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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

アフガンでオマル師死去…との報道を受けて、名著「大仏破壊」(高木徹)を紹介したい

:“オマル師は2年前に死亡” アフガン政府が発表 NHKニュース http://nhk.jp/N4KU4Gbe
 
アフガニスタンの大統領府は29日夜に声明を出し、タリバンの最高指導者、オマル師が2年前の2013年の4月に、隣国パキスタンで死亡していたことを信頼できる情報に基づいて確認したと発表しました。
また、アフガニスタンの情報機関、国家保安局もNHKの取材に対して、「オマル師はパキスタン南部の都市カラチにある病院で死亡した」と明らかにしました…

twitterとダブルポストです。

gryphonjapan@gryphonjapan

最近、死亡が確認されたアフガン・タリバンのオマル師。
近年の日本のノンフィクションで屈指の大傑作、高木徹「大仏破壊」で、この人の情報がいろいろ載っているので抜き出してみよう。
posted at 07:59:52

大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫)

大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
2001年3月、アフガニスタンのバーミアン大仏がタリバン政権によって爆破された。その裏には半年後の「9・11」、そしてテロ戦争へ突き進むビンラディンアルカイダの策謀が蠢いていた!綿密な取材、壮大なスケールで9・11の前奏曲「大仏破壊」の真実が明らかに!大宅荘一賞受賞の力作ノンフィクション。
 
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
高木/徹
1965年東京都生まれ。NHKにディレクターとして勤務し、NHKスペシャル民族浄化」「バーミアン」「情報聖戦」「インドの衝撃」などを担当。著書『戦争広告代理店』(講談社文庫)で講談社ノンフィクション賞新潮ドキュメント賞、『大仏破壊』で大宅荘一ノンフィクション賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


実はアフガン諸勢力に深い人脈を持ち、1000人を超える重要人物のデータをプロファイリングする日本人分析官が存在する、。UNSMAの田中浩一郎。この人は実際に、オマルに会って、肉筆の書名を入手した。
アフガンは「書体」で教養が分かる。結論は「オマルはほぼ無学」。
posted at 08:07:45

「田中の分析では、オマルは田舎の小さなマドラサの管理者にすぎず、若い頃は対ソ戦争にあけくれ…したがって一般教養はもちろん、イスラムの宗教知識の面でもおぼつかないはずだ。性格的には単純素朴な田舎者」
そして重要な点だが
「はじめはアメリカへの敵意など微塵もなかった」。
posted at 08:10:19

オマル的イスラム解釈では写真に自分が写るのもイヤだし、外国人(特に異教徒の女性)と会うのもイヤなので、それを極端に制限していた。そしたらカリスマ性が生まれたのだから皮肉だが、それでもやむを得ず会った外交官は口を揃え「素朴で信仰心厚い、いい人」だが「『国の運営』そのものを知らない」
posted at 08:14:02

オマルを、ある日本人外交官はこう評した。
「オマルはもともと映画「七人の侍」みたいなもんで、小銃ひとつ背負って山道をとぼとぼ歩いていき、戦いを始めたというだけなんですよ。それがたまたま冗談みたいな経緯で、タリバンのリーダーになってしまったんです」
posted at 08:19:09

ただ、その素朴さは初期には無欲さでもあった。
初期タリバンは、それまでの軍閥よりは格段に清新で厳格、社会秩序はタリバンによって劇的に回復していったのだ。これは一方の主張ではあるが、タリバン前のアフガン首都カブールは完全に「北斗の拳」状態だったという。通行税、レイプ、略奪、誘拐…
posted at 08:22:37

パキスタンからの援助物資を略奪しようとした山賊を倒し、援助隊を颯爽と助けたことが、パキスタンのメディアで伝えられ、一躍タリバンはヒーローとなった(タリバンパキスタン情報部隊の関係や「やらせ」説も取りざたされるが、それは置いておく)この後タリバンは1カ月でカンダハルを制圧。
posted at 08:25:50

タリバンは高潔な理想に燃えていた。市民を虐げていた軍閥をやっつけたあとも何も要求しないし、受け取りもしなかった。敵と戦うのも街を占領するのもすべて「アラーの思し召し」によるというのである。タリバンの3公約は
・武器を持つものの武装解除
・治安の回復
・群雄割拠状態のアフガン統一
posted at 08:28:12

それが終われば自分たちは誰か他のものに権力を引きわたす、と宣言していた。
「いったん目的を達して、この国に平和を取り戻したら、その後は政治の経験のある人たちに政権を渡して我々は神学校に戻る。アラーのために祈る生活こそが環r我の本当の姿なんだ」
このタリバンに、米国も好意的だった。
posted at 08:31:23

また、タリバンの伸張時期にイランと極めて強い緊張状態が生まれたが、国連の仲介でオマルは妥協し、この問題を解決する。
交渉した国連のブラヒミも、ややエキセントリックだが、交渉ができる相手だと評価した。しかしこの数年後、国連を無視し、タリバンは「大仏破壊」を行う。そこには何が?
posted at 08:34:19

