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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

高度に発達した「テンプレ破り」は、ポリコレと区別がつかない(俺は)。女性、民族キャラクターなどを例に……

【アナ雪LGBT論争】「エルサに女性の恋人を」ファンの訴えに対する日本での反応 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/971657

そこでも紹介されているのは

「エルサに女性の恋人を」、アナ雪ファンの訴え広がる http://www.cnn.co.jp/showbiz/35082147.html

(CNN) 米ウォルト・ディズニーのアニメ映画「アナと雪の女王」のファンの間で、「続編ではエルサにガールフレンドを」と訴える呼びかけがソーシャルメディアを通じて広まっている。
きっかけは10代のアレクシス・イザベルさんがツイッターに、「ディズニーがエルサをレズビアンのプリンセスにしてくれたら、どれほど象徴的か」と書き込んだことだった。
イザベルさんは続いて、「Dear @Disney,#GiveElsaAGirlfriend.(親愛なるディズニーへ、エルサにガールフレンドを)」と投稿した。
この投稿が発端となり、「アナと雪の女王」の続編はLGBTへの認識を高める媒介になって欲しいと要望する声が高まった。


実は過去にこんな例があります。

新作のホームズ映画に著作権者が怒る「ホームズとワトソンを、同性愛っぽく描くな!」http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120321/p3
SHERLOCK」の同性愛論議、再び…PC問題も絡めて考えると、さらに複雑になる - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140805/p3
「シャーロック」ファンがホームズとワトソンの同性愛シーンを要求! | ニュースウォーカー http://news.walkerplus.com/article/48979/


また、
ディズニーのはなしでは、あの大福みたいでおいしそうなロボット「ベイマックス」が「PCに配慮したアニメだ!」と公開当時、称賛されていましたよね。

ベイマックスの「政治的正しさ」とクールジャパン - Togetterまとめ http://togetter.com/li/764958


さて、そんな最近の資料を提示したところで、自分の古い古い記憶にお付き合いいただきたい。


朝日新聞にかつて「フジ三太郎」なる四コマ漫画が連載されていました。
朝日と言えば昔も今も「良心的」(山本夏彦的な意味で)な新聞なのですが、このフジ三太郎、今の基準のPC、とくにジェンダー面でのPCで考えると…まずい感がいろいろある。
いや子どもだったから、そういう話は半分もわからなかったけど、でも僕はあたまが良かったので(笑)、なんとなく不穏な空気を感じていたのですよ。てか、そんなこども時代から朝日新聞読んでたんだからすごいな俺。

ただ!!
逆にフジ三太郎を、女性描写の点で評価する声もある。
それは「女性上司」を1983年には登場させたことだ。



あ、ここに非常にいい資料があるけどね…

http://www001.upp.so-net.ne.jp/ketoba/fujisantarou.htm

四コママンガ『フジ三太郎』に見る女性
小矢野哲夫


 1983年に三太郎の部長が女性に代わった。北原部長は「もう女は『職場の花』じゃないわよ」と三太郎に言い渡し、さらに鼻息荒く「特にあなたは女性への言葉づかいに気をつけなさい」とたしなめる。その日の夜、ビアガーデンで課長や女性社員と飲んだ翌日、部長に呼ばれて「アナタ アタシのこと『職場のハナ息』といったんですって…」と言われ、査定にバツ印を付けられる(83.6.8)。「職場の花」は今ではセクシュアル・ハラスメントになる言葉である。この作品はこの用語に対する女性側からの異議申し立てである。三太郎の「職場のハナ息」発言はだじゃれの域にあるものだが、男性社員が女性社員を職場の花として意識していたことの端的な現れでもある。




・男性中心社会を女性の部長や係長の視点から風刺している。
・「主人」を避け、「亭主」「夫」などの呼称を女性の部長に使わせている。
・「妻夫」「淑女服」などの架空の言葉にジェンダー意識を問う姿勢が見られる。
・性別役割分業の固定化に異議申し立てをしている。
ジェンダーの観点で時代を先取りした作品が注目される。


なんかよくわからないが、この「職場のハナ息」というギャグは子供心に覚えていた。
ただ、今から思うと…これは後述しよう。

それから数年後、これは記憶だよりだが鮮明に覚えていることがある。
このフジ三太郎が、XX回記念だかXX年記念かで、識者にお祝いコメントを寄せられるのだが、その歳、どこかの女性文化人から「今のフジ三太郎の女性上司が、いかにもマンガ的な太めの強きなおばさんで残念。今度は若くて美人な女性上司を出してください」といった趣旨のコメントが寄せられたのだ。


