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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「イスラム教徒が、他宗教の国で差別されるのは当然。嫌なら帰れ!」……と、イスラム法学者(中田考)が言っている(季刊「宗教問題」)

「宗教問題」という面白い題名の、ちょっと面白い季刊雑誌があります。
前の号まではamazonでも買える

宗教問題9

宗教問題9

宗教問題10

宗教問題10

のだが、なぜか最新号はpdfじゃないと出てこない。
http://www.jrc-book.com/order%20seet/syuukyou/9908526_03.pdf

この最新11号には、イスラム国への”義勇兵”問題で一躍有名になったハサン中田こと中田考氏がインタビューで登場している。

そこでの質疑が、相変わらず世俗とのずれをまったく隠す事無いので、賛否がどうとかいう前に「いさぎよい」。

(略)…カリフ制を再興させ、イスラム法の執行されたダール・アル=イスラムイスラムの家)を作り上げる必要があるのです。
 ちなみにダール・アル=イスラムの対義語にあたるのがダール・アル=ハルブ(戦争の家)と呼ばれる世界で、つまりイスラム法の執行されていない地域のことです。日本などは最初からこの範疇に入ります。
イスラム教的に考えれば、このダール・アル=ハラブではどんなにひどいことが起こっても仕方ない。その意味では「日本ではイスラム教への無理解がひどく、差別されている」などと主張する、日本在住の外国人イスラム教徒の考えかたなどはおかしい。そんなことはダール・アル=ハルブであれば当然のことで、それがイヤならば自分の出身地に帰ればいいだけのことです。

どうだ、このクリアさ。
良くも悪くも(この場合悪くも、と自分はみなすが)これが「宗教的正義」というやつで、聖なるコーランと、イスラム律法に照らして「ダール・アル=ハルブではムスリムは差別される宿命。イヤなら帰れ」と、宗教的に正しいと考えれば、それは宗教的正義として成り立つのだろう。

わが世俗国家はそれと別の世界に屹立し、「いやいや、あんたらの宗教法ではそうだとしても、我らにとってはそれは一宗教の考え方だから。世俗の法に基づき、ムスリムも平等に権利を持ち、国家の暴力装置によって保護され、支配される」とできるはず、であり、現にそうしなければならない義務を憲法上持っているはずだ。
 
だって、そうじゃないとこれをそっくり裏返した形で、このようになる。

ダール・アル=イスラムイスラムの家)の中では、決してイスラム教徒以外の存在が許されないということではないのです。キリスト教徒や仏教徒などの異教徒でも、イスラム教世界の秩序を乱さないという誓約をして、ジズヤ(人頭税)を支払えばイスラムの家のなかで自治を認められるんです。
そこに”対話”や”相互理解”があるわけではありませんが、物事が障害なく回っていれば、それでいいじゃないですか。それで十分に”共存”していることになりませんか。


「特定宗教の信者は、特別に税金を支払え」という議論が、当然のように唱えられるそんな世界。いいも悪いも、これが「宗教的正義」というものなのだよなあ。

中田氏のイスラム法解釈が、どの程度主流派なのかとかはわからないが、まず根本、基本のところでそうなんだよな、ということをあらためて再確認する、面白いインタビューでした。
ほかに麻生幾オウム真理教事件当時の回想とか、大月隆寛氏と上祐史浩氏の対談とかがある。