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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【一区切り、続編もあり】「関ヶ原合戦」に多くの異説・疑問~氷菓「古典部」の面々が謎に挑む(「どうする家康」に合わせて)

淀殿や三奉行は三成派」「直江状偽書」「小山の評定は後世の創作」「戦は一瞬で終わった」「関ヶ原は戦場ではない」「問い鉄砲はなかった」……。四百年を経た今も日本史上最大の野戦について激しい論戦が繰り広げられている。そのうち、注目を集めた新知見を、第一人者である著者が吟味し、総合的な歴史像を構築する。

プロローグ 『渦中の』古典部(苦笑)、ふたたびの登場!

「労働者しょくん、ひさしぶりだな!(寅さん調)…『氷菓』でおなじみ、古典部が2年ぶりに参上!」


「そして今回から加わります、後輩の大日向です。原作だと、とある長編に登場し、古典部には仮入部したものの、いろいろあって正式メンバーにならなかったのですが、漫画版だとまだそこまで行ってないで、レギュラーの先輩たちと行動を共にしています」


「その2年の間に、原作者の人…米澤穂信は『直木賞作家』の肩書までついたというのに、パロディやってる側の進歩は無いわね……」



「まあまあ、そういうな。そしてオリジナルの原作者様はおめでとうございます。」




「ではあらためて、あたしたちが(唐突に)登場する理由を説明するわね」


ブログ管理者が、本やネット上で(主にノンフィクションの)『謎』→『推理』→『証拠』→『解決』の鮮やかな展開を読む→感心して『まるで推理小説だな…日常の謎だな…じゃあ、そういう仕立てで読んでもらおう』と思う→僕たちを招集する。こういう流れになっています。だから数年に一回しか登場できない」


「過去作品はこちら↓」

とある野球記録を「日常の謎」(氷菓)風に紹介〜「なぜオールスターの成績が、長嶋は王より上なのか?」(宇佐美徹也)
d.hatena.ne.jp

のらくろ漫画から怪獣の歴史を「氷菓」の古典部メンバーが考える(或るtogetterを受けて)。
d.hatena.ne.jp

司馬遷史記」が『面白すぎる』のはなぜ?〜「氷菓」の古典部員が謎に挑む(※宮崎市定の論考がベースです)
m-dojo.hatenadiary.com

小川直也vs橋本真也の真実とは?「古典部」メンバーが「証言1.4」を読んで推理する。
m-dojo.hatenadiary.com

「そもそも、こうやってアイコン的に人物イラスト貼って、その対話形式でいろいろ語ってく…ってやり方もめっきり見なくなりましたね。なんかゼロ年代チック。」


「ブログを継続してやってるところ自体がめっきり減ったからな。たとえばXのような短文形式のSNSでやっても読みにくいし、やはりゼロ年代の化石のようなものだろうな」



「………」

「な、なんだ」


「お前らのせいで、めちゃくちゃタイミング悪くなったんだよ」



「表題にもうたったように『どうする家康』の展開に合わせてこれを発表しようと思ってたから、数週間前から準備してたのね。遅れたのは書き手のせいだけど、いよいよ今週末は関ヶ原のようなんで、ここでどうしても書かなきゃいけなかった」


「ところが、twitterはてなのトレンドに、お二人が上がってきてしまい…」

「記録には残さないけど、ここ数日前のtwitterはてなブックマークを『氷菓』で検索してみなさいな。」


(検索)
「なんだこれ……」


「ここで『氷菓』関連で記事書いて、だけどアレの話題じゃなかったら読み手は混乱orがっかりでしょ」


「冤罪だ!」


「まあ、今回の話もいわば『戦闘行為寸前』ということで」



「うまいこと言うな!」


「しかもまだ、本題に入ってないですね!!」


「そ、そうだ、本題、本題に入るぞ」


ここから本題です、だけど……

「そもそも、このテーマを数週間前から準備しつつ、発表できなかったのは、テーマも大きいうえに、この形式にすると時間ばっかりかかるからだ。そのせいで、ブログ記事の投稿自体も最近減ってるだろ?」