転機の一つは1996年。カブール占領が視野に入ったオマルに、カンダハルイスラム法学者は「アミール・アル・ムーミニーン」の地位を与えることを決めた。カンダハルは同国の宗教の最高権威。これはやっつけでなく、アフガン各地から3500人の法学者が集まり、3日間討議して決めたそうだ。
posted at 08:39:43

カンダハル郊外にある巨大なモスクに人々が集まってきた。そこにはイスラム教の始祖であり最後の預言者ムハンマドが身に着けたといわれるマントが安置されていた。そして数万の大群集の興奮が頂点に達した時、モスクの建物の屋上にオマルが現われ、そのマントを羽織った」

ムハンマドの後継者!
posted at 08:43:32

しかし…
「ちょうど同じころ、カブールの東およそ百キロにある都市ジャララバードに、ある男がアフリカからやってきた。男は以前にもアフガニスタンにいたことがあり、それはおよそ七年ぶりの再訪だった。サウジアラビア出身…(略)男の名は、オサマ・ビンラディンといった」
posted at 08:46:08

この2人の複雑な縁によって、そもそも米国に敵意を持つ発想そのものが無かった素朴な田舎者・オマルが率いるタリバンが、あのテロと戦争の道に突き進む過程は「大仏破壊」を直接読んで頂きたい。オマルの経歴と「伝説のムハンマドのマント」を羽織る中二病チックなシーンの紹介でええやろ(笑)
posted at 08:49:35



ただ数点。
まずタリバンの「原理主義的政策」だが、そもそもアフガンでもド田舎のオマルのところで言われてた地方の風習とかを、そのままイスラム的正義と思い込んでて、思いっきり全土に法規制してしまったらしい。この「イスラム的な思想研究、理論武装もしてない」ことが大仏破壊にもつながる。
posted at 08:54:28

ヒンズー教徒は黄色い服を着よ」という布告が国際的な大問題になり、フランス大使が説得にいった時の感想。
「要するに無知ということだった…(略)ナチスヒトラーも聞いたことさえなく、宗教によって人間を区別したり差別することがいけないという考え方自体、彼らの理解の範疇を超えていた」
posted at 08:57:16

そしてビンラディンだが、そも彼はアフガンに「逃げて」オマルが「匿った」という関係だったことを覚えてほしい。アフガンにはその「客人の保護」の伝統がある。だがビンラディンの声明に激怒したオマルが「ゲストらしくせよ」と命じビンラディンが平謝りしたことも。
なぜに、その立場が逆転したか?
posted at 09:07:03

いろいろとあるが、ひとつには「教養の差」があった。
国際性もコーラン理解も語彙も、両者その差はまるでお話にならない。そもそもアラビア語は聖なるコーランの言葉。その本場から来た教養人ビンラディンは、やっぱりオバマにはまぶしいのだ。
ばかばかしいようだが、そういう個人と個人の関係性が歴史を作ることもある。
posted at 09:09:38

またビンラディン一派がアフガンで台頭するにあたっては、日本のトヨタが大きな意味を持つ。ビンラディントヨタ四駆をまとめて寄付し、タリバンは大助かり、超感謝。詳しくはこちら

■「戦場に駆けるTOYOTA」・・・そして「大仏破壊」と4WD http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100114#p3

posted at 09:13:39

たった一人の亡命者を受け入れたら、その人物が中心の勢力が急拡大し、なぜかその国を巻き込んだ大戦争まで起こしていく…ある意味で、もんのすごく恐ろしいホラーだ。
まだタリバンが健全だったころ一度は中止された「大仏破壊」が決行された経緯を、その節目として描くのがこの「大仏破壊」だ。
posted at 09:16:51

個人的には、この経緯の中で、タリバンの中にも結構いた「大仏破壊なんてムチャだ、無益だ」「やめさせられないもんかねえ…」と思ってた中堅幹部の肖像が面白く、また同情したい。
何しろ素朴な人が多いので、実はたった一回の米国視察団参加で、すっかり「アメリカびいき」になったりもしてるのだ。
posted at 09:21:50

例えば、その賢明さを米国人も賞賛した幹部・ホタクは、メトロポリタン美術館でアフガン美術品を見て「これは私達の者だ。なぜここにある!」と叫ぶ。案内者は内心「やれやれ困った」と思ったが、彼はこう続けた。「私は帰ったらこれに負けない美術館を作る。その為にここの良い所をもらさず学ぶぞ!」
posted at 09:26:02

そんな、日本の幕末・明治や、日中戦争や日米戦争回避に努力したような開明派の賢者、はアフガンには確かにいた…だが、あのアフガンの歴史は、彼らの力では変えられなかった。太平洋戦争70年の節目に当たって、その昭和の歴史とも重ね合わせてこの本を読むのもいいだろう。
posted at 09:28:33

最後に、美智子皇后が政治性を回避しつつ「大仏破壊」を詠った歌を紹介したい。その破壊に「我々の責任」もあるのかも、と語りかけている。


【 知らずしてわれも撃ちしや 春闌(た)くるバーミアンの野に み仏在(ま)さず 】


詳しくはこちら

皇后陛下バーミヤン石仏破壊を歌った歌が素晴らしい(読売新聞「編集手帳」1月6日) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090108/p4

(了)