タイトル的な問い。
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というのは、後者のほう……「眼鏡が不要になる魔法や科学がある」に類する創作物も、結構見るんですよ。
えーと、上のまとめで特にそのテーマについて語られている「聖女の魔力は万能です」という作品は…
今現在の無料公開範囲をみてもよくは分からないけど…
あー、第四話に該当場面があるそうだね。これはネットからはもう有料でも見られないんかな?
で、老害な自分が覚えているのは桂正和「ウイングマン」。ここで、なんでも夢が実現する「ドリムノート」に描かれる、変身ヒーロー(いやヒロイン)の設定において……変身する当人からの希望として、各種の能力やコスチュームに加えて「目が良くなってメガネをかけなくても良くなる」という記述をわざわざリクエストされる、という場面があったんです。
彼が本当に変身できることを知り、これをネタに自分も変身出来るように(半ば脅迫で)頼み込んだ。
ウイングガールズの結成を提唱した張本人で…(略)普段は眼鏡っ娘だが、変身後は視力が良くなるようにドリムノートに書き込ませている。
アニメ版では「眼鏡が戦闘の際に邪魔になってしまう」と懸念した健太がデザイン完成の際に追記してくれた。
dic.pixiv.net
そのほかドラえもんの未来設定…のび太が大人になる時代には、近眼が治療できる医学の発達があったとの設定。
そして、実は実は、銀河英雄伝説が最初にアニメ化された時(いわゆる「石黒版銀英伝」)、声優すべてに声がかかる勢いだったと言われるほどにキャラ多数なのに、メガネのひとはひとりもいないのでした。それはのび太と同様、「その時代は未来なので視力を治療できる」という設定だったからでした。ご存じでしたか???
ノイエ版「銀英伝」のキャゼルヌ先輩がメガネキャラとして(一部で)人気となってる。石黒版のときは「視力の不具合は外科的治療などで治療できる」という設定でメガネキャラは(貴族のモノクルなどファッション的なものは別として)いなかったんだけど、やっぱりメガネ、いいよね。
— 安達裕章 (@adachi_hiro) May 1, 2020
こんな例もあとから目にしました
プリキュアを例に挙げると、普段はめがねをかけていても変身してプリキュアになると、めがねを外してしまいます。
— 三井珠嬉 (@tamaki_amaguri) 2021年12月3日
めがねのプリンセス・魔法少女の姿を身近にすることで、プリンセスごっこや魔法少女ごっこをするときはめがねを外す子、悲しい思いをする子がひとりでも減らせたらと思います。
大人にはコンタクトという選択肢がありますが、子どもはそうはもいきません。子どものめがねや視力について学ぶうちに、視力の弱い子がめがねを外すことの問題にも目が向くようになりました。
— 三井珠嬉 (@tamaki_amaguri) 2021年12月3日
めがねユーザーの子どもの心と体の健康のためにも、憧れとなるようなめがねキャラが増えたらと思います。
自分の体験に目を向けると、再放送で見たセーラームーンも、現役で見ていたプリキュアも変身後にはめがねを外していました。そんな中おジャ魔女の存在は大きかったです。はづきちゃんに出会えたのはラッキーでした。
— 三井珠嬉 (@tamaki_amaguri) 2021年12月3日
めがねのプリンセス・魔法少女に出会うことがラッキーではなく当たり前になればと。
こちらは、「子供たちがメガネを卑下しないようにするためには、メガネのままでキャラが活躍すべきだ」との論に立っておられる。
ちょっとつかれて来たので、まとめちゃいますけど(後から追加したいことは追記するわ)。
まずは、おはなしというのはそもそも「ウソ」であります。どうせウソなら、どんなウソを言ったっていい。願望欲望、すべて自由にしていい。
… ボソボソ暮しても 世の中ァ同じ デッカイホラ吹いて ブァーッといこう ホラ吹いて ホラ吹いて 吹いて吹いて吹いて吹いて 吹き上げろ
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サンタクロースをつかまえて うちだけまいばんクリスマス
そうだったらいいのになそうだったらいいのにな
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メガネ(視力の障害)について、どうマジョリティとマイノリティに区分されるのか、メガネをかけてる人間の当事者性みたいなものは最優先されるのか…とかはポリコレ的に重要なんだかどうかしらんけど、
ここから、じゃあ当事者(メガネ利用者)として発言しよう。
ぶっちゃけメガネってやっぱりうざいです。重いし汚れるし、運動に邪魔だし、無ければ無い方がいいです…というのはまったく個人の感想だが、例の権力勾配的には当事者様であり、マイノリティであり弱者である立場からの発言??なので何を言っても一部界隈からはOKになるはず。
平野耕太先生は許さんかもしれんけど、あれはヒロイン限定だから大丈夫か(笑)
メガネっ娘が理解できない人間を積極的にどうこうしようなどとは思いませんが、そういう人間が死ぬボタンが目の前にあって、押さないとおやつ抜きって言われたら無表情で押します
— 平野耕太 (@hiranokohta) 2012年9月20日
だから、魔法なり科学なり超科学なりで、「メガネをかけなくても良くなる」という空想世界を考えるというのは実によくわかる、さもありなんですね。
だが、「現実にメガネをかけている人たちをエンパワメント(流行語)するには、メガネをかけて、しかも活躍する人物を配置すべきだ」「いや、メガネがごく普通の属性として、キャラの個性や物語とは全く関係ない、紐づかないものであるべきだ」とか、そういう話も出てくると、ややこしい。
そして、この話を思い出す。
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・・・問題になっているのは、法案の基本理念として書かれた「生殖補助医療により生まれる子については、心身ともに健やかに生まれ、かつ、育つことができるよう必要な配慮がなされるものとする」という部分。「心身ともに健やかに生まれ」という言葉の意味するもの
特に「心身ともに健やかに生まれ」という文言について、藤井氏は「不良な子孫の出生防止」を掲げた旧優生保護法のもと、遺伝性の病気や知的障害などがある人に強制的に不妊手術が行われた問題につながりかねないと指摘した。法案に反対する議員も「障害児は産まなくて良い、と法案が言っているようなものだ」と語る。
藤井氏はさらに「『お子さん元気で良かったですね』と言うのは社会的な通念としてはある。しかし、法律に入った瞬間に優生政策の域に入ってしまう」とし、一般的な会話で「心身ともに健やかに生まれ」という言葉を用いるのと、法案に盛り込むのとでは意味が違うと指摘した。
そんな話から逆算して、「空想・フィクションの中では、メガネが不要でありたい」と考える、この欲求は、どう位置付けられるのかな。
その中に、せむし男との対話がある。せむし男はツァラトゥストラに、(おまえが救世主なら)自分のせむし(障害)を取り除いてみろと挑発(懇願)するが、ツァラトゥストラは「もし、せむしからそのこぶを取り去るならば、その精神を取り去ることになる。」と断る。
— ゆっくり文庫 (@trynext) January 25, 2019
「自分も欧米人のように、ブロンドの髪なら良かったのに」みたいな話もいま連想で思いついた。
だが疲れたので、投げっぱなしで終わる。
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