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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

いしいひさいち、加藤芳郎、呉智英、山藤章二、「サルまん」~「大人漫画」論補遺

議論に参加し損ねた、この話題。

togetter.com

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乗り遅れは資料を探していたからだ…いま、かいても読まれないだろうけど
俺的に資料、記憶を紹介しよう


いしいひさいち大人漫画の後継、末裔と言うより「滅ぼした人」(みなもと太郎)。ショートギャグ短編も彼の煽りで……


というのはいしいひさいち漫画の文庫版「武士道満腹物語」解説にて、みなもと太郎氏が記されている。

いしいひさいちは一ジャンルを滅ぼした

らーめん再遊記で「天才とは、1人でジャンルを再定義させる人だ。大谷翔平1人で、プロ野球でも投手が主軸を打つ二刀流もアリだとジャンルを再定義したろ?」という場面があったが、みなもとのいしいひさいち論はそのまま当てはまる。当時の4ページ短編ギャグを滅ぼした、というのは、みなもと太郎の絵柄だけはちょとズレる(というかあの人も千変万化だ)けど、ほぼ「大人漫画狩り」の意味でもある。



大人漫画のほうも少年漫画を敵視し、加藤芳郎が「少年ジャンプの絵なんてキッタネェ」とか言って炎上したことも。

週刊誌なども話題にした有名な話だから記録や画像が残ってないかな……と思ったけど、ウィキペディア…の偽サイト?のこれしかなかった

加藤芳郎のジャンプ批判

1990年に刊行された『新潮45』誌の12月号で、当時500万部を売っていた『週刊少年ジャンプ』に対し、“500万部売るのが、そんなに偉いのか”といった内容の批判を書いた随筆を掲載した。しかしこの随筆掲載直後に、新潮社の同誌編集部に対し、「本人も何百万部を売り上げる、大新聞に4コマ漫画を掲載している分際で、他誌のことを言えた身か」などの抗議文が殺到することとなり、味噌をつける格好となってしまった。これ以後随筆活動は一切していない。

文春漫画賞…最後の審査委員の一人だった山藤章二は「この賞は、われわれは、時代遅れでもいいんだ」と最後は開き直ってた

これは最終盤のどこかでの賞の「選評」だったか、あるいは文庫にもなった「アタクシ絵日記」のどこかに描いてたと思う。表現の仕方も、ちょっと軽妙な譬えをしていて感心したのを覚えているけど、具体的な表現忘れた(笑)


上の加藤芳郎話と合わせて、この情報をお伝えしたい。文春漫画賞が、選考委員の好みと漫画のトレンドがあまりにずれが大きくなっていくさまがよくわかる。

後期は「大人漫画」が衰退したため、かつての「児童漫画」であるところのギャグ漫画が選考対象に含まれ、吉田戦車の『伝染るんです。』などが受賞をすることになった。選考基準があいまいになり、誰が何故、受賞するか予測不可能な賞とも言われるようになる。江口寿史とり・みき等ベテラン作家が受賞した際には、審査委員長が彼らの作品を「初めて読んで感心した」といった内容のコメントをしていた。選考委員のサトウサンペイは「(賞のため)めったに見ないコミック話を山ほど買って持ち帰り、順番に見てきました」と発言している[1]。いしかわじゅんは、1992年度の選考に際して、審査委員の加藤芳郎が授賞式で「私は最近、漫画を読んでおりません」と発言したり、ベテラン作家である江口寿史を選評で「ともかくも久し振りの“大型新人”である」と評したりしたことを取り上げ、「加藤は、かつて天才だった。しかし、才能は滅びるものだ。今の彼は、本人も気づかず老害を振りまいているだけだろう」と批判し、漫画を読んでいない人間が賞の選考を行っていることを問題視している[2]。
このような賞であるため、1997年に受賞した西原理恵子は、「初対面の人間からいきなり顔にタンを吐きかけられたような気分」と自身の漫画の作中でこの賞の意義を激しく批判、疑問視していた。そのような迷走を繰り返した後、2002年3月1日に廃止となった。
ja.wikipedia.org


