【 🎬 #新たなる覇者 名場面 】
— 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) August 6, 2023
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不敵な笑みを浮かべる茶々…!!
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▼ お市の覚悟と茶々との最後の会話https://t.co/71yCbJjL4q
母・お市と別れ、秀吉のもとへ。
ここから、乱世を御する気高い女性へと変わっていく…!?#どうする家康 #豊臣秀吉 #ムロツヨシ#茶々 #白鳥玉季 pic.twitter.com/oMP6N1xpSS
NHKプラスにて配信中。
関連した過去記事など。
重野なおき氏「軍師黒田官兵衛伝」北の庄落城の編をSNS公開
重野氏は、一定期間経過するとこういう再掲載ツイートは削除するので、繰り返し読みたい人は単行本を買うべしで
北ノ庄城落城の話(1/6)#どうする家康#軍師黒田官兵衛伝#信長の忍び pic.twitter.com/uEKxPxeyff
— 重野なおき@単行本5/29発売 (@shigeno_naoki) August 6, 2023
北ノ庄城落城の話(2/6) pic.twitter.com/9kiC6O9SWo
— 重野なおき@単行本5/29発売 (@shigeno_naoki) 2023年8月6日
北ノ庄城落城の話(3/6) pic.twitter.com/Mtg6s9qwxQ
— 重野なおき@単行本5/29発売 (@shigeno_naoki) 2023年8月6日
北ノ庄城落城の話(4/6) pic.twitter.com/eK7imwaFdf
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北ノ庄城落城の話(5/6) pic.twitter.com/B3x3Rw7zY4
— 重野なおき@単行本5/29発売 (@shigeno_naoki) 2023年8月6日
北ノ庄城落城の話(6/6) pic.twitter.com/4dwW2CvAUT
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軍師黒田官兵衛伝5巻より抜粋。https://t.co/SrAsMkdlGF
— 重野なおき@単行本5/29発売 (@shigeno_naoki) 2023年8月6日
柴田勝家は最期に臨んで「このいくさを後世に伝える証言者」を脱出させた
という話。歴史と記録を考えるうえで感銘を覚える話だった。
大いに笑い楽しむ様はあたかも戦勝祝いか、夜を徹しての宴のようであった。
城の各部屋と広間にはすでにたくさんの藁を積み、戸も窓もことごとく堅く閉じ、
城を包囲する敵に向けて城内から銃を一発も撃たなかった。
城外の兵士らは内からまったく武器の音がせず、陽気な歌声が盛んに聞こえてくることに驚いた。(後略)羽柴やその他の敵に城内で起こったことを完全に知らせるため、柴田は死ぬ前に諸人から意見を徴した上で、話術に長けた身分ある老女を選び、右の出来事の一切を目撃させた後、城の裏門から出して敵に事の次第を詳しく語らせた。
こうして、信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人がこの地で滅び灰に帰した。
m-dojo.hatenadiary.comもとは「ルイス・フロイス書簡」。
一方で織田信孝の辞世の句は、恨みと復讐心に満ち満ちていて、これはこれでスゴイ
http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage337.html
昔より 主(あるじ)内海(討つ身)の 野間なれば むくいを待てや 羽柴筑前
作者 : 織田信孝
解説 :
織田信孝の辞世の句。信孝は織田信長の三男。
(略)「現代語訳をするとこんな感じ・・・」
この内海の野間の地は、平治の昔、主人源義朝が
家来の長田忠致の卑劣な裏切り行為によって殺された
場所だが、長田忠致が結局非業の最期を遂げた
ようにお前にも必ず天罰が下り「主人殺し」の報いを
受ける日がくるだろう。古来よりそうして主君を討った
逆臣は永くは続かん、報いを待つが良い、羽柴筑前よ。
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前田利家は、柴田勝家を裏切った?小早川秀秋・明智光秀と並ぶ「戦国三大裏切り者」?
……ところがこの激戦の最中、茂山に布陣していた柴田側の前田利家の軍勢が突如として戦線離脱した。これにより後方の守りの陣形が崩れ佐久間隊の兵の士気が下がり、柴田軍全体の士気も一気に下がった。これは秀吉の勧誘に利家が早くから応じていたからではないかと推測される[2]。このため利家と対峙していた軍勢が柴田勢への攻撃に加わった。さらに柴田側の不破勝光・金森長近の軍勢も退却したため、佐久間盛政の軍を撃破した秀吉の軍勢は柴田勝家本隊に殺到した。多勢に無勢の状況を支えきれず勝家の軍勢は崩れ…
ja.wikipedia.org
通説では佐久間盛政の猪武者ぶり、が、柴田軍敗走の直接の原因だということになっている。 ではこの説を誰が言い出したのか?
実は小瀬甫庵なのである。要するに甫庵はその著「太閤記」で…敗戦の責任は1に命令違反の佐久間盛政、2にそんな盛政に攻撃させた勝家にある、ということになる。
しかし実はその時、最前線の佐久間盛政と本陣の柴田勝家の中間で、軍全体を支える役目の武将がいた。前田利家である。太閤記を読む限り、柴田軍総崩れの責任はあくまで佐久間盛政と勝家にあるーーそう信じている人々にちょっと注目して欲しいのは、「太閤記」は結局どこで完成されたか、ということだ。この時代はベストセラーどころか出版業すらない。このようなタイプの著作を書き上げるためにはどうしてもパトロンが不可欠だ。
徳川・北条(さらに上杉も)の中部地方争奪戦は、後世(つい最近)「天正壬午の乱」と命名された…
この本についての、著者の自注。@HIRAYAMAYUUKAIN
拙著『増補改訂版・天正壬午の乱』ですが、密林での予約が絶好調のようです。うれしい限り。私が2011年に初版を出した当時、「なにそれ?」「うっわー、マイナー」などといわれ、売れ行きも初動はよかったのですが、その後は動きが止まったものの、じわじわ売れ続け、結局1年半ほどで3000部が品切れになり、絶版となってしまいました。「天正壬午の乱」は私が名付けた学術用語ですが、当時は「安易なネーミングだ」「わかりにくい」とネットではさんざん叩かれました。名前の由来は、すでに江戸時代には「壬午ノ役」などと名付けられていたのでそれを参考に名付けました。
ところがどうでしょう、今では何とゲームにも取り入れられ、知名度は5年前とは雲泥の差です…(後略)
自分が読んだ家康の伝記(子供向けだけど)では「本能寺の変のあと、信州や甲斐の地固めをしました」の一行で終わっていて、子供のころは疑問に思わなかったが、軍事面でも法的な正統性の点でも、そんなに簡単に旧織田領のあそこを接収できるわけないもんな。
ここも徳川、北条、上杉三つ巴の大争乱の戦争だったんだよ、と言われればあっそうか、だ。
……と感想に書いたように、これは「そこにある事象に新概念・新名称を付けるとそれだけで進歩発展に寄与する」という実例としても覚えて、持ち帰ってください