これ、そういう話ではないと思うんだよね。日本のは「消費されるキャラクター」のバリエとしての「眼鏡」であって、モブでもヒロインでも、「主体性をもった一人の人間」として扱われるカルチャーが根付いていないということでしょ。 https://t.co/D70MM7QBPj
— おうどん食べたいな (@chikutaku_din) 2020年7月22日
う~ん、自分には日本の萌え文脈における「眼鏡っ娘」は性搾取可能な記号でしかなくって、海外のフェミニズム的記号とはまったく逆のベクトルを向いているような気がして仕方ないです。
— ごんた (@HklS8DVwCciRSpK) July 23, 2020
メガネをかけた女性もディズニーヒロインにしてほしいという声があることに、「我々オタクはメガネっ娘フェチの人が多いので、そうしたキャラも多いですよ」とか言っちゃうの、胸の小さい人に「俺は貧乳たまらないと思いますよ」と言って相手をエンパワメントできると思ってるのと同じぐらいにアレ
— つりがねむし (@Tsurigane_mushi) 2020年7月23日
メガネをかけてると「メガネキャラ」という特定の属性として扱われ、そこに「オタク風、委員長、真面目」等の性質がセットでつく、そういうのをやめてメガネかけた人もそうでない人と変わらず扱ってくれとの声なのよ メガネなんて単に視力の関係でかけるもので、本来は性格とは何の関係もないのだから
— つりがねむし (@Tsurigane_mushi) 2020年7月23日
そういう願いを持ってる人に「俺はそういうメガネキャラ特有のイメージに興奮するよ」と言っても、それも結局はメガネに対するステレオタイプの産物でしかないし、そもそも相手は興奮されたいとかを求めてるんじゃない 「おまえの好みかどうかなんて話じゃなくて、その固定観念を捨てろや」って話
— つりがねむし (@Tsurigane_mushi) 2020年7月23日
…という話を、先だって指摘してるからこのブログは、そのへんのおあにいさんとはちがうんでぇ。
いでよ、尾頭ヒロミ!!
いでよ、「進撃の巨人」のハンジ!
m-dojo.hatenadiary.com
いでよ、ジェットマンの女性長官さんとかいろいろ!
m-dojo.hatenadiary.com
つまり、こういう話。番号を振っておくか
(抜粋)
1・エンターテイメント(に限定します)は、面白いものを追っていくと、キャラクターの「テンプレ」ができる。
2・それは往々にして、人種や国籍や宗教や性別や趣味に関する「ステロタイプ」を作ったり、それに乗っかっていたりする。
3・それが思想的に批判されたりする。
4・そんな思想とは別に「このパターンはもうマンネリだ!敢えてずらして正反対のキャラを描くぜ!」という人が出てくる。
5・さらには「どうせならかわいい女の子(男の子)にこの役やらせたいわ!普通のテンプレなら、おっさん(おばさん)の役だけどな」てな動機もある。
6・結果的に「若い女性のマッドサイエンティスト」とか「少女だが寡黙で戦闘力が最強。幼なじみの男の子をその武力で守ってあげる」「若い男だけど綺麗好きで掃除大好き」とかの「テンプレ破り」が生まれる。
7・それがフェミニズムなどの思想的にも評価される。
いや、それでいいんならいいんだけどさ!!!!
要は4とか5とかの話が、6になったはいいが、
7にうまく着地せず、いやそれじゃダメだ!と言われる・・・・・・・・・としても、実は結局のとこ、構造的には変わらんのだけどな。
「〇〇な女性は魅力的だ」の「魅力的」が、『魅かれる』という意味なら、そこに性的・美的な意味が入っていいのか。
という問題でもある。
たとえばの話、よくなんかの芸能人インタビューで、好みの女性のタイプは?
と聞かれた男性が(※こういう聞き方はもちろんLGBTを排除しているようにも懸念されましょう。女性、或いは同性、他の性的少数者も対象に含んでいるが…と補足すべきでしょうが…そこは置いておきます)。
こう答える。
「自分の意見を持ち、その意見をはっきり発言して行動に移せる、そんな女性(※上の補足参照)に魅かれます」
なんて答えたら、ポリコレ的には100点満点なんでしょう。或いは100点満点とはいかずとも「はなまる」でしょう。
だが
しかし。
その男性芸能人が、つまりそういう人を恋人にしたい、そういう人と結婚したい、という時、つまりそれは美的、性的な意味においても価値をみとめている、ということでさ…。
それは「ぼくはメガネの女性が大好きだ!」というのと
「ぼくは、はっきり自己の意見を言うような女性が大好きだ!」
にそんなに差があるか、ないか。ぶっちゃけ内面の話だから、大いに違うかもしれないし、同じ平面にあるかもしれないんだわさ。
メガネ女子って外見の話だけじゃん、というなら「メガネをかけてひっそりと読書する女性」に魅かれる、とか「メガネをかけてはきはきと自分の意見を述べる女性」に魅かれる、ならいいのか。
ちょっとでもルックス、ファッションの要素が絡むとだめになるのか。難題ではあります。
おもえば呉智英は、80年代に…ってこの話何度もしたな。
「スケベ親父が女漁りの末『わしはウーマンリブとか、気の強い子が好きやグヘヘ』と言い出したら、男女平等は前進か」という問いを発していたことがあったのだった。
「何に対して(性的な面も含めた)魅力を感じるか」は「榎木僧正から切株僧正へ、そこから堀池僧正へ(徒然草)」みたいなもんだとも思う。
現代語訳
藤原公世、従二位の兄さんで良覚僧正とか言った人は、大変へそ曲がりだったそうだ。彼の寺には大きな榎の木があったので、近所の人は「榎木の僧正」と呼んでいた。僧正は、「変なあだ名を付けやがって、ふざけるな」と怒って、その榎の木を伐採した。そして、切り株が残ったので「きりくいの僧正」とあだ名を付けられた。すると僧正はますます逆上して、今度は切り株までも掘りおこした。そして大きな堀ができた。その後、僧正は「堀池の僧正」になった。
原文
公世きんよの二位にゐのせうとに、良覚僧正りやうがくそうじやうと聞えしは、極きはめて腹あしき人なりけり。坊ぼうの傍かたはらに、大きなる榎えの木のありければ、人、「榎木僧正えのきのそうじやう」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐きられにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを堀り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池ほりけ僧正」とぞ言ひける。
男性に対してでも女性に対してでも、何に対して魅力を感じるかは様々過ぎてねえ…そもそもメガネの女性が魅力的、というのも考えれば、「どうしてそうなるの?」みたいに理路はわからん。
実話をもとにした「となりの801ちゃん」では主人公がスーツ大好きで、付き合ってるチベくんに「スウツスウツ!!」と着用を強要している光景が描かれていた。
そこに魅力を感じてもらおうと思ってるわけじゃないのに…というものに対して、美的あるいは性的な魅力を見出すのは有形、無形を含めこれからも無限に行われていくだろうし、それは「僧正」の呼び名がどんどん変わっていくようなものかとぞ似ます(了)。