現在、まだ書店に並んでる号に「きのう何食べた?」192話収録(10日に次の号出るのか)
※でね、過去の反応でこの作品は不定期連載でもあることから相当な「単行本一気読み派」がいると知る。だから最新回情報はそういう方のネタバレになる…が、うちのブログは以前から「ネタバレは気にしないこともある」と堂々と宣言してる。そこは、読む側の裁量ですみ分けてください。
読みたい人の守護神・コミックDAYSは8話ほど間を空けていて、有料エピソードとしてでもエピソード公開は当分先かな…
あ!マガポケでは191話も192話も有料公開中なのか。どういう講談社の縦割り行政????
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以上の話を済ませて本題。
その前前回、前回で語られていたのだが、シロさんの母親が急逝された。
190 話が「サバサンド」回だったので、その紹介がてらに触れていたはずだ。
そして本編では話が大きく展開・・・これを食べたあと、こんな展開になる
きのう何食べた?入院 これについては、くわしくは次回、ということになりそう。
登場人物が、リアルな形で徐々に歳をとり、関係性がゆったり変わっていくのがこの作品の魅力ではあるが、そうなれば必然に「老い」と「死」も描かれていく。その覚悟は読者もあっただろうけど、やはり粛然とする。
それが191話での、シロさん母である久栄さんの退場だった。
そして、遺体が安置されている、葬儀社に焼香に来たケンジ。通夜本葬は避けるのだろうか……
パートナーの母親との最後の別れを済ませたケンジだが、父親の側から、この話題を振られる・・・・

この部分は作品の中でも重要な意味を持つ箇所で、自分は何度も引用して論じてきた。
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m-dojo.hatenadiary.comそして、こう書いた。
さすがよしながだ、というしかないが、この善良さも良識もありながら、結局根本的な「感情」の部分で同性愛者である息子とそのパートナーを受け入れることが出来ない、人生の晩年を迎えたかくのごとき老夫婦を、われわれは「文明の名において(キーナン検事風)」鞭打たねばならなくなっちゃってるっぽいのである。
ここ20年の「漫画における悪役(ヴィラン)」のランキングをつくるとしたらどうなるだろう、みたいなことを自分は結構考えているし、いつか紹介したい感もあるのだが、その中でもこの無知蒙昧なる差別主義者の老夫婦は、特異な、かつ最大の「悪役」である。「哀しき悪役」と、形容詞を付け加えてもいいかもしれない。
「正直、率直、ウソが無い」はそんなアウトを含めた七難を隠すもので、「本音が違うことは駄々洩れなのに、頭で覚えた正論の言説をふりかざす」人よりも良い、と評価されることだってある。次回は、そんな人の典型たるシロの両親(お母さん?)が登場するかもしれない。この人物は、平成マンガ史の「ヴィラン」(悪役)トップ10に入る大悪党なので、注目されたし。
その後、シロ・ケンジの「結婚式」などをもって、一応和解には至っているのだけど
今回の話は、こういう話の清算というか、”真相”が語られる過去篇。…というか”哀しい過去”のエピソードで一話持たせるって、まさに典型的な大ヴィランのそれだよな(笑)。
それは、彼女が流産を繰り返し、本当はシロさんの弟、妹を欲しかった夫婦にとって
それがトラウマだったこと、だからこそシロさんが将来結婚し、子ども=孫が生まれることを待ち望んでいた、という話であった。

しかし、その息子の性指向は…。

ここで重要なのだが、精神的なもろさを見せ、崩壊しかねない妻に、夫…シロさんの父親は「息子の同性愛指向は一時的かもしれない、将来はシスジェンダーの性指向になるかもしれない」と、どこまで本気なのか、そういうスタンスでなだめていた、ということが明かされるのである。
そういうスタンスだった両親にとって、実際に息子の同性パートナーを見ることは・・・・・・

だけど、父親本人もいうように「そこからさらに10年」。それは、自分たちと息子の別れを意識する時間の流れでもある。
何しろ作中でも住み慣れた自宅を手放しての、老人ホーム入りを考えていたのだからな。
父親は言う。
その変化は、自分でも認識するように「勝手」といえば勝手だが、それはケンジも感激するような変化であった。

そして!画像にも盛り込んだが、父親はケンジに、最後にある言葉(忠告)を与える。
自分は比較的、どの物語に接する時も、完全にのめり込まず、メタ的に「このストーリーテリング、演出、設定巧いなー」みたいな視点を一緒に走らせがちである(※そうでないほうが王道、幸せなんではないか?とも思うのだが)のですが、
その視点で、「いや、こりゃ巧いわ。これは完璧なテクニックだわ」、とうならせるものでした。
割愛したように、実際に読んでほしいから語らないけど、「剛速球の、直球ストレート、ではない」ということだけ言っておきます。
そんな、心に染み入る192話でありました。
で、すませればいいのだが…自分が感じた「課題」を共有しておきたい
今回は、最初に書いたように「ヴィラン(悪役)の哀しい過去」を語る回である。物語の書き手は、これによって、これまでヘイトを向けられていたヴィランの逆転を狙う。
完全無罪とはなかなかいかないが、「情状酌量の余地」を与えて、人気の逆転すら図る余地がある。

シンは、ジャギにそそのかされてユリアを略奪しケンシロウの胸に傷をつけただけなんですよ!!とかさ(笑)
そうなんだけど、
要は「同性愛を嫌って、自分の子の同性パートナーの来訪などを断るなどすることは、たとえば子の異性のパートナー(嫁、婿)に置き換えたら酷い扱いだ」「文明の名において裁かれる」だったよね?

だが、今回の話を、身もふたもなく単純化して論じると
「彼らは同性愛を嫌悪も、差別もしていません。だが『本当に、自分たちの孫の顔を見たい。そのためには我が子が異性愛者で、その結果として子供が生まれてほしい。すなわち我が子は同性愛者であってほしくない』、そう考えただけなんです。こう考えること自体は、罪のないことですよね?同情の余地がありますよね?」
てな問い、に”ある意味で”なってくるんだが。
これって、どうなんですかね?
たとえば政治家が、あるいは岸田政権の時にその地位を追われた官僚が、こういうたぐいの発言をしたら。
まー、いま現在、「孫の顔がみたいんじゃ」は罪のない、無邪気な発言、あるいは純粋な家族愛の発露(我が子や妻、夫を愛することの延長)としてセーフ、あるいは「ほほえましい迷言」ぐらいの扱いもありつつ「我が子の人生、ライフスタイルに過剰に干渉する無責任発言」「子供に言うにしてもとても失礼」あたりの扱いも受けつつある、という感じなんですかね。
ところが何かあれよ、偶然というか必然というか、それがギャグ的な意味ももって登場する作品が人気になり、アニメ化もされてるとかなんとか。


まあ、こういう剣豪の父親は因循姑息な反動主義者であり、人権意識のかけらもないヴィランだから、で済ませることもできようが。