「それが理由でしたか…」


「というか、本題に入る前の前フリで、あんなに手間かけたら終わらないわよ!」



「だからな、この記事は一回で全部は投稿しないし、できない。数回にわけて更新して、完成する感じになるかな?」


「そうか…じゃあ、まず最初に、論点というか、最近関ヶ原のいろんな論点で、根本から真偽を問うような疑問が提示されている…その異説・疑問を箇条書きにして紹介しておこうか」


「ちなみに俺たち、男子二人が戦国ものが好きで、いろいろ語ってる、ってのは原作準拠だな。」

haruhiism.blog.jp


「基本的に、最初に紹介した笠谷和比古さんの論点整理に準拠しています。実はブログ作者、1、2年前にもう一冊「関ヶ原『論争』」にトピックを絞った本を読んで、それも参考にしてるんだけど書名を丸ごと忘れてしまい…このへんだったかな?」


「では、疑問・異説を箇条書きで。ぜんぶ書けるかどうかわからないけど」

北政所淀殿の抗争・確執はあったのか?
五大老五奉行の制度って実在したの?
・「三成襲撃事件」の全貌は?三成が家康宅に避難した、との説は?
・家康暗殺計画はあった?
・「直江状」は偽書?本物?
石田三成は、会津直江兼続上杉景勝と連携していた?
・いつごろから三成や大谷吉継は叛乱を計画してたの?謀議参加者・賛同者の全体像は?
・東軍と西軍、どっちに正統性があったの?
小山評定の実在は?実在したとしたら、その法的な”有効性”は?
山内一豊の献策、は実在したか
徳川秀忠軍と徳川家康軍、どっちが強い?
徳川家康、江戸長期滞在のナゾ
関ヶ原に徳川直系有力武将が本多忠勝、井伊直正しかいない理由
・秀忠は「挑発に乗って余計な真田攻めをした」のか?/秀忠軍温存説(遅れはわざと?)の検証
・西軍の、当初の戦略と実際の変更点は?
・戦場は関ヶ原ではない、という説
・大激戦ではなく、けっこう一方的だった説
小早川秀秋の様子見や、「問い鉄砲」は実在したか
・敗戦後の毛利、島津処分など
・論功行賞は「家康の思い通り」だったか


「これらに関して『通説』の真偽を語っていくわけですけど、そもそも『通説』みんな知ってるんですかね?」


「ぶっちゃけ、通説知らないと、それが覆されても面白くないですからね。自分も『アントニオ猪木の日プロ追放は上田馬之助が裏切ったから、が通説だけど、実は……』と話し始めたら、友達はそもそもその通説自体を知らなかった」

「そりゃ、知らねぇだろ。」


「なお『通説』については司馬遼太郎あたりを基準点にしてみてください。みなもと太郎風雲児たち』も1巻は、まだ作風的に通説ど真ん中をひねらず描いてたのでてっとりばやいかも。」

みなもと太郎が描く関ヶ原

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ではここから少しずつ追記して、上に提示した異説・疑問を検証・解答していきます!!

北政所淀殿の抗争・確執はあったのか?

「昭和時代の大河ドラマおんな太閤記」でも、司馬遼太郎関ヶ原」「城塞」でも使われてたネタですね。苦労を共にした正妻と、夫が権勢を極めてから見染めた若き側室、しかも正妻との間には子が無く、側室が跡継ぎを生んで…」


「ふざけた発想よ、それ!正室と側室との関係って普通はそんなもんじゃないし、このアングルはうっすらと『女の敵は女』みたいな偏見が見え隠れしてるのよ!そんな資料もないし、いかにもオヤジ的な発想…おんな太閤記の脚本は橋田壽賀子だけど」


「…と、そう思っていた時が俺にもありました。だが、数年前に、新史料が見つかったんだ。浅野幸長黒田長政の連名で、小早川秀秋に当てた密書。」

…此度御忠節肝要候、二三日中に内府公御着に候條、其以前に御分別此處候、政所様へ相つゞき御馳走不申候ては、不叶兩人に候間…
小早川秀秋宛黒田長政・浅野幸長書状 | 「Call of History-歴史の呼び声-」史料集

