【最終回情報】【漫画小ネタ集】
吉田戦車「出かけ親」次回で最終回。最新回では「干飯(ほしいい)とおかゆ」が描かれた。
小学館『ビッグコミックオリジナル』連載中、吉田戦車先生の「出かけ親」、次号で最終回か。楽しみに読んでいたので残念。 pic.twitter.com/mLpHoPyys3
— びいどろ書房 新刊マンガなどを紹介 (@biidoro_) November 5, 2024
娘さんの成長と共に描く作品、しばしば「書かれてる側が嫌がる」で終わる(クリストファーロビン現象、とでも命名するか)のだが、マンガを通じて見る限りはちょと達観してるっぽい。
ところで、最新回には「仙台糒(ほしいい)」というのが出てきた
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仙台糒(せんだいほしいい)は、日本の江戸時代に仙台藩で作られた糒である。江戸時代には仙台の特産品の一つとして知られ、明治・大正までは作られていたが、その後絶えた。慶長年間(1598年 - 1615年)に、仙台藩初代の伊達政宗が、兵糧にするため、道明寺糒を参考に上方の技術を導入して作らせたのが始まりである。製造は5か所で、立町の夏井藤兵衛、国分町の白河才兵衛、木町の酒井五郎右衛門、新伝馬町の伊藤虎之助、そして近郊の小田原村の松原庄右衛門であった[1]。仙台の糒は上質をもって知られ、伊達家が幕府や朝廷に献上した。水を飲むとき一緒に食べると下痢にならないとも言われた[2]。糒は藩に納められたほか、市販もされた[3]。道明寺糒が粉になって道明寺粉という菓子の素材になったように、仙台糒も粉にして菓子の原料に用いられた。
仙台の人々は、仙台糒を道明寺糒と呼び、特に区別しないことがあった[4]。大正の頃に立町1丁目にあった夏井源兵衛の店の看板には「道明寺御糒製造所」とあって、仙台糒の名を前面に出していなかった[5]。
廃藩後は軍糧としての需要がなくなり、最後は夏井家のみとなった。その後夏井家の糒製造も途絶えている[6]。
この前、この番組で「干し飯は”蒸す”。そうすると水で戻しやすくなる」という知見を得た。
・ちなみに、この「蒸す」方式だと、そのお米を乾かすと、その後水やお湯で戻したときに、他の調理法よりいい感じになる。
・それが戦国時代の兵士の兵糧「干し飯」。保存性によく、水で戻りやすい。蒸したご飯は水分が3割ほど少なく、カビも生えにくい。・戦国時代の研究をしてる大学客員教授が「私も干し飯は知っていましたが、どう米を調理してるかと考えたことはなかったですねぇ」と感心していた。
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同時に出かけ親では
仙台糒は、それで粥を作って討ち入り後の赤穂浪士に食べさせた、という伝説がある…というエピソードを知る。
これが本当かどうかはわからないが、ただ「赤穂浪士をねぎらったか、いじめたか」は江戸時代の諸藩の「人気度」「武家としての格」に直結する話であり、本当にそういう便宜を図ったのなら鉦や太鼓で宣伝するし、そうでなくてもそういう伝説をでっち上げたりするだろうな。それは、「風雲児たち」で既に知った知識だ。そういうふうに漫画だけでも、知識は融合して発展できる…
彼が歩くところはどうしても「食」の伝統から「歴史」につながり、それが楽しかった。
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