100年前の本日、プロレス世界ライト級王者アド・サンテル(L・テーズの師匠格)と講道館柔道勢との対戦が行われ、メインのサンテル対庄司彦男の対戦はドロー。日本とプロレスの本格的初遭遇が異種格闘技戦であったのは、やはり何かの因縁か……(^^;)https://t.co/BVoDMS7oHDhttps://t.co/1IFryL1l8L pic.twitter.com/KRKs9QCmsl
— ふるきっつあんの不条理ツイート。 (@foolkitchen1) March 4, 2021
【百年ニュース】1921(大正10)3月5日(土) 日本初の異種格闘技興行開催。渋沢栄一はじめ群衆が見守るなか,米国のプロレスラー,アド・サンテルが講道館の永田礼次郎3段と対戦。横四方からのヘッドロックで永田がタップ負け。しかし審判がサンテルの反則を宣言し結局無効試合に。https://t.co/zsJt4tPGBZ pic.twitter.com/l1Rfr9JZ9d
— 吉塚康一/百年ニュース「毎日が100周年」 (@KoichiYoshizuka) March 4, 2021
日本武道界を代表する講道館に、挑戦状が送られる。対戦者はサンテル、受けて立つのは…。異種格闘技戦の原点はここにあった。
- 作者:丸島 隆雄
- 発売日: 2006/02/15
- メディア: 単行本
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
丸島/隆雄
昭和37年(1962)、神奈川県平塚市生まれ。東海大学文学部史学科日本史専攻を卒業。「相模国中郡煤ヶ谷村における由井正雪一党搦取の一件」で第22回郷土史研究賞(新人物往来社主催)特賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
わたくしも、もはやパスワードその他が不明でどう更新したり削除したりしていいかわからんtok2.comのホームページ上に、ささやかな資料を載せています。
庄司彦男氏の御子息に話を聞いたこともあるのです
www20.tok2.com
100年目に注目したいのは、この記事。
いろいろ新事実があって面白い。サンテルの名前は4回目に出てくる。
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……そんな野口進だが、喧嘩癖は治らず、上野を離れ横浜港に身を隠した。そこで出会ったのが「柔拳試合」だった。
黒船来航から始まった日本の他流試合の歴史において、柔術家と外国人水夫(ボクサー)の試合はスリリングな試合展開で好評を博すようになる。これが柔拳試合の発祥で、その流れを汲んだ賭けを対象とした真剣勝負が、横浜の賭場や教会で連夜行われて……
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…筆者の関心を惹いて止まなかったのが、野口修が少年時代に出会った嘉納健治である……大正から昭和前期にかけての神戸の大物やくざにして「ピス健」と呼ばれた射撃の名手。野口修の父・野口進も所属した大日本拳闘会の会長……「ピス健はこの辺を仕切っとった大親分や。今で言うたら山口組みたいなもん。しかし兄ちゃん、なんで、今さらピス健のことなんか調べとんのよ」怪訝そうに訊くのは82歳の好々爺である…「従兄が灘中に通っててやな、運動会に行ったらピス健が寄付した景品が山積み。ノートや鉛筆や折り紙な。余った分は子供らで山分けや。それに、ピス健は(大相撲の)玉乃海のタニマチやったから連れて来ててやな、二人三脚とかやらしてたがな。おもろいのは、徒競走のときにピストル撃つやろ。あれ、ピス健の命令で本物の実弾込めてたっちゅう話や」
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「嘉納健治は柔拳を単なる興行ではなく、競技化しようとしていたと私は見ています。第一回目の興行から統一ルールを実施していたのが論拠です。彼の理想は『柔道をどんな武術や格闘技に対応できる、武道競技にしたい』という叔父治五郎の理想でもあった。それに応えようとしたわけです。つまり、柔拳興行とは、柔道の総合格闘技化を企図した、柔道改良運動の一種だと考えていいでしょう」池本の言う柔拳興行の統一ルールだが、明治から昭和前期にかけて発行していた神戸又新日報(現在は廃刊)に、その内訳が事細かに載っていた。神戸市立中央図書館ではマイクロフィルムで今も閲覧できる…
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「ワールド・ジュードー・チャンピオン」アメリカ人プロレスラー、アド・サンテルが自称した大仰な肩書だが、あながち虚飾とも言えない。
講道館五段の伊藤徳五郎や、柔術家の三宅太郎ら日本人の強豪を次々と破り、柔道の裏投げをヒントにプロレス技まで編み出している。それこそがバックドロップで、伝授された弟子は、のちに最強のプロレスラーと呼ばれたルー・テーズである。
当初、興行への関与を黙許していた嘉納治五郎だったが、岡部平太五段ら一部の高段者の声に押され、前言を翻し興行に関係した門弟に対し段位剥奪を…
著者はこの前、この著作を発表したかた、細田昌志氏だ。
沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝
- 作者:細田 昌志
- 発売日: 2020/10/29
- メディア: 単行本
13年前は別の「柔道vsプロレス」、吉田秀彦とジョシュ・バーネットの試合がありました
その時からこうやってこのブログでは煽っているのだからなんともはや(笑)。というか、ふたたびサンテルの試合百周年の記事を書けるとは予想もしてませんでしたよ。
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この因縁は、戦極旗揚げの実況を担当した矢野武アナウンサーが、入場時の煽りとして触れて語っていた。
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この動画の5分45秒から、みてみ?
