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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「豚肉を食べるなんてお前は汚れている」…宗教のせいで親と分かり合えないという問題


これは問題が創価学会でも神道でもキリスト教でも同じ……ではあるし、実際にそういう問題はあるのだけど、ただ一点、ある特徴的な問題がある

wikipedia:イスラム教における棄教


イスラム法上では、棄教者は原則として死刑とされている。ただしハナフィー派シーア派では女性の棄教者は死刑ではなく終身禁錮に処するべきという意見が主流である[1]。改革派のムスリムはこのような刑罰に反対し信教の自由を擁護しているが[2]、現在のイスラム法学では保守派の見解が主流である。またイスラム法学においては特別な場合に限り偽装棄教(タキーヤ)を認める学派も存在しているため、時にこれらが棄教の隠れ蓑として用いられることもある。棄教に対する保守派ムスリムの態度は多くの非ムスリムから厳しい非難を受けている。
現実の棄教[ソースを編集]
総じて棄教者に対するイスラム共同体の態度は、イスラム法の影響力の多寡によっているといえる。イスラム法の力が抑えられている場合棄教者への処罰は稀だが、多くのイスラム教国では今なおその状態まで至っていない。
イスラム法の影響力が弱い地域[ソースを編集]
ムスリムが多数派を占めていない地域、もしくは旧ソビエト連邦に属した中央アジア諸国や世俗主義を徹底したトルコ、アルバニアのようにムスリムが多数派を占めていてもイスラム法の影響力が極度に低下した地域では、イスラムから他宗教への改宗も死刑となることはないか、あるいは極めて稀である。実際に改宗者もそれなりに存在している。
これらの地域ではイスラム法の適用による処罰が禁止されており、公的には何ら処罰を受けないことが多い。とはいえ保守的ムスリムの多い地域では、家族や隣人の手によって私刑としての処罰が行われることがあり、問題となっている。ヨーロッパではこれらの棄教者たちを保護する必要があるとして、人権団体による運動が展開されている。
日本[ソースを編集]

日本においてはムスリム自体が少ないため、現在までのところイスラム教からの改宗者の取り扱いに関して大きな問題は発生していない。ただし日本のモスクで配布されるパンフレットでも「イスラム教徒は原則改宗はできない」と明記されている。ここでは信教の自由については、「共同体に影響を与えないこと」を条件として、心の内面でイスラムの信仰から離れることは可能であるとしている。文面から推測するに、他宗教に改宗しても、それが表面的に分からないレベルであれば許されるが、公に他の宗教の信仰を告白することは不可能だともとれる。以下はその原文である。

もしかしたら、『イスラームをやめる自由』はないのでは?という質問がされるかもしれません。確かに、イスラームの決まりでは、ムスリムイスラームをやめることはできません。しかし、心の自由はあります。イスラームでは、ムスリム同士でも他人の内面の信仰をとやかく言うことを禁じています。ですから、イスラームを信じなくなった人がいても、それが心の信条である限りは問題はありません。ただ、そのことを広言することは、他の人にイスラームを捨てるよう求めることと同じですから、それは禁止しています。それを、内部での争いを呼ぶ行為と考えているのです。
— 『イスラームという生き方-その50の魅力-』イスラーム文化センター、2007年4月20日、P.17「心の自由」

(後略)

日本国憲法は信教の自由をうたうが、
宗教法として「ムスリムの子は生まれながらにムスリムである」「棄教は許されない」と定めがあるのは、それはいかんともしがたい。


またこれは現実として、宗教の多くは、判断力の無い幼いころから、親から子に強制…というか、生活の一部としてやらされることで信仰の道に入っていくものである。それでも当然、自分の判断力が付いたあと、その信仰を自分自身は肯ぜないことも多い…だが、家の中で「その宗教を捨てるとは親不孝だ/お前はなんて悪いことをしているのだ」と詰め寄られることは多いだろう。これについては、上に書いたようにイスラム教だけでなく他の宗教でもままあることである。ここに家庭外の公権力が介入するのは難しい…児童相談所家庭裁判所には、何か事例の蓄積とかあるのかね??


それぞれの家で、何かしらの平和な着地点があることを祈らずにはいられない。

まとめました
https://togetter.com/li/1163383