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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「イスラムと近代自由社会は『講和』を。理念が一致しない敵同士だと認めつつ…」という議論について紹介

もとは、ブックマークが500もついたここ。

「差別する自由」はある https://anond.hatelabo.jp/20170916180720

ここで、例にあがったものがイスラームの各種規定についてであった。

イスラム教のモスクに、酒や豚肉を持ちこもうとしたら拒否されるだろうし、女性が露出の多いファッションで入ることも拒否されると思う。

ここではイスラム教の価値観が絶対視されていて、それにもとづく作法が強制されている。異教徒は客人として扱われ、その作法に従わないときは排除されるだろう。これは「差別」である。

  

私は他者危害にならないかぎり「差別する自由」を擁護する。イスラム教徒がモスクの中で異教徒を差別してよいと思っているし、それは当然だ。

同様に、キリスト教の教会はキリスト教徒のために存在し、仏教の寺院は仏教徒のために存在すればよい。そこに市民社会のルールを持ちこむべきではない。

その種の議論は、うちはようけやってきてました


だから、端的な一口話にまとめています。

性的指向で差別されてはいけませんね」
「当然だ」
「宗教で差別されてもいけませんね」
「勿論だ」
「その宗教の教義が『同性愛は罪だ』です」
「・・・どうしよう?」

その他関連事例(ごく一部!)
「嫌う権利」話補遺…「僕らは寛容だ、だから非寛容のイスラムは敵だ」についてhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110921/p6
『寛容は「普遍」を経て不寛容となる』〜欧州の反イスラム運動を解説した大必読論文(吉田徹)http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120427/p2
「僕らは寛容だ、だから不寛容のキリスト教は敵だ」…聖書のある言葉を、壁に張ることを英国で禁止 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110928/p7
オランダで「私の信仰上、同性婚の届出は受けられない」と公務員が拒否する例続出→”極右”が「拒否は許されない」と主張 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120903/p3
ラマダン、女性の髪、スポーツ参加、同性婚…宗教間、或いは同一宗教間の違いについて - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120811/p3

のちに外国で、こんなヒトコマ漫画が

言うちゃ悪いけど! 今回の匿名ダイアリーも、この種の論議の応用編にすぎないィッッッ!(自画自賛


ただ、そんな時にもお土産は必要なので、僕はその記事へのブクマでこんな情報を皆さんにシェアしました。

http://b.hatena.ne.jp/entry/344951086/comment/gryphon

最近、イスラム研究家(中田考内藤正典氏ら)の中で「近代的リベラル自由社会の価値観とイスラムは究極的に相容れない。だから敵同士だと認めた上で『講和』しよう」という論が出ていて、また一興。

それほど重要な話とは思わなかった(既に知られていると思ってた)が、これがtwitter上ではけっこうリツイートされたので、ちょっと詳しく補足しようと。

ただ、補足も何も、そのまんまの本が出ている。

イスラームとの講和 文明の共存をめざして』
内藤正典  中田 考  
休戦は可能である
西欧原理との棲み分けと、紛争回避をイスラーム法で考える

 イスラームへの無理解と差別に根ざした欧米社会における軋轢。混迷を深める中東情勢。「文明の衝突」への憂慮から、これまで諸宗教や世俗主義者間の対話が様々な所で行なわれてきたが、現状を見る限り「対話」は残念ながら現実の紛争を止める力にはなりえなかった。
 イスラームと欧米の原理は、もはや「お互いを理解し合い、共約することは不可能である」という前提に立ち、これ以上の犠牲を避け、共存をめざすために「講和」を考える段階に来ているのではないか。中東研究の第一人者とイスラーム学者が、イスラーム法をふまえ、その理路と道筋を、世界に先駆けて語り合う。

著者の一方である内藤氏は最近

となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

という、いっけんヌルそうな本を書いているが、実はこっそりと、こういう近代社会に正面から喧嘩を挑むガチガチのストロング・スタイルのナイフをしのばせていた!!

互いに敵どうしだと認めた上で講和条約みたいなものをつくったほうがいいんじゃないか。最近、イスラム法学者中田考先生ともそう話して本を出版しました。(※これが上記の新書)……(略)思考と認識の枠組全体が違うということを、お互いが認めるところから出発しないと、この衝突は果てしなくつづくのではないかと考えています。
イスラムの規範と近代西欧に生まれた規範とのあいだには、お互いにどうにも重なる部分がありませんイスラムは、神のもとにあるから人は自由になれると考え、西欧では神から離れないと自由になれない、というように。イスラムでは主権は神にあると考え、西欧では主権は人にあると考えます。これも根本的な違いです。
両者はものの考え方とそこから生まれる価値の体系が違うといってもいいでしょう。そうならば、両者が、混じりあわずに共存していく方策を探っていくしかないだろうということなのです…
(同書221-222P)