その、2002年に賞が終わったとき、文芸春秋に総括的な特集が組まれた。寄稿のタイトルが、哀惜の念もありつつ「終わるべくして終わった」ことをよく示してるだろう。
文春の雑誌に、というかお堅い大人向けメディアに、一般的な漫画の書評・紹介コラムが載るというプレイクスルーに大きな役割を果たした関川夏央の『「よく働いた」文藝春秋漫画賞の47年』という書き方はまさにそういう典型だろうな

特別エッセイ
文春漫画賞(北杜夫)
漫画との接点(阿刀田高)
「よく働いた」文藝春秋漫画賞の47年(関川夏央)
祭りの後の寂しさ(半藤一利)
私と文春漫画賞(加藤芳郎)
紋付き羽織袴での受賞(小島功)
漫画賞をいただいて(和田誠)
「春秋」に富んだ「漫画賞」(山藤章二)
ナンセンス漫画はどこだ(砂川しげひさ)
文春漫画残念賞(高橋春男)
ちょっとだけ、漫画家(杉浦日向子)
「漫画讀本よ」(東海林さだお)
文藝春秋漫画賞受賞者・候補者一覧

search.showakan.go.jp

呉智英が1980年代に展開した「大人漫画批判」がエグかったんよ。カール・ゴッチがバディ・ロバースを控室でリンチするみたいに・・・・

ここからちょっと蔵書をさがす。つづく…あった

バカにつける薬 横山泰三批判
バカにつける薬 横山泰三批判

ギネスブックに収録してほしい。その連載の長さでなく、そのおもしろくなさが記録に値する」など、言葉の暴力がすぎる。
実際にこの辺の批判はかなり影響力があったと記憶していて、その後、マンガ界隈では大人漫画、政治風刺一コマ漫画への半笑いの言及が増え、新聞社や雑誌社もそれを感じて、やや焦るようになった、という気がする。文春漫画賞のクローズや、逆に「手塚治虫文化賞」を朝日新聞が設立したりも…手塚文化賞、最初期の選考委員は呉智英入ってたもんな。


その後、人格が「円満になった」と自称する呉智英は、新聞四コマに憤る仲間をたしなめる役にも回る。
一回読んだだけなのに、なんか記憶してるぞ…

仲間が新聞四コマのつまらなさを罵ると、呉智英はおおよそ

「イヤハヤ君たちは過激でいけない。」
「たとえばだ、いしいひさいち朝日新聞ののちゃん』はかなりおもしろいだろ」
「だけどいしいの、他の四コマは死ぬほどおもしろいぜ。」
「いしいですら『死ぬほど』が『かなり』になるのが新聞四コマの宿命だ。それをわかってあげたまえ」

かばってねぇよ(笑) 人格円満になってねぇよ。

それに対して仲間が
「じゃあアンタは、あの『サミット学園』も許すのかよ」
と反論、呉智英もウっと言葉に詰まり…
 
そういうコラムのタイトルがこれだよ(笑)

オピニオンワイド こいつだけは許せない!
週刊文春」のワイド企画の一つ。同じ「週刊文春」のワイド企画「天下の〝暴論〟」への寄稿は「サルの正義」に収録されたが、こちらの方は未収録。

号 副題
1991年5月9日号 まだ続いてたの? 横山泰三「社会戯評」
1993年8月26日号 朝日夕刊マンガ「サミット学園」は日本文化の恥
1994年1月13日号 左翼全滅の時代の「左畜」佐高信
legalalien.sakura.ne.jp

そして「サルまん」がとどめをさした


おれ、海部俊樹元首相の追悼記事にも引用してるよ(笑)
m-dojo.hatenadiary.com

海部首相 サルまん
サルまん 大人漫画を馬鹿にする


しかし、よく考えたらいくら大人漫画はジャンルが違うと言っても、小学館ぐらいだと大家との付き合いもあるはずで、なんで当時の編集部はこれを通したんだろうな…ある意味、すげぇよ!!!

この後に描いてる疑似解説文も、徹頭徹尾大人漫画(大新聞)の風刺一コマをからかっていて、唖然とするばかり。




こんなことを、大人漫画の議論に付け加えたい資料として残しておきます。