実際に読ませてもらうと、1章から3章までのホロコースト否定論がメインの記述などは、個人的にはすでに聞いたことのある話の方が多かった。
これは当方が、マルコポーロ事件などを実際の読者として体験し、同時に「トンデモ本(と学会)」の面々がこれをメインテーマとして語っている文章に接していたからだと思う。
ツンデルとかアービングという人名は、個人的にお馴染みだったし。
だから新知識で面白かったのは、ファクトとしての「ホロコーストの有無」を争うような議論ではなく、ナチ体制とソ連体制は比較可能か、同じシステムなのか…といったいわゆる「歴史家論争」の記述だ。これも一部、論争が同時進行の時は興味があったけど(三島憲一などが「世界」で書いてた)、その後の全体的な見取り図は読むと興味深い。
ただ、ボルシェビキとナチスの関連性について、「後者が前者を模倣した、というのには実証的裏づけを欠く」というのはどんなもんだろうな、と思う。
「真似(模倣)」というのは、本当に見本を見ながら模写した、だけでなく「発想や環境が似ていて、結果的にあとかた類似した」、という比喩的な意味としても使うんじゃなかろうか…と感じました。
さて、それ以上に自分が新知識として非常に興味深く読んだのは6章と7章です。
6章は「ヨーロッパで進む法規制ー何を守ろうとするのか」と題し、ホロコースト否定論などをヘイトスピーチの一種と位置付けで規制する動きです。
興味深かった点を箇条書きで。
・ホロコースト否定論などを法的に禁止しようという動きはそれほど昔からではなく近年の動きである。90年代から2000年代にかけてが多い。
・「何を」守ろうとするのか、つまり保護法益は何か。
歴史の真実…ではなくこの否定論が人種偏見や民族差別、特定集団への敵意などとみなして規制対象とする発送が多い。
・しかしその場合「やはり歴史修正主義も質は悪いが歴史に関する一つの言説である」
「歴史の否定を法で禁止することは国が公的な歴史というものを設定することを意味する。特定の過去の解釈に、国がお墨付きを与えることになる」
という立場から規制をしないのがイギリスやアメリカの考え方だつまり英米法の流れに属する国が消極的と言っていい。
・フランスには歴史を法で規制する「記憶の法」と呼ばれる法律は四つある。
一つはニュルンベルク裁判の「人道に対する罪」の否定禁止を定めた「ゲソ法」
残りはアルメニア人虐殺の事実を公式に認める法律。これは「フランスは1915年のアルメニア人ジェノサイドを公式に認める」というたった1文だけ。ちなみにこれを否定しても罰則はない。他は奴隷・奴隷貿易を人道に対する罪と位置付けた「トビラ法」、アルジェリアからの引揚者の功績や苦労を認知する「引揚者法」
そして第7章では…もっとややこしくなる。
上にも書いたように、フランスには「1915年のアルメニア人ジェノサイドを公式に認める」という一文だけが書かれた、罰則も何もない奇妙な法律がある。
これは、ヨーロッパを中心に世界中に散らばったアルメニア難民(移民)が、影響力を発揮しトルコでアルメニア人のジェノサイドが行われた、という歴史見解をロビー活動の形で活発に繰り広げているからである。そしてそれに対してトルコが官民を挙げて猛反発しているという 。
何しろトルコ国内では「1915年のアルメニア人虐殺はジェノサイド」 とみなす言説を逆に法律違反としているんだ。
しかし「ナチスのホロコースト否定は犯罪である」とヨーロッパ諸国が規制した結果「それならアルメニア人虐殺はなぜ否定論を犯罪としないのか、不公平だ」といった声が、アルメニア系の団体から挙がる。
中東研究の大家バーナード・ルイスは「アルメニア人が多数死亡したことは事実だが、トルコに抹殺への意図はなく、ジェノサイドには該当しないだろう」との見解を「ルモンド」で1993年に述べたところ、訴えられ「罰金1フラン」を支払ったとのことである。
ただし、この裁判で「フランスの法はニュルンベルクにもとづく罪、犯罪の否定論だけを禁じていて、アルメニア人虐殺にはそれが適用されない」ことは確認されたんだそうだ…ややこしい!
そして、それが飛び火して「フランス革命で革命派が王党派を多数殺害した、ヴァンデ叛乱の鎮圧もジェノサイドと認定せよ」という声まで。
けっきょく細かい変更を経て2017年以降、ホロコースト以外の戦争犯罪や奴隷貿易、などの否定や矮小かも禁止されているそうな。
アルメニア人虐殺をめぐる論争はトルコが欧州評議会の加盟国であることによって「欧州人権裁判所」での法廷闘争になることはある。2005年に過激なナショナリストとして知られるトルコ人の政治家があえてスイスで「アルメニア人ジェノサイドは国際的な嘘」と発言…起訴されて、スイスの法律で有罪が確定した。それを欧州人権裁判所で表現の自由の侵害としてトルコ人政治家は争い「刑事処罰を科すには当たらない」と判断されたのであった。
そしてそして。
ある意味、今はウクライナ戦争によってさらに大きなトピックとなっているのだろうが……
旧東側諸国では、ナチスやホロコーストと同様に共産主義を位置付ける、という”歴史認識”があり、 ポーランド、チェコ、ハンガリーなどで「共産体制下での犯罪の否定を法規制する」かたちとなっている。

これらの動きに呼応して欧州議会は2008年、独ソ不可侵条約が締結された8月23日を公式に「スターリニズムとナチズムの犠牲者のヨーロッパ追悼の日」と定めた。現在は名称が変更され「全体主義の犠牲者のヨーロッパ追悼の日」に。
あれ?スターリニズムとナチズムを「全体主義」とひとくくりにするハンナ・アーレント的な思想も、いろいろ議論があったような…
特に「カチンの森事件」などを経験したポーランドは厳しい…その一方で「ポーランドもドイツ占領後、ユダヤ人迫害に加担した」といった言説も、違法化したという。と言うかアウシュビッツを「ポーランドの強制収容所」 と呼ぶことなども禁止している。いいのか、これ?
これに対してロシアが「歴史歪曲、歴史修正主義だ」と批判してんだから、この世はほんと、マッポー(末法)です……。
たとえば、日本の議会で「日本国はトルコのアルメニア人虐殺がジェノサイドであることを公式に認定する」なんて法律とか決議とか……、したほうがいいんだろうか?
こういう国際間の揉め事に対し理非曲直を(自分からは)積極的にあきらかにしない、 のが、戦後のジャパニーズスタイルだったが。