■内容紹介■
あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展、その後」展示中止事件、「宇崎ちゃんは遊びたい」の献血ポスター炎上など実際の出来事を切り口に、自分にとって「不快な表現」にどう向き合えばいいのかを考える。■もくじ■
はじめに
I「あいちトリエンナーレ」事件の何が問題なのか
II実際に「あいトリ」の作品を見てみる
III「行政の中立」とは何か
IV「宇崎ちゃん」献血ポスター事件を考える
コラム1●自由な批判で表現を取り下げる
ー『はじめてのはたらくくるま』事件
V女性を性的対象として見ることは問題なのか
VIポリコレ棒を心の中に
コラム2●表現の規制に必要な条件は
ー志田陽子教授に聞く
終章不快な表現にどう向き合うか
あとがき■著者略歴■
紙屋高雪(カミヤコウセツ)
1970年愛知県生まれ。ブロガー。マンガ評・書評サイト「紙屋研究所」の管理人。
いま、ざっとあらためて見たところから、こういうくだりを引用しよう。
そして、もうまったくいま手近にあるだけだから例に挙げさせてもらうだけなのですが、たかぎ七彦さんの『アンゴルモア 元寇合戦記』というコミックがあります。 ぼくはこの作品を「楽しんで」いますが、物語上の演出として、侵攻してきた元・高 麗軍の残虐性は非常に強調されます。子どもを笑いながら殺すシーンから物語は始まります。そのことをもって、「元・高麗軍の残虐さを創作上過度に強調することが、 モンゴル人・中国人・朝鮮人の民族性に対する偏見を助長する可能性がある」という 批判も成り立ちえるでしょう。
つまり、創作物はほとんどのものが大なり小なり政治的不公正を含んでいるのです。 どこかで誰かを傷つけていることは避け難いと言ってもいいでしょう。
しかし、これにすべて対応して不公正を除去しようとすれば「政治的に正しいおとぎ話」になってしまいます…
…としつつ、ダイレクトに言及しないように気を遣ったのだが、ご本人が直接にこのテーマで最新記事書いてやんの(笑)じゃーリンク張る
kamiyakenkyujo.hatenablog.com