なぜ、これを覚えているかというと、自分はコドモゴコロに
「無茶いうなあ。マンガ、物語のキャラクターってのは、それによって興味深いストーリーを紡ぐために配置されるんであって、政治的な正しさに配慮して、正しいから配置する、というものじゃないだろう」と思ったんですよ。当時、「政治的正しさ」なんて用語はないけど、そういう趣旨のことを内心思ったので、それで強く記憶しているというわけだ。

で…本当にそういうキャラクターが加わった、後日フジ三太郎には(笑)

wikipedia:フジ三太郎
馬奈アケミ係長
北原部長に次ぐ女性キャリアウーマン。三太郎より若いが北原部長に抜擢され昇進。課内で唯一英会話ができる。一方で喫煙者のため嫌煙権が広まるにつれ三太郎、万年課長と共に肩身の狭い思いをすることもあった。


さて、その時からだいぶ月日は流れ、こういう本が評判になった。

ナイチンゲール」は『ナウシカ』である、「キュリー夫人」は『セーラームーン』である、「ヘレン・ケラー」は『もののけ姫』である。

    • このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

著者からのコメント
紅一点。正しくは、萬緑叢中紅一点。かみくだけば、男の中に女がひとり。戦後生まれの子どもたちにとって、「紅一点」といえばテレビのヒーロードラマがまず思い浮かぶだろう。『秘密戦隊ゴレンジャー』にはモモレンジャー、『ウルトラセブン』のウルトラ警備隊には友里アンヌ隊員。そして、私たちは学んだのである。女の子がすわれる席は、ひとつしか用意されていないんだな、と。そんな「紅一点の女」を中心に、戦後の子どもメディアを彩ったヒロインについて考察してみたのが本書である 。

ヤバコ @yavac0 2012-09-14 21:42:40
『紅一点論』ではアニメで登場する女性を三パターンに分ける。悪女と娘と聖女。時として母が加わる。アニメ史を大雑把に追いかけながら男子向けアニメと女性向けアニメとでどうキャラの立ち位置が変わってきたかを分析してるのが面白い。

たとえば、同書では「天使」というイメージのナイチンゲールが実際のところは政治的、行政的な意味でも凄腕で、実にタフな政治闘争に勝利して、それゆえに看護業界に革命を起こし得た…という話を紹介しており、それが2015年に藤田和日郎の「ゴースト&レディ」で実際にエンタメで描かれたのだから面白い。

ただ、この本を読んだとき、オトナになっていた僕が思ったのは「なるほど、たとえば女性がすべて「助けられるだけのお姫様」という描写、物語はあまり評価できない。武力的にも知力的にも活躍する自立した女性を描く作品は評価できる…という立場はわからなくはない。ただ、正しい正しくないとは別に、(1)どんどん、通常のパターン、テンプレは見飽きてるから、これは敢てXXXというキャラにしよう!という発想 (2)とにかく同じ登場人物、同じ役割なら、男より女にしたほうが人気が出そうだ!! という発想・・・・によって、男性の役割的なテンプレのものが女性になるのは増えていくんじゃないか?」ということでしたね。


実際、エンターテインメントの中の女性は「博士の娘」とか「お姫様」みたいに、ただのマスコットだったり、助けられる存在とか、せいぜい看護、治療しかできないとかじゃなく、どんどん積極的な方面に進出していった。
・技術を取り仕切る頭脳派のハカセ
・オタク的エンジニア
・暴力的で単純な武闘派
・武士道的な価値観を持つ剣客、忍者
・ゼニ勘定にうるさい小悪党


・・・・・・いちいち具体作品を挙げない(挙げられない)が、なんかふわっとしたイメージ、あてずっぽうで「こういう女性キャラクターいるよね?」と言ってもOKだろう。上のようなキャラクターは、以前はオトコの独擅場だったのも否定しない。
そしてさらに、朝日新聞で上記「フジ三太郎」で話題になったような、
「びしっとスーツを着こなし、組織のリーダー役を務める女性。しかも若くて美人」なキャラクターも当たり前のように存在することになった。
あれよ、エヴァンゲリオンミサトさんとか、パトレイバーの南雲隊長、熊耳武緒……(老害か!!こんな例しかぱっと思い浮かばん)

