ならば、そう信仰者は考えるのであろう。
そこになんの不思議もない。
ただ、極東に暮らす無明の徒が、そう考えない。そして、「アッラーのほかに神なし」とは思わないが「アッラーも尊い、おいなりさんも尊い。お大師様も尊い。立川のアパートに住んでる2人も尊い。」と皆を敬う方もいましょう。
パーやんもこう言うてるではないか。
別に「全ての神は等しく尊い」が「アラーの他に神なし」より優れてる訳ではない。その逆もそう。/どっちも「勝手にそう思ってろ」。(それしかない!)
ま、話はおもしろいのだが、結論はごくシンプルだ。
■宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3
(前略)
元ネタをぞんじあげておりませんが、いや笑ってはいけない。・宗教的な「見なし」の権利、
・「証明不可能・相互無視」
というふたつの原則について語るとき、このネット流行語はたいへん有用ですヨ?
(略)
…「おまえがそう思うなら…」はい、「安重根はカソリックの福者」だろうと、「台湾の戦没者は『英霊』」だろうと「コーランは『我が闘争』と同じだ」「聖書は完成されたコーランがもたらされる前の不完全な教え」だろうと、このAAはすべてを解決してくれるじゃないですか。
これを冷笑、攻撃のAAと思っている人がいるようですが、そうではなく、相互尊重、異文化尊重…じゃないな(笑)、やりなおし。
尊重はしてなくても「相互不可侵」はできるでしょ。
つまり「相互不可侵・異文化不可侵」の象徴なんですよ。
つまりは・・・・そういうことです。
もちろん、「八百万の神」信仰を、こう考える人もいる。
韓国の一部では、日本の多神教(神道?)信仰を指して「雑鬼の国」と呼んでいるそうだ(宗教における見なしの自由」)http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151220/p2
日本は神の国とかいうけど、韓国のキリスト教の信徒は「日本は雑鬼の国」ともいう。
— spark (@Yonge_Finch) 2015年12月18日
というわけで
「アッラーのほかに神なく、ムハンマドはその使徒なり」
も
「仏様もキリストもアッラーもみんな八百万の神なのよ」
も
「日本は雑鬼の国」
もご信仰である限り、同格同価値と考えるのがよかろう。これらのどれかが「不寛容」である考えるより、それぞれに信仰にちがいがあると考えるがよい。
みんなちがって、みんないい。
「分け登る_ふもとの道は多けれど_同じ高嶺(たかね)の_月を見るかな」
それでもどれが正しいかは、賢者ナータンの「指輪の教え」で決着を
【「三つの指輪」寓話の要約】
・ある家の正統後継者には代々「この持ち主は、必ず偉く、幸福になる」とされる指輪が伝わっていた。
・ところが…ある代の当主には3人の兄弟がいたが、父親はその全員をすべて愛し、誰を後継者にするか決められなかったのでこっそり寸分たがわぬ模造品を2つ作り、3人にそれぞれ渡したのだった。
・3人の兄弟はそれぞれが「自分の指輪こそ本物だ!」と不仲になって言い争い、最後は裁判所にこの紛争が持ち込まれた。
・この裁判官が大人物だった。彼は、こう判決を下した。
「互いの指輪を贋物だと批判しあうのではなく、それぞれが懸命に生きて、最後に、幸せな人生を送ったと皆に思われるかどうかで競い合いなさい―――」
(これはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教間の争いと和解を寓話にしたものである)「私はあなたがたに、裁決ではなく、忠告を与えよう。ものごとをあるがままに受け取りなさい。それぞれが、自分こそ本物と信じるのだ…各自が本物であることを証明するように努めなさい。心穏やかに、我慢強く、神さまに気に入られる良き仕事に精を出しなさい。私は千年のちにあなたがたをこの判事席の前に紹介しよう。そのときには、たぶん、この椅子には誰よりも賢明な判事が座っているだろう」
- 作者: ミリヤム・プレスラー,森川弘子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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私はアラビア語(アラビア書道)で「アラーは偉大なり、他の神々が偉大なると同じく」と書いて、旗にしたい。
世の中には、アラビア書道というものがある。
https://www.jaca2006.org/
沢木耕太郎が、この日本人書家を「彼らの流儀」というノンフィクションで紹介していた。
イスラム国の黒旗 pic.twitter.com/gHyKDoWp31
— 陸軍大佐 (@XEqt5dk13OOygZS) 2016年12月11日
「文字の美しさを極限まで追求した芸術です」アラビア書道家・本田孝一 https://t.co/ygcIAyTBIO
— まりにゃ教皇 (@adonaijjireh) 2017年5月23日
「アラビア書道自習帳」というのを見つけました。「言語:英語」とあり「おお?」となったものの、どう見ても英語じゃなかった(しかもルクア体的な、もしかして:手書き というような)。うーん世の中甘くないなあと思いました。https://t.co/8bEdy4HbYE pic.twitter.com/QcwHPqmxhM
— the_mathnawi (@the_mathnawi) 2017年4月27日
で、自分はアラビア語を読めないし書けないから、どこかの機会があれば、だが…
アラビア語に、いま見出しで掲げた
「アラーは偉大なり、他の神々が偉大なると同じく」
という言葉をアラビア語に訳して、それを書道としたものを入手したい、と思っている。
何か、方法はないだろうか?