INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

話題の新聞記事に出てきた「森本忠紀」さん、その歩み~それはいかばかりか、と思う。

twitterトレンドで、ちょっと話題になっていた記事。

news.yahoo.co.jp

アコーディオンやタンバリンなどを手にした「火曜日バンド」が参加してメッセージを込めた歌の合唱もあり、抗議と言っても柔らかな雰囲気だ。30~40人の参加者の多くは日本人で……(略)奈良県大和高田市の自営業、森本忠紀さん(77)は8年前からほぼ毎週通い、三線(さんしん)を演奏する。「国や自治体は、無償化排除や補助金停止を続けることで朝鮮学校をつぶそうとしているのではないか。もっと多くの人にこの問題を知ってもらうために行動を続けたい」

ふと、検索してみた。
ただし、まずはじめに大前提としてこれを置きますが、名前が一致していたとしても、各URL先の、その名前のひとがたがいに同一人物であるかどうか、最終的な確認は一切できません。
それは大前提として置いておきます。もちろん周辺の情報や傾向などから、ある程度の推測・推定をすることは可能だろうが…

学生運動とは何だったのか 塩見孝也著『赤軍派始末記』を読んで--ともに革命の理想に燃えた若者の一人として
森本 忠紀

出版年(W3CDTF) 2003-11
NDLC ZW1
対象利用者 一般
資料の種別 記事・論文
掲載誌情報(URI形式) https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000161741-00
掲載誌名 情況. 第三期 : 変革のための総合誌
国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

やまと人模様

三線奏者 森本忠紀さん 人愛し明るく市民運動 /奈良
奈良
毎日新聞 2020/1/28 地方版 有料記事 766文字
三線を手に取ってリズムを刻み始めると、自然と沖縄民謡がこぼれ出た=大和高田市で、稲生陽撮影
森本忠紀さん(75)=大和高田市
 反原発運動など県内のさまざまな市民運動に沖縄の民族楽器・三線(さんしん)を手に現れる。三線には「自己の解放と自由」を求め続けた生き方が凝縮されている。

 大学に入学直後から学生運動に傾倒した。「何も考えず大学に入り、社会の矛盾を知って大きな衝撃を受けた」と振り返る。卒業後に

mainichi.jp

新聞記事 (一)

(前文) 埼玉県朝霞の自衛官殺害事件などにからむ強盗予備罪で全国に指名手配され、今度のテルアビブ空港乱射事件でも犯人グループを日本から送り出した“元締め”ではないかとみられている京大助手竹本信弘(三二)=ペンネーム滝田修が東京都内に潜伏している可能性が強まり、警察庁は十六日、竹本の都内の立回り先や簡易旅館などを厳重に調べるよう警視庁へ指示した。これは奈良県警に竹本をかくまつたほう助の疑いでつかまつている新宿区大京町印刷業青木哲(四九)の自供から明らかになつたもので、青木の話では、竹本はヒゲをそり、髪型を変えているというので、これまでの手配写真を修整、合わせて同日手配した。

(本文) 奈良県警から同日午後警察庁へはいつた報告では、青木はこれまで竹本を奈良県大和高田市礎野東町、英語塾経営、元京都府学連執行委員森本忠紀(二八)宅に二月中旬に預け、かくまうことを頼んだことは認めたが、その後の行先については心当りがないと言張つていた。しかし同日午後になつて……(略)
https://daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E6%98%AD%E5%92%8C%EF%BC%94%EF%BC%98%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%83%AF%EF%BC%89%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%95%EF%BC%93%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA

赤とんぼ通信 vol.7 '03年9月8日発行から

山田孝さんの追悼会を催すことになりました。森本忠紀


 山田孝さんは1972年、連合赤軍事件で犠牲となった12人のうちの一人です。山田孝さんゆかりの方に別掲のような案内をお届けしておりますが、山田さんを直接 ご存知でない方々にもこの「追悼会」を認知してもらいたくて、私はこうして『赤とんぼ通信』の記事として取り上げ、その趣旨を理解していただこうと考えました。
(略)
 今をさかのぼること30余年。その頃は「激動の時代」と呼ばれておりました。多くの若者が革命の理想に燃えており、御多分に漏れず私もその一人でありました。山田さんとは、同じ大学で、同じ政治運動グループに属しておりました。私は当時も今もそうですが、アト先考えずに突っ走ってしまう傾向があり、世の中のことが何もわからない未熟者のくせして、大学へ入った初年度から、いきなり、将来は革命家として生きるんだと強く思い込むようになりました。程なく組織絶対の活動というものに限界を感じで、私は大きな壁にぶつかりますが、さりとて何をすればよいか、皆目見当がつかず、悩み多き日々を送ることになりました。

 1969年に赤軍派が結成され、私は赤軍派には行きませんでしたが、その動向には大いに関心を寄せいていて、赤軍派がなくなったら、世の中真っ暗闇よ」とそんな祈る思いで、新聞記事を追ったりしていたことを今もよく覚えております。
(略)
   「総括されて死ねるか、えいままよと 我は罪なき友を刺したり」

 坂口弘さんの短歌に触れることで私は連合赤軍事件を内側から見ることができるようになりました。その時からです。連合赤軍事件が他人事でなくなったのは。

 連合赤軍事件が起きた時、私はあの山岳アジトにいなかったし、メンバーでもありませんでした。しかし、それは、連合赤軍と同じ過ちを犯さずにすむような正しさを私がいささかなりとも持っていたということを意味するものでは決してありません。したがって連合赤軍の過ちを指摘されれば、それは私のことです。

http://www.patri.jp/column/mori.html


バラバラに位置するこれらのテキストが、同一につながるかどうかは、最終的な確定が難しい。だが、内容的に一致する部分も多いな、とも思う。

そして、同一人物であるとしたら、  なんとも…人生の中で、いろいろな、思いとか、重荷があったのではないか・・・・・・と、はたからの推察では、そんな思いがする。

激動の時代であった。
闇もまた、深かった…。

 自首してと母のマイクに揺らぎたるYに嫌味を吾は言いたり

 リンチにて逝きたる友に詫びながら母と会いおり母を詠みおり

 窓壊し散弾銃を突きいでし写真の吾はわれにてありたり

 総括は友亡くなりて過酷化し死を思うさえ敗北となせり

ふり返れ 歩きだせ 悔やむだけでは変わらない
許せよと すまないと あやまるだけじゃ .あやまるだけじゃ変わらない
おまえが殺した 名もない鳥の亡骸は おまえを明日へ 連れて飛び続けるだろう


www.youtube.com

f:id:gryphon:20191109083338j:plain
ベルリンの壁が崩れたとき「私が50年正しいと思っていたことは間違いだったかもしれない」よしながふみ「愛すべき娘たち」より
m-dojo.hatenadiary.com


一方で、平成令和の現実政治に目をやると、現在活動している政治家への寄付も、同姓同名で同県在住の人物が行っている。

f:id:gryphon:20211206035036j:plain
森本忠紀さんが寄付をした政治団体(1)
f:id:gryphon:20211206035127j:plain
森本忠紀さんが寄付をした政治団体(2)


(もし同一人物だった場合)こんな背景にも触れていてくれたら、
最初の記事もさらに深い色彩を帯びたのに……、と思う。