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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

世界の10年の漂流の末に・・・オサマ・ビンラディン死す

オサマ・ビンラディンが死んだ。撃たれて死んだ。
当初聞いた時は、そりゃまあ、世界一の大国が追っているのだから、「最後はこうなってもおかしくないよな」とあまり感慨は無かったのだが、その後の世界の、というか米国の興奮状態を見ると、「たしかにそれぐらい騒ぐかもねえ」とも思う。


そもそも大規模テロ犯人の首謀者なら、直接殺害していいのかね(しかも国外で。パキスタン政府がどう認めたかは分からないが)とか、そこに「肉親」(息子と妻?)がいたときにそっちも一緒に殺しても合法なのか、とかそっちの国際法的な問題も気になるのだが。

オバマ大統領声明

http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20110502-01.html

・・・アメリカの人々は好んでこの戦いに臨んだのではありません。向こうが私たちの国にやってきて市民を無意味に虐殺したことから、この戦いは始まったのです。この戦いに10年近く身を捧げ、苦しみ、犠牲を払ってきた私たちは、戦争の代償がいかなるものかよく承知しています。自分が全軍の最高司令官として、愛する人を失った家族への手紙に署名しなくてはならない時、あるいは重傷を負った兵士の瞳をのぞきこまなくてはならない時、そのたびごとに私は、国民が捧げてきたものの重みを実感しているのです。

ゆえにアメリカ人は、戦争の代償を承知しています。けれども私たちは国として絶対に、自分たちの安全が脅かされるのを容認しないし、自国民が殺されるのを座視したりしません。自国民と友好国と同盟国の防衛を、徹底的に追及します。私たちがアメリカ人たる所以、私たちの本質のもととなっている価値観を、私たちは誠実に守ります。そして今日のような夜には、アルカイダのテロによって愛する者を失った家族のみなさんに、こう言うことができます。正義は行われました。(略)

暗号名「ジェロニモ」。なぜ?

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/05/04/kiji/K20110504000753620.html

作戦中は現場からの映像を交え、リアルタイムでホワイトハウスの作戦司令室に伝えられ、大統領やブレナン氏らが見守った。そして「ジェロニモ(白人の侵入に抵抗した先住民族の戦士)が殺害された」と同容疑者の暗号名で殺害の一報が届くと、大統領は沈黙の後で「We got him(仕留めた)」とつぶやいた。03年、イラクを占領統治していた連合軍暫定当局のブレマー行政官が、サダム・フセイン元大統領拘束に成功した際に発した言葉だ。

 共同電などによると作戦は米中央情報局(CIA)が主導。集めた情報を基に隠れ家のレプリカを構築。構造や間取りを完全に把握するため「何度もシミュレーションを繰り返した」(ブレナン氏)としている。

 一方、米国防総省高官によると水葬の儀式は米東部時間2日午前1時10分からアラビア海北部に展開中の原子力空母カール・ビンソンの甲板で50分かけて執り行われた。イスラム教の慣習にのっとって遺体を清め、白い布で包んだ。袋に収めた後、米軍士官が英語で弔いの言葉を読み上げ、アラビア語に翻訳。遺体はエスカレーターでゆっくりと海中に下ろされた。


自分がこの名称を聞いて思った事。(twitterにて)

オサマ殺害時のコードネームが「ジェロニモ」。部外者には反米活動家に最上級の敬称、権威と正統性を与えたとしか思えないが、米国のニュアンスはまた違うのかね

黒人の血もひくオバマ大統領が、先住民に関するアメリカのポリティカル・コレクトの問題に鈍感とも思えないが、いわゆる「インディアン戦争」(あれも戦争だった!)において、先住民の大義を否定するべくもなく、ならばジェロニモは米国の敵ではなく英雄(・・・と、偽善であっても認定しなけれればならない)はずかと思うのだが。
このへんの発想は正直わからない。まじで。

ジェロニモの最後については、知っている人も知らない人もいよう。サンシャインとの激闘の後に・・・はキン肉マンだ(笑)
実はジェロニモ、最終的には米国政府に降伏。そして居留地におとなしく住み・・・そして歴史上の人物として一種の名士、というか物見高い人達の見物対象になり、そして酒にも浸って一生を終えた、という。
ある意味、ビンラディンの戦死より悲しい、反米戦士の最後であったかもしれない。
このへんはフィクションの中にちょっと登場する、村枝賢一「RED」で印象深く語られている。この漫画はこのご時勢に、西部劇漫画をどーんと再現しつつ、その先住民族問題をちゃんと盛り込み、そして「仮面ライダーSpirits」でも爆発した熱い語り口で描いた、隠れた大傑作だ。、

Red 1 (アッパーズKC)

Red 1 (アッパーズKC)

ウィキペディアの「ジェロニモ」


のちのち長きに渡るアパッチとメキシコの戦争が、このとき始まった。ジェロニモは銃弾の雨の中をものともせずにナイフを片手に戦場で暴れ狂い、その様を見て畏敬に駆られた一人のメキシコ人が、守護聖人の「ジェロニモ!」の名を叫んだ。これに呼応して、人々が口々に「ジェロニモ!」と叫んだ。こうして、この日このときを境に、彼の名は「ジェロニモ」となった。(略)