「これだけの大物が連名で、最重要のキーパーソンを口説く時に、領土だ官職だとかじゃない『北政所様のお力にならないと』しか書いてない。しかも、そのお力になる、イコール徳川家康に味方し、三成一派と闘うことだ…その前提が、おもいっきり共有されてたんだ」


「データベース的に補足すると、リンク先にもあるように、この史料は厳密には『再発見』。功罪共に、巨大な歴史家ともいえる徳富蘇峰が著書に引用してたが、原文が不明のままだったが、出雲に存在していたことが近年確認されたとか」


「この話は『あまりにもお話が出来過ぎちゃうから、フィクションかな』と思わせるものですが、そこに根や葉があったのですね」

五大老五奉行の制度って実在したの?

「これは事実関係のみだから、さっさと答えちゃおう。当時は、その大老のことは『奉行』と呼び、奉行のほうは『年寄』なんだ」


「なんで呼び名が変わったの?」


「これは本にも記述なく、ブログ書き手、いや俺の推測だが、江戸時代の官僚化した『奉行』じゃそぐわないと皆が思ったんじゃないか。そして上に立つ人の地位も、江戸時代のそれから逆算して『大老』になったとか…」

「三成襲撃事件」の全貌は?三成が家康宅に避難した、との説は?

「これは本当に諸説あって、歯切れよくスパッとは事実を認定しがたいみたいな…」


「ただ確定的に言えるのはだ、石田三成が敢えて敵の懐…徳川家康に保護を求めて、その伏見の屋敷に入った、というのは面白過ぎる講談だったらしい」


「うーん残念。でも、よくこんな大胆な脚色しましたね。なんでもいいから派手にヒキを作れ、あとは来週考えろというジャンプイズムかしら?」


「ジャンプが当時あってたまるか。実は誤解した理由もあって、石田三成は『伏見城』に逃げ込んだし、徳川家康は確かに伏見城にいた。ただ、今の皇居見てもわかるけど、巨城というのは相当に大きいもんで、三成は伏見城内に元々屋敷があって、自分のそこに立てこもって七将とにらみあった。徳川家康も”伏見城”にはいるけど、大きく離れた向島、しかも石田三成屋敷とは宇治川をはさんでいた。それでも同じ伏見ということで、そこから想像力を働かせる、というか後世にドラマチックに勘違いしたら、そうなっちゃうのだろうな」

家康暗殺計画はあった?

「うーん…基本、俺たちは最初に紹介した笠谷和比古先生の新潮選書をもとに書いてるんだが、先生は「暗殺する謀議がなされていた」と断定調で書いてるんだな。(65P)「これまでも風聞はたびたびであったが、今回のものは信憑性もはるかに高く…」と。だけどなー、根拠が書いてないんだよね、いきなり断言しちゃってる。どうも、それに従うのは、ここに限ってはためらわれるなあ…前田利長もかかわった、ことになったりとかまでくると、どこまでが事実でどこまでが風聞だったか、そういうグラデーションがあるかもな。」

直江状」は偽書?本物?

「この話はけっこう、本格的にミステリーよ。笠谷先生も気合入れて書いてるわ」


「データベース的に『直江状ニセモノ説』の主張を列挙しようか。
・末尾に「万端御下向次第仕るべく候、(会津に(討伐軍が)やってくるその時に)」と実質宣戦布告が書いており、あまりに過激
・ほかにも過激で、普通の公文書に使わない激烈表現が多すぎる
・表現にも重複が多い
・この直江状中村一生駒親正、堀尾善晴の”三中老”が「田舎者の無作法ゆえ相手になされず穏便に」という連署が残っているが、そんな役職はない。
・この直江状は、使僧・西笑招克(どうする家康にも出てくる)の詰問状への返答だが、4月1日付に14日付で返答している。詰問状を持った使者が大阪を出発したのが10日だとわかっているのだから、当時の交通事情的に不可能。

といったものだそうだ。水野伍貴、渡邊大門氏らの説だという」


「真書説に立つ笠谷氏の反論…。まず全体的に、形式が整ってなかったり、異例の表現や反響の資料があることは、存在の否定ではなく肯定の材料ではないか、という立脚点に立っている」