さらには特撮ヒーロー、戦隊ものの「司令官」まで女性が務めたのは…

wikipedia:鳥人戦隊ジェットマン
田切 綾(おだぎり あや)

ジェットマンの長官。スカイフォースの幹部にしてスカイキャンプの責任者でもあり、戦隊シリーズ初の女性司令官である。ジェットマンたちを厳しくも温かく見守る、心強い最大の理解者。33歳[11]。
指揮官としての能力は言うまでもなく、軍人としても一廉の技量の持ち主で、単身で最前線に赴いて銃やロボを用いて戦うこともある。第43話では変身することなく単身ジェットガルーダに乗り、バイオ次元獣ヒルドリルを倒した[ep 10]。また、ロボや新兵器の開発にも携わるなど工学にも造詣が深い。たびたび起こる戦隊内部のいざこざにも、ただ沈毅で通しているように見えるが、戦いが続く5人を休暇のために旅行へ連れて行ったりと[ep 21]、思いやりのある性格が垣間見える。
第20話でソウジキジゲンによる被害の拡大を防ぐため関東一円の結婚式を中止させており[ep 17]、かなり大きな公的権限も持っているようである[独自研究?]。
キャリア志向のエリート女性である一方、結婚願望も持っているようである。飛行服を着ることもあるが、基本的には常に制服姿である。初期の地上での移動時は、マツダRX-7(FC3C カブリオレ)を使用していたこともある[ep 1]。

これ、1991年の作品かいな?もっと遅いかと思ってたわ。というか「紅一点論」出版の1998年以前の作品だぞ、おい…



ま、ともあれ、
・物語の中の「キャラクター」として、男が独占していたようなジャンルは確かに、過去にはたくさんあった。
・しかし、時代が進むにつれ、「男に属性的についていたキャラクター」を女性のキャラクターが演じる、ものがどんどんどんどん増えてきた。
・慶賀の至り。

とは言えるんだよ。
だけどなあ…最初に紅一点論を読んだとき、すでにこういう時代だったから慧眼でもなんでもないんだけど、やはり当時感じたように
「それってジェンダー意識の向上とか考えていたんですかね?『敢てテンプレ破りをしよう』、あるいは『なんでもいいから女の子を出せ!』という意識で、そうなってるんじゃないですかね?」と。


いまちょっと原典を探したら見つからなかったのだが、呉智英氏が「スケベ親父が女漁りの末『わしはウーマンリブとか、気の強い子が好きやグヘヘ』と言い出したら、男女平等は前進か」という問いを発していたことがある。


でも、結果よければすべてよし、で、これを肯定してもいいかもしれないが…



さらにいえば、いくらジェンダー的平等があるべき姿と言っても、たとえば「一対一で、基本的に武器なしで、肉体を駆使して戦う(体重は無差別)」という設定の物語の中に、女性のキャラクターがいるというのは、UFCなどの実際の格闘技を見ても、ロンダ・ラウジーはいくら凄かろうと、控えめにいってリアリティがない。
なのに、格闘技ゲームにおいて、1人か2人か3人ほど、女性キャラクターがいるのはデフォルトだ。
格闘技ゲーム業界においては、ジェンダー的平等意識が非常に優れていると評価するべきであろう…かな(笑)?
巨大な剣を振り回すのが小さな女性、もしかり。

説得力のある「RPGでモヤシ女子供が強い設定」を考えようぜ : オレ的ゲーム速報@刃 http://jin115.com/archives/51845901.html

民族のステロタイプ、テンプレ、キャラクター化も、またいろいろ…

あずまんが大王で「大阪」が人気キャラクターになったとき、
「大阪出身のキャラクターは抜け目がなくてがめつくて、金勘定にキビシイというのがお約束なのに、おっとり(というのか)したボケの子が出るなんて!」みたいな反響があったと記憶しております。

大阪万博

大阪万博

その「パターンやぶり」の結果、こんなホンマで、いやこんな本までできる人気キャラクターになった。


なにしろ、自分の大阪イメージも、パーやんに加えて主にこれだ(笑)


思えば「ダイ・ハード」で、日系企業の厳重なコンピュータ・セキュリティを破る、つまり知的でナードなハッカーがアフリカンアメリカン、いわゆる黒人だったですよね?