もうひとりの著者・中田考氏は最新の「宗教問題」誌にインタビュー記事があり、新著を語っている。この本はこれまでと違ってイスラムの本「ではない」のだとか。文明論、とくに「異文明との共存」を語っている。

帝国の復興と啓蒙の未来

帝国の復興と啓蒙の未来

宗教問題 19:小池百合子の宗教“怪

宗教問題 19:小池百合子の宗教“怪"人脈

日本人はすぐ「相手と”仲良くする”にはどうしたらいいのか」という考え方に立とうとする。けれども、それは世界的にみるとかなり特殊なものの考え方です。…本来、言葉や人種、思想などが異なる存在を前にして本当に考えなくてはならないのは、「仲良くなくても彼らとどう共存していくのか」ということのはずです。(「宗教問題」P118)

しかし、それ以上に今回の「講和」の話につながるのは、過去のこれだろう。再紹介したい。

イスラム教徒が、他宗教の国で差別されるのは当然。嫌なら帰れ!」……と、イスラム法学者中田考)が言っている(季刊「宗教問題」) - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150912/p6
(略)…カリフ制を再興させ、イスラム法の執行されたダール・アル=イスラムイスラムの家)を作り上げる必要があるのです。

 ちなみにダール・アル=イスラムの対義語にあたるのがダール・アル=ハルブ(戦争の家)と呼ばれる世界で、つまりイスラム法の執行されていない地域のことです。日本などは最初からこの範疇に入ります。

イスラム教的に考えれば、このダール・アル=ハラブではどんなにひどいことが起こっても仕方ない。その意味では「日本ではイスラム教への無理解がひどく、差別されている」などと主張する、日本在住の外国人イスラム教徒の考えかたなどはおかしい。そんなことはダール・アル=ハルブであれば当然のことで、それがイヤならば自分の出身地に帰ればいいだけのことです。

いやならカエレ論、イスラムの側が言うというね・・・・
自分はこのとき『わが世俗国家はそれと別の世界に屹立し、「いやいや、あんたらの宗教法ではそうだとしても、我らにとってはそれは一宗教の考え方だから。世俗の法に基づき、ムスリムも平等に権利を持ち、国家の暴力装置によって保護され、支配される」とできるはず、であり、現にそうしなければならない義務を憲法上持っているはずだ。』と反論したが、その前に「相変わらず世俗とのずれをまったく隠す事無いので、賛否がどうとかいう前に「いさぎよい」。」と感心している。


たとえば、近代的諸価値とイスラームがどう対峙するか、を考えるときに重要となるLGBT問題で、

イスラムの教えと同性愛〜宗教倫理と市民社会について /銃撃事件を受けて - Togetterまとめ https://togetter.com/li/986849

というのに対して


と言い放ったあと、まとめに対しても

と一喝できるフレンズ。



「講和」という概念が面白いのは、相手の理念と自分の理念が論理的に突き詰めると矛盾して共存不可能な時でも、理念を超えて「それはあの敵と、講和してるのだから」ということで、矛盾を矛盾のまま放置することができる点だ(笑)
いやキリスト教国は、ウエストファリアの和約以降、まあずっとこれをやってきたんだから(笑)


自分はこの「講和」とほぼ同じ意味で、「特権」という言葉を使ってきた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/searchdiary?word=%A1%D6%C6%C3%B8%A2%A1%D7


専門家の考察と似たような概念を、シロートの自分が出せたのはなかなかに誇らしいことではある。


しかし、実は日本はイスラームと「講和」不可能(笑)。憲法で「人類普遍の原理」に関しては、完全に非妥協・不寛容だもの

・・・・・・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する・・・・・・
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

さっきの内藤先生の言葉を見てみる?

イスラムの規範と近代西欧に生まれた規範とのあいだには、お互いにどうにも重なる部分がありません。イスラムは、神のもとにあるから人は自由になれると考え、西欧では神から離れないと自由になれない、というように。イスラムでは主権は神にあると考え、西欧では主権は人にあると考えます。これも根本的な違いです。
両者はものの考え方とそこから生まれる価値の体系が違うといってもいいでしょう

日本国憲法は東洋の島国に施工されているけど、作ったのはマック元帥閣下であらせられるから(笑)、多少西洋近代のテイストが入っている。

「これは人類普遍の原理」
「この憲法は、かかる原理に基く」
「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除」
というのは、論理を突き詰めれば「シャリーアなど、絶対に日本は認めない!」ということなのであります。
これは冗談とかではなく、国家の中にはそういう宗教法の権威と、それが権力を一部持つことを認めている国もナンボでもある。
またイスラム国の兵士は、日本人のジャーナリストに「悪いけど、将来は日本もイスラム国になってもらう」と語ったのである。


人類普遍の原理で、それに反するものは一切排除する、とうたう日本。イスラムとの「講和」はなるだろうか・・・・・・・?


といった妄想を、『イスラムとの講和』という概念はいろいろとかき立ててくれるのであります。