「えっ、どういうことなんですか?」


「計画的に偽造された文書なら、より本物らしく書くだろう、ということ。『草案も無く、筆の勢いに任せ、激情に駆られるまま一気呵成に書き上げたもの…それはあの時の…切迫した状況によく合致したものといえるだろう』としている。
そして、その非公的な表現については『直江と西笑は、もともと親密な友人だった』と指摘する。実は西笑の書状には『詰問内容は使者が伝えるだろうが、君とは長年の付き合いがあるので心配だから文章を送っている』と書いてあるんだ。内容をいち早く伝えて、弁明を整えろ、という含意だね。内容や表現に非公式的なものが多いのは、友人・西笑の手紙に友人として回答したから、ということらしい。そして日付の件も、そもそも西笑はそういう理由で正式な使者の会津到着に先回りして手紙を送ったかららしい。『飛札を以て』という記述もあるからね」
中村一生駒親正、堀尾善晴の”三中老”が直江状なんて無視して、と連署で家康に要請する…というのも、「そんな制度はない、だから偽書」というより「そんなイレギュラーな文書が残ってることが真実の証。偽書なら、もっと自然なところからの書を偽造するだろ」と指摘している。ただ、一部を後代が付加した可能性は否定しない」


「フィクションこそがすっきり矛盾なく話が進み、ノンフィクションだとなんか不自然で話が一直線に進まない…というのはよくある話ですね。面白い論点…だけど、それを見越してわざと不自然な記述を付け足す、とかもありますかね。悩むところです」

石田三成は、会津直江兼続上杉景勝と連携していた?

いつごろから三成や大谷吉継は叛乱を計画してたの?謀議参加者・賛同者の全体像は?

「このふたつは連動してるからまとめて。結論から言うと、(笠谷説では)石田三成直江兼続(の主君・上杉景勝)との連携はない、ということだ。そして、反乱計画は内心はともかく、会津討伐直前。具体的には大谷吉継が…”彼ですら”会津討伐軍として参加予定だったが、その大谷が行軍中に友人の城・佐和山を訪れた際に謀議、ここで叛乱実行が決まった、と考えるべきだ、と」


「でも、石田から直江に計画を綴った書状が残ってたとかいうけど…」


「まあ、それは偽書。その理由だけどね、非常にシンプルで、そもそも会津討伐の司令官として、諸将を指揮する権限と実際の軍隊を与えて大阪を離れさせる、って家康にとっては一番安全なんだよ、大阪にいるより。というのは、大阪にいる限り、どこかで襲撃される危険は常に付きまとう一方、豊臣家臣下として常に護衛に囲まれて安全な場所にいる、とはできないから。」


大化の改新方式、宮廷クーデターのほうが成功率も高く、チャンスがあるということね」


「謀議…というか反乱計画の開始って、痕跡が残ってるわけよ。安国寺恵瓊が主の毛利隆元に、来阪を要請して、その後に挙兵を説得したりとか、大谷軍がずっと佐和山周辺に逗留して動かないとか、真田昌幸に三成が『事前に知らせないで申し訳ない』というおわびの手紙を送ったりとか…それを見ると、三成がそういう行動をする前に、直江兼続と計画をすっかり練って共有してた、というのはいかにも非現実的なんだよ」

東軍と西軍、どっちに正統性があったの?

小山評定の実在は?実在したとしたら、その法的な”有効性”は?

山内一豊の献策、は実在したか

「これも連動した、まとまってるテーマだ」


「データベース的にいうと『小山評定』の小山って「おやまゆ~えんち~」のおやまだね。なつかしいね桜金造」。


「(無視して)小山評定あった?なかった?は関ヶ原論争の中でもホットなテーマのひとつ。『無い』派も色々研究を深化させてるけど、これも最近資料が見つかった。下野国黒羽の領主に、大野幸長が出した7月29日付の書状に『尚々去廿三日之御状畏入候、其刻小山へ罷越、御返事不申入候』とある、そうだ。」


「ただ、いまこの原文を打つのが面倒なので検索したら(笑)、小山評定ない説の中心・白峰旬氏はこれに対して反論してるそうですね。こちら」
https://ishi1600hisa.seesaa.net/article/202111article_29.html