このひとが演じたタイプのハッカー描写は、今では別の意味で「あまりにステレオタイプ」だとしていじられてるけど(笑)、それはそれとしてこのへんはちょっとしたテンプレ破りですかね。まあ、特攻野郎Aチームでも、コングは「大統領でもぶんなぐってみせらあ」な肉体派でもありつつ「メカの天才」だったけれどな。

これがアジア系だと、同じマイノリティであっても、とたんにステレオタイプ的になる。
コンピューターの技術者は「知性派」でもありつつ「オタク」属性でもあるから、いろいろな意味を振り分けやすいのかな。
でも日本人が原作と作画の「パイナップルARMY」は、逆にそのステレオタイプに無批判に乗っかってるわけで…

さらにいうと、実際にアジア系がコンピューター技術の分野、あるいは学校の数学成績の平均で、統計的に目立つ実績を挙げたりもしているらしい。
そういう実例があるから、としてアジア系を物語の中で「コンピューターのプロ」に設定するのはアリ?ナシ?


要は「ヘタリア」問題なのだが。
「各国の」「お国柄・民族性」を「キャラクター」として「擬人化」してストーリーにする……
いいのかわるいのか。
几帳面で女性にお堅いイタリア人を描くべきか。ずぼらでおおざっぱなドイツ人を描くべきか。自己主張がつよく、意見をはっきり言う日本人を描くべきか。それがステレオタイプからの脱却なのか。


そして、最後に最近爆笑してしまったこの話。

マーベル映画がアジア人キャラを白人に変えた本当の理由は、中国市場重視だった(猿渡由紀) - Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160502-00057287/


マーベルのキャスティングが、新たな衝撃を呼んでいる。オリジナルコミックでアジア人男性だったキャラクターに白人女優を起用したことが非難されたのが始まりだったが、今度はその言い訳に注目が集まっているのだ。
(略)

チベットが(たしかに存在する)場所であると認識し、このキャラクターがチベットの人であるのだとしたら、10億人の観客を失うリスクがあるんだよ。中国政府が、『世界で一番大きい映画市場のひとつがどこか知っているのかい?君らが政治的な方向を選んだせいで、僕らは君らの映画を見せないことにしたよ』というかもしれないじゃないか」と、カーギルは説明する。

この「チベット人を出したら中国政府を怒らせ、10億人の観客を失わせるリスクがある」という話は、それはそれで無茶だが、別のテーマの話だ。

だが、こっちは…

…事故で腕を怪我し、精密な動きができなくなってしまった脳外科医のストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)が、チベットにいるエンシェント・ワンと呼ばれる魔術師を訪ね、魔術を身につけるという設定だ。原作コミックで、エンシャント・ワンは、長いヒゲをもつチベット人男性だが、マーベルは、この役に、英国人女優ティルダ・スウィントンを選んでいる。先月半ば、マーベルが最初のトレーラーを公開し、その2日後、追い討ちをかけるように、パラマウントとドリームワークスが、スカーレット・ヨハンソンが主演するハリウッド版「攻殻機動隊」の写真を公開すると、アジア人の役を白人が奪うことに対するバッシングの声が起こった。
しかし、最近になって、「Dr. Strange」の脚本家C・ロバート・カーギルは、doubletoasted.comへの独占インタビューで、キャスティングの裏にある本当の事情を明かした。カーギルは、非難の声が上がっていることを十分認識しているとした上で、「抗議するほとんどの人は、最後までしっかり考えていない」と述べている。そもそも、原作コミックのエンシェント・ワンは、人種のステレオタイプそのものだカーギルは指摘。


原文は
http://bigstory.ap.org/article/83eafc7c8c5740289f9ab0f0c610b5f3/movie-doctor-strange-turns-tibetan-man-european-woman

"The Ancient One is a title that is not exclusively held by any one character, but rather a moniker passed down through time, and in this particular film the embodiment is Celtic," the Marvel statement said.

Cargill, who wasn't involved in the casting of Swinton, said the comic book character of the Ancient One was "a racist stereotype." ''There is no other character in Marvel history that is such a cultural landmine, that is absolutely unwinnable," he said, adding: "It all comes down on to which way you are willing to lose."