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戦極乱世…。時代は再び北斗の男を呼び寄せた!1921年 、ところは靖国神社相撲場。はるばる太平洋を越えやってきた、キャッチレスリングの猛者アド・サンテルが、講道館柔道に挑戦状を叩きつけ、日本で初めて柔道対キャッチレスリング、柔道対プロレスリングが行われたのが…87年前の今日!
大正10年3月5日でした。プロレスの神様カール・ゴッチが世を去った今 総合格闘技でゴッチの遺志を継ぐ者はブロック・レスナー…ではない。
やはりCatch as catch canレスリングの技術体系を継承する
ジョシュ・バーネットこそふさわしい。腰にはパンクラス無差別王者の証。
いつ、なんどき…たとえば、スキットを越えた場面、つまりいざという時真価を発揮する、使える武器を持っているのがジョシュ・バーネット。
神様の遺志と、闘魂のゲノムを胸に 今リングイン、ジョシュ・バーネット!!
「いだてん」にサンテルと試合寸前まで行った男が出てきたり(庄司より強かったのでは、と言われる)、時代は「鬼滅の刃」や「昭和天皇の皇太子時代、初の御外遊」が始まった時だったり。
3【いだてん"ねこ"/柔道日本一の徳三宝】#徳三宝:九州出身で、1906年に講道館に入門
— わび@さび (@think_literacy) 2019年1月20日
逸話:1912年にブラジルの水兵15人を返り討ち
しかし政治問題に発展し、一度破門にもなった
1945年3月10日、東京大空襲で逝去(58歳)#いだてん #ぬこ #阿見201 /長身芸人 #武井壮 pic.twitter.com/MjK70maWoM
徳さんページ、ようやっと作ったよ。
— こうげつ@いだてん史料沼どっぷり中 (@genmaysan) March 13, 2020
とりあえずざっくりと作ってみたので、後で追記するのよう。#いだてん#いだてん史料噺
徳三宝
- 大河ドラマ「いだてん」史料資料文献などなどいろいろまとめwiki - アットウィキ https://t.co/ydV46brFq3
w.atwiki.jp
■皇太子時代の昭和天皇、外遊の旅へ
ご婚約は白紙!?暗躍する元老との対峙!
時は大正。
晴れて皇太子となった裕仁(ひろひと)青年のお妃候補、内定――!不況の世に明るいニュースが流れる中、真っ向から異を唱えたのは“明治の亡霊”こと元老・山縣有朋であった。
自らの希望を通さんと、不遜とも思える態度で婚約破棄を迫る老政治家に対し、皇室は、そして裕仁青年は…?大正の世を揺るがした“宮中某重大事件”を大胆な解釈で描く最新刊です。
時は大正。
20歳の誕生日を船内で迎えた裕仁(ひろひと)青年はいよいよヨーロッパへと上陸する――!イギリス、スコットランド、フランス、ベルギー、イタリア。
当時、世界の最先端であったであろう国々は極東の小国からやって来た20歳の皇太子をいかなるスタンスで出迎えたのか。一方、青年不在の日本。
日に日に深刻さを増す大正天皇のご病状。そして青年を摂政に据えるべく動いていた時の総理・原敬の支持率も見る影もないほどの下降線を辿っており…!?
後年、彼の人が「もっとも楽しい時であった」と語ったとされる欧州外遊。
その一部始終を自由な描写で綴る最新刊登場。
サンテルと庄司、日米がスポーツの場で火花を散らしたとき、のちにアメリカとの本当の戦争を大元帥として戦う青年は、その戦火がもっとも激しかった沖縄の地を踏む…
そしてそこから数か月、これらも後に「交戦国」となる諸国で「自由」を知ることとなる。
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■「鬼滅の刃」と同時代
あれこれ調べてる過程で…何と100年前のアド・サンテルの動画を発見!ルー・テーズの師匠でバックドロップ創始者!そしてこの翌年、講道館挑戦…ラスト、ロッキー2ばりに子供達と走るサンテルはまるで「待ってろジャパン!」と叫んでるよう!来年サンテル来日100周年!(^o^)https://t.co/1IFryL1l8L pic.twitter.com/YZXw270aea
— ふるきっつあんの不条理ツイート。 (@foolkitchen1) 2020年10月16日
まてまて、いま話題の話につなげれば「鬼滅の刃」、鬼殺隊の鬼退治が完了(~1915前後)してから数年後だ。平和と平穏な生活を取り戻した炭治郎ら一行が、桜見物もかねて、靖国神社にて、サンテルvs日本柔道の試合を見ていたとしたら…?
— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) 2020年10月20日
(だからってどうなるかは知らん)https://t.co/Ls9FKt4O1J
無茶な話を(苦笑)。それ言い出したら、炭治郎らが「はいからさんが通る」花村紅緒らに出会って、関東大震災にも遭って、さらに「風立ちぬ」堀越二郎らにも出会うって話ですよ(笑)。そもそもあの面々の一世代後は太平洋戦争をどう生きたのか、大人しくしてたのかどうか……(^^;)。
— ふるきっつあんの不条理ツイート。 (@foolkitchen1) 2020年10月20日
「猪突猛進!!!」
「うわー伊之助、神聖な靖国神社で、土俵に上がるな!!善逸、あいつを止めろ!!」
みたいなネ。
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