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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ヒトラーに喩える」論、いくつかの視点で~たとえば「ヒロシマ」「ピカドン」の比喩表現とか

維新関連の「ヒトラー」話、自分はいち早く、そんな事件の「一覧」を作って、なかなか有益な資料になったと思ったのだけど
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作ったら気力を消費して、論じるネタはあったんだけど、さぼったことであるよ。

一応かかなきゃいかんことでもあるので、書いておこう。


まず、言われた方が、「わたしはヒトラー的ではない」と反発して、文句をいうのはそれはもう、普通の反応で、それを論じるまでもない。
また、言う方が「そいつはヒトラー的だ」と本当に信じて批判するのも、これも自然のこととしてあるだろう。



ただ後者のほう、つまりヒトラーを悪という前提として、別の何かを「その悪と一致する」とみなし、レトリックとしてヒトラーやその周辺を持ち出すと、「そのこと自体」が批判される流れって、(それが圧倒的多数の意見かはしらないが)存在することは確かに存在しているのよ。


それは先ほどのリンク集でいうと、2005年に亀井静香氏が外国人記者協会での講演で小泉純一郎ヒトラーに喩えた時に、サンスポが取材したコメントに出ている。

講演会後は嫌悪感を示す外国人記者も。「講演会にユダヤ人の聴衆がいたらどんな気持ちを抱くか、少し考えたほうがいい。国際的場面ではヒトラーを例えに使う政治家はいない」(米国人ジャーナリスト)。多くのメディア関係者には、郵政総選挙の争点より、亀井氏の憤りの激しさばかりが印象に残ったようだ

サンスポが発言を捏造したのではない限り、こういうスタンスに立つ人もいる(またこの米国人ジャーナリスト氏は、べき論ではなく「国際的場面では…使わない」という「である」論の主張もしてる)

これは何かというと
ヒトラーと、その周辺が起こした各種の悪行(ホロコーストなど)は、他の事例と比べても圧倒的に悪質で、非常に特別な意味を持つ。安易に比喩にしたり比較したりするのは、他の一般的な事柄との同一化であり、それはナチの特別な悪質性の矮小化につながる」のだと。


こういう理路は、たしかに聞いたことがあり、
そういう点で「ホロコースト」という呼称を他の事件に使うのを、ユダヤ人団体などが拒否するという事例があった、と記憶している。

ああ、「ホロコースト比較不能論」という言葉もあるらしいね。

ホロコーストの表象をめぐる問題は、どこまで他の歴史的出来事に適応できるだろうか。ホワイトはこの点についての見解を明示的には論じていないが、少なくとも、彼のホロコーストの表象についての議論では、問題をホロコーストという出来事のみに収斂させないよう、言葉が選ばれている。それはホロコーストが他のいかなる歴史的出来事とも比較不可能な「特異」な事件だとする主張に対する、ホワイトの批判的姿勢の表われと見ることもできる。ホワイトにとっては、ホロコーストの表象をめぐる諸問題とは、出来事の表象一般の問題が表面化したものだと考えることができる。
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154 第二部 論文編 ホロコーストの表象の可能性  155
 では、これまで論じたホロコーストの表象の問題が、ホロコーストに限ってのみ指摘されるものではなく、他の歴史的出来事にも共通する問題であれば、そこで論じられた歴史の方法の可能性を、他の出来事の表象に適応させることはできるだろうか。たとえば、パレスチナ人の被った大災厄(アル=ナクバ)の表象についての問題を、ホロコーストの表象から見えてきた歴史の方法論的問題に重ねて考えることはできるのではないか。
 しかしその議論を始めるためには、解決しておかねばならない論点がある。
それはホロコーストの特異性と比較可能性という二項対立のアポリアである。とくに歴史家論争では、ホロコーストという出来事の特異性が問題とされた・・(後略)


http://www.ritsumei-arsvi.org/uploads/center_reports/13/center_reports_13_13.pdf


この文脈におけば、2005年の亀井静香会見において米国人ジャーナリストが批判的な意見を述べた、というのは、そういう意味か、と理解し得る。
にしても、これすげえな……。
「今回出馬を断念した議員や私たちは、小泉首相に政治的な毒ガス室に入れられたようなもの。私は生き残るがね」


ヒロシマ」や「ピカドン」「アトミック」の比喩がどれだけ使えるか、という話に置き換えてみては?

つまり、どこかの国で、けっこう大きな爆発事故やテロ事案、あるいは何かの兵器関する被害や問題があったとする。

「これは我々のヒロシマだ」「まるでPIKADONだ」「アトミック級の衝撃だ」といった比喩が使われた時に、異議・批判を申し立てる人がいるかいないかといえば、それはいるんじゃないか、と思う。

ただ、原水爆を「衝撃的」「超強力」「すべてを一掃」的な(肯定的な)意味で使う、という文脈も多い。
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一応、それと区分けして批判的な意味、それは不幸なことだ、という意味合いでありつつも、ヒロシマナガサキetcをかんたんに比喩として使っていいか、という話を連想すると、色々考えは整理できるのではないか。


極北の表現としてのいしいひさいち創価学会信仰を「洗脳」的に描き、しかも「尊師」…

なんども紹介してるなこれ。

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オウム真理教事件も、比喩やジョークの対象にしていいような事件ではない、深刻な問題だ」
とか
麻原彰晃呼ばわりはやってはいけないこと」

という主張はいえば言えるだろうけど、それはやはり表現および政治批判・風刺をやはり、せばめるだろう。
今回の件も、それと同じカテゴリに自分は入れている。

ちなみに、〇〇を批判したい意味での「〇〇真理教」という用語を用いるって、なんか社会的に定着してるな


おまけ 「造反有理」を肯定的に用いるほうがヤバいと思います

「最終的解決」とかとあまり変わらん言葉だからな。批判の意味でヒトラーを持ち出すとか、ブラックジョークとかの類じゃなくて、読む限りは完全に肯定的に使ってるんで、本当はこれこそニュースになって、追及されてよかったんじゃないかと思うが
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