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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

信長狙撃犯・杉谷善住坊は処刑。だが妻子は許され、なんと安土城で侍女に!【歴史小ネタ集】

まず、「杉谷善住坊」という人自体がマイナーな存在だろうから、過去記事やウィキペディアを。

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世界初の要人狙撃事件、標的は織田信長〜「信長の忍び」4巻から杉谷善住坊
世界初の要人狙撃事件、標的は織田信長〜「信長の忍び」4巻から杉谷善住坊

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…と、こういう人なんだけど、ここから一挿話を紹介する。

…おもしろい話があるので書いておく。杉谷善住坊の子孫という方が、安土に今も住んでおられる。変わっているのは、善住という苗字を持つことだ。家に残る言い伝えによると、住者はもともと美濃斎藤家の鉄砲頭で、斎藤家滅亡後に六角家へ身をよせた。六角家の依頼で信長を狙撃するが、失敗。その後に高島郡へと隠れるが、捕まり処刑された。この時、妻と十一人の息子がいたという。どういう訳か妻子は助命され、妻は安土城の女中頭として奉公したという。十一人の息子の内、長男は出家して近江八幡にある善住寺の住職になった。この時に父親の名前をとって、子供たちは苗字を善住にしたようだ。残りの十人の息子たちだが、天正十年の本能寺の変で城が焼けた後、城下に移り住んだ。なので安土の町には「善住さん」が比較的多く住んでいるという。善住十家のうち、今も八家が残っているといっておられた。残念ながら古文書などの資料は、文化八年(一八二)の火災で焼けてしまったらしい。
ルイス・フロイスの日本史では、信長の城で働く女たちについてこう書いている。
「宮殿内での奉仕は、もっぱら若い婦人たち、それも天性、大いなる才能、天の能力をもった選ばれた乙女たち、および領内のもっとも高貴な出身の婦人たちによって行われた」
この証言が本当なら、杉谷善住坊の妻が城で働いたのはかなりの特例だったのではないか。

上の話は、以前も別の話題を紹介した「信長 空白の百三十日」より。
以前は、太田牛一信長記述の詳しさは歴史家というより「ファンやおっかけが、何でもかんでも記録しておきたい」というもので、だから不思議なトリビアが多々残っている。ほぼ「年譜」でなく「日譜」が作れるんじゃないか、という話を書いた。
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信長はまだまだ謎だらけ――。
戦国を嵐のように駆け抜けた織田信長。その生涯には知られざる空白期間があった!
信長の性格から、本能寺の変の真相まで、
気鋭の歴史小説家が、織田信長に関する一級資料『信長公記』の空白期間をヒントに、信長の生涯とその人となりを大胆に読み解いていく。
多くの人からいまなお人気を集める、織田信長とはどのような人物だったのか?

杉谷善住坊は処刑されたがその妻は織田家の侍女に。(信長空白の130日)

さて、それはなぜなのだろう。
妻子に罪は無い、と許すような寛大さがあった、といえばそれまでだけど、荒木村重黒田官兵衛浅井長政の時はそうでなかった(処刑はあまりにもむごい、と官兵衛の息子はひそかにかくまわれ、後の黒田長政となった、と言われるが本当だろうか)。
もちろん、裏切った部下、後継ぎが生きていれば頼朝のように復讐の旗揚げがあるかもしれない大名などと、その心配がない一テロリストとの扱いを別にした、とも見ることができる。

自分が狙われた以上は本人は許せないが、その度胸や技量はあっぱれ、と「偉大な敵」に敬意を示しての妻子助命や登用……かもしれないと思ったし、こっちなら一番物語的にはかっこいいが、本人を、同じ処刑にしても「晒しての、のこぎり引き」というかなり激しい罰を与えてるしな(笑)


或いはその妻が、才気煥発で殺すには惜しい美女であり、一種の「戦利品」として…というジンギスカン的なものだろうか。


その理由その他は、なんともわからない。読んで気になったので、一応、材料として皆さんにシェアし、いろいろ考えたり創作の材料にしてください。