【記録する者たち】【敗将列伝】
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ :
フロイス書簡から、柴田勝家の最期 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9043.html彼はすでに六十歳になるが、はなはだ勇猛な武将であり、また一生を軍事に費やした人である故、
広間に現れると彼に侍していた武士たちに向かって、
「予がここに入るまで逃れてきたのは武運によるものであって、予が臆病なためではないが、もし予の首が敵に斬られ、 予と汝らの妻子や親戚が侮辱を受けるならば、我が柴田の名と家を永久に汚すことになる故、 予はただちに切腹し、この身は敵に発見されぬよう焼かせるであろう。 もし汝らに敵の赦しを得る術があるならば、その生命を永らえさせることを予は喜ぶであろう」
と簡明に語った。
(略)
そして彼は数多くの馳走を運ばせて彼らに振る舞い、酒を飲んでは楽器を奏して歌い、
大いに笑い楽しむ様はあたかも戦勝祝いか、夜を徹しての宴のようであった。
城の各部屋と広間にはすでにたくさんの藁を積み、戸も窓もことごとく堅く閉じ、
城を包囲する敵に向けて城内から銃を一発も撃たなかった。
城外の兵士らは内からまったく武器の音がせず、陽気な歌声が盛んに聞こえてくることに驚いた。(後略)
「センゴク」でもつい最近まで、羽柴秀吉vs柴田勝家の織田家後継者決定戦を描いており、この「最後の酒宴」も描写されていましたね。
そして、ここからが重要。
羽柴やその他の敵に城内で起こったことを完全に知らせるため、柴田は死ぬ前に諸人から意見を徴した上で、話術に長けた身分ある老女を選び、右の出来事の一切を目撃させた後、城の裏門から出して敵に事の次第を詳しく語らせた。
こうして、信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人がこの地で滅び灰に帰した。
なんと…「猪武者」「武のみで知略において秀吉に及ばなかった」というイメージが個人的にはあり、それは実際に相当正しいのだろうけど、このように「記録」「歴史」をイメージして、このような行動を取っていたとしたら、それに対しては最大限の尊敬を持つ。
「歴史」が”救済”であった儒学、朱子学の徒でもないはずなのに、こういうところまで戦国時代のもののふは、「名こそ惜しけれ」という名誉心を発展させて、「歴史の記録に対しての責任感」というところまで「独学」で到達していたのだ。
ここから本格的に江戸期知識人に普及した朱子学も『あ、アレかアレのことか」という感じで、相当に土着価値観と混淆したんだろうな(笑)。それはよしあしだが。
なんにせよ、「歴史に記録を残す」という価値観を持ち、それを実行してくれた人にはとにかく敬意を覚えずにはいられない。もちろん「歴史は輪廻を繰りかえす。片々たる記録など何の役に立とうか」「短い生涯を終えたら、自分の名前を残したいなどくだらない虚栄心だ。記録は全部焼け、墓もいらぬ」「言葉はコトダマ。知られたら、霊的に支配される」「秘密は墓場まで持っていく」…などなどの価値観、宗教心がある地域もあり、人もいよう。そこにも美しさがあることは否定しない。
だけど、自分の好みとしてね。柴田勝家の歴史評価を私は五段階ぐらいアップさせましたよ。KOEIも、彼を知力96ぐらいにしていただきたい。
ちなみに羽柴vs柴田は「前田利家(基本的には柴田陣営)の行動って裏切りじゃね?」という問題があり、歴史学、あるいは【記録する人々】的には、「その後江戸時代までずっと続いた大大名の前田家が、どのように藩祖の『裏切り』を正当化、美化するか」というのもひとつのテーマだったようです(笑)
前田利家は、賎ヶ岳では完全に裏切り者ですか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1145406831 #知恵袋_
http://www2.ttcn.ne.jp/tot23/page033.html
前田利家の鈍感さを感じるのは、賤ヶ岳の戦いとその後の彼の行動です。前田利家は柴田勝家に与しながら、戦勢不利になったころ、戦線離脱し、柴田軍の敗北を決定的なものにしています。(略) 事情はどうあれ裏切りは裏切りです。関ヶ原の小早川と変わるところはありません。
例によって井沢元彦がこの話かいてるな。
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「センゴク」のこの内乱の描きかたは、その前の「清洲評定」から続いているけど「わしらが内乱して雌雄を決さないと、なんか世の中の『治まり』がつかないんだよな…」という空気を感じ、その空気に押されるようにしてこの戦いに挑む柴田・羽柴という絵描き方が、正しい正しくない以上に新鮮でした。
西郷隆盛や江藤新平も、今の政治家も、自分の欲望と同様ぐらいに「利益代表者」であり、「下からの期待をみてると、ここで闘わざるを得なくなった…」ということも、普通にあるんだろうな。
※こういう話題の記事に、自分は副タグ、準タグ的に【敗将列伝】【記録する者たち】という言葉を盛り込んでいます。興味のある人は上の検索窓から、このワードで当ブログを検索してください。