「まあ、『小山』評定についての論議は続くだろうが、何かしらの会議があり、諸将が合意しての意思決定があった、これは間違いないらしい。そしyて山内一豊の城・兵糧明け渡し提案があったかどうか、もそうなのだが、結果から見れば存在が裏付けられるんだよ。実際に東海道の徳川による城管理は実行され、東軍勝利の大きな要因になった。これは一方的な命令とかではなく、きちんと合意がなければ不可能だ。そして山内一豊が、関ヶ原では位置的に戦闘できず何の武功も無いのに、土佐一国を恩賞として受けた。明け渡し提案でもしてなければ、それはあり得ない。そんな重要な評定が存在はした、しかし……」


「しかし?」


「笠谷氏は、ここに『重大な疑義』が生まれたとする。どうする家康では、そのへんの時差をあいまいにしているけど、笠谷氏によると、小山?で『徳川殿にお味方いたす!』で一致した時は『大阪で叛乱』という情報だけで、この事変の”サプライズ”ともいえる家康糾弾書『内府ちがひの条々』の内容は伝わってなかったらしいんだ」


「でも、しょせんは敵の悪口をいうプロパガンダでしょ?百戦錬磨にして損得で動く戦国武将がそんなことで動揺するの?」


「この時のサプライズは、『条々』には豊臣の三奉行(前田玄以増田長盛長束正家)も署名してた、ということ。増田長盛は叛乱当初、家康に『大阪がきなくさいです、お気をつけて』みたいな書を出したりしてるんでね…それも本心らしい。当初は叛乱を知らないし、賛同もしてなかったけど、状況を見て西軍側に参じたと。そうやって形式が整うと『家康は豊臣公儀の敵』になる」


「たとえていうと、ある会社のすごく有力な幹部…副社長が大勢の部下を引き連れた出張先で、本社の秘書室長が副社長を批判して、弾劾してることを知る。スタッフは『秘書室長には腹が立つ!俺たちは副社長にどこまでもついていく!』と最初は盛り上がったけど、その後、正式な会社の監査室から『副社長の、横領と背任について』みたいな文書がアナウンスされたと。それでもついていく、という人もいるだろうけど、『正式なルートで正式な文書が出た以上、ついていくと言ったのは無し!』みたいな反応も当然出てくるだろう。東軍と西軍の正統性については、そこが重要。」


「なるほど…ところで、問いはこの後も多数ありますけど、ちょうどここからは本格的な東軍・西軍対決の軍事行動になっていくので、もうこのコーナー膨大になってるし、いったん幕引きしません?今週日曜に『どうする家康』も関ヶ原回だし、需要とやる気あれば新しい記事で」



「どちらもほぼ無さそうだがな…しかしもっともだ、ここにて『読み切り』としよう」


以下、「関ヶ原決戦編」の記事があるか、無いかは運しだい!!(了)
※その後、完成しました
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再放送ふくむ関連番組情報

15日再放送

英雄たちの選択 小早川秀秋関ヶ原 〜裏切り者か?心優しき若き武将か?〜

天下分け目の戦い・関ヶ原。これまで、「天下の裏切り者」とされてきた小早川秀秋。最近の研究では、裏切り者説に、多くの疑問が投げかけられている。その真相に迫る。

関ヶ原の合戦の時、小早川秀秋19歳。秀秋には、二つの顔があった。秀吉の後継者として、「羽柴秀秋」という顔。その後、秀吉の実子・秀頼が誕生すると、毛利一門の小早川家の養子となる。「小早川秀秋」の顔である。近年の研究から、関ケ原の合戦の直前、秀秋は、東軍に加担する決意を固めていた可能性が高いという。若くして亡くなった秀秋が、なぜ「天下の裏切り者」の汚名を負うことになったのかを探る。
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/J6QWMVRZMX/


15日放送

歴史探偵  VR関ヶ原 西軍・幻の大作戦

初回放送日: 2023年11月15日

天下分け目の決戦・関ケ原。幻の戦場をバーチャル空間に再現。徳川家康石田三成がぶつかった幻の合戦がVRでよみがえる。どうする家康で登場する西軍大谷吉継の戦いも!

どうする家康

https://www.nhk.or.jp/ieyasu/