メキシコと合衆国双方は、アパッチの略奪に頭を悩ませ、何度も遠征をおこない掃討戦を試みた。しかし山岳ゲリラとも言うべき彼らの戦いは変幻自在で西部大平原のスー族と並んで、アパッチ族は最後までアメリカ合衆国に抵抗したインディアン民族となった。数々の戦いの中に、ジェロニモの姿があった。彼は雄弁に白人への抵抗を呼びかけ、白人と戦い続けた。ジェロニモの抵抗戦は、情報操作されて東部白人社会に大げさに伝えられた。数人殺された白人の数は、数十人、数百人となって報じられたのである。

1886年に投降して以後、ジェロニモは生涯米軍の虜囚として扱われた。生まれ故郷のメキシコ国境へ帰りたいというジェロニモの願いは叶えられず、オクラホマのシル砦でその一生を閉じた。ジェロニモの墓はシル砦にあり、インディアンたちによる墓前の供物は絶えることがない。

 
「インディアン戦争」

インディアン戦争(インディアンせんそう、英: Indian wars)は、1622年から1890年の間の、アメリカ合衆国における白人入植者(インディアンが呼ぶところのwhite man)によるインディアンの征服戦争の総称。初期のころからインディアンと入植者の小競り合いが続いていたが、移住者の増加とともに列強による植民地戦争とも絡みながら、大規模化していった民族浄化である。

 
 

ビンラディンはそもそもどうして、911テロを起こせたのか?彼のアフガン政府の「乗っ取り方」は?

これを書いたのが

大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫)

大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫)

亡命同然でやって来た「客人」がなぜか徐々にアフガン政府の中で主導権を握り、親米派や穏健派もいたオリジナル・タリバンが「異教徒の遺跡・大仏を壊すことは、アッラーの御心に沿う行為か?」という厄介な踏み絵を踏まされることで分裂、穏健派の脱落を起こし、急進的なアルカイダに屈する。
中東の一特殊情景でもあり、連合赤軍がそうだったような典型的、普遍的な情景であるかもしれない。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]

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レッド(1) (KCデラックス)

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ビンラディン「厄介払い」説

連合赤軍に似ているなら、急進と過激化が一般大衆からの遊離と陰惨な内ゲバにつながっていくこともやむを得ないか。

http://www.the-journal.jp/contents/maki/2011/05/post_8.html

この事件についての私の感想は「四方丸く収まった」。一年ちょっと前に書いた「アル=カーイダの衰退」
http://www.the-journal.jp/contents/maki/2010/02/post.html
の流れの延長線上です。わが国政府では想像もしがたい安保外交の「妙技」を見せつけられた思いです。
 (略)
 ビン=ラーディンは長患いの病死ではなく、イスラーム圏(パキスタン)で異教徒とのジハード(銃撃戦)で亡くなるという最高の栄誉・・・
 そのビン=ラーディンを売ったパキスタンの軍統合情報部(ISI)は、舞台裏で米国から事実上の(アフガンでの)ターリバーン政権復活について了解・・・
 ターリバーンは表向き、きっと反発する。でも口先だけでしょう。アル=カーイダ追放を歓迎する理由がある。それはおそらく米国がビン=ラーディン殺しを口実にアフガンからの撤退を早晩、始めるからです。そうなれば、これまでの復活に弾みがつき、権力掌握は時間の問題・・・(略)
 そして、米国はこれでやっとイラクに続いてアフガンからの泥沼から足を抜く道筋が付けられます。(略)
 つまり、殺されたウサーマも、ISIも、ターリバーンも、米国もみなバンザイ。アラブ諸国で無政府的なデモの足音が響く中、一つの時代に区切りがつけられたように感じています。

上からリンクが伸びている「アルカイーダの衰退」から。

アル=カーイダは自らが反面教師にしてきたはずのタクフィールの宿痾につかまる。自らの系列のイラクザルカウィ一派(イラクイスラーム国)はこの年に激化したスンナ・シーア両派の抗争で、シーア派(彼らの理解ではシーア派は背教者)住民の虐殺に邁進する。その結果、彼らは逆に住民たちから袋だたきにあった。
 こうした光景を見せつけられ、イスラーム圏の民衆は目を覚ます。足元の政治を変える地道な組織への信頼(本筋のイスラーム復興運動への回帰)、そして無辜の同胞に手をかける空想主義者の無軌道ぶり、それらが合わさってアル=カーイダへのシンパシーは一気にそぎ落とされた。その流れは今日も大筋では変わっていない。海を失った魚は干上がるしかない。

 
 

twitterから

obiekt_JP JSF
先月の段階でチェイニーを中心に「大統領選挙にゲーツ国防長官(共和党の人なのだ)を投入する」という案が出ている。 http://bit.ly/iGYMk4 これはビンラディン殺害の成果をゲーツ自身も指揮官として掲げる事が出来るので、上手い一手になるかもしれない。

mizukawaseiwa Yuko Kato
チェイニーは決して「自分が自分が」の人ではないので、ABCのインタビューでは「こういうことは長い時間をかけて複数政権をかけてやってきたことの成果だ」と。ただし「側近の名前は前政権が実施したCIAの尋問手法によって得られた… (cont) http://deck.ly/~1p1Jw

@mizukawaseiwa Yuko Kato
保守系メディアは「オバマが使ってみんながいま賞賛してるJSOCの特殊部隊は、かつてリベラルなシーモア・ハーシュに『チェイニーの暗殺部隊』呼ばわりされ批判されていた」と。http://bit.ly/m55u1V まあ、言いたくなる気持ちは分かる。