昨日一日、本来なら長文を書けるはずなのだが諸事取り紛れてしまった。一日遅れで、物理的に書ける範囲でいろいろと。
http://gbring.com/sokuho/news/2008_02/0203_sengoku_02.htm
「ついに吉田選手のカードを発表させていただきます。立ち上げ会見から参戦を表明していただいていたのに、遅れまして申し訳なかったんですが、あれほどの選手なので相手を選ぶのに慎重になっておりました。吉田選手の3月5日の対戦相手は、ジョシュ・バーネットになります。このカードが戦極旗揚げ戦のメインイベントで行われます」
パチパチパチ。
戦極、どーなるかと思ったが、五味と吉田とジョシュをそろえたら「やれんのか」とうまくすみ分けした上での「PRIDEを継承した」という言い方をしても問題ないだろう。
あと、例の演出は旧PRIDEスタッフが行う、という話はどうなったんか。
佐藤氏「格闘技の映像は年一回で十分」といってはいたが、今年の年末に「じゃあやるの」(M-1? 大連立?)かも分からないし。
ただ、試合そのもので言ったら論評は、最近のセーム・シュルトの試合のように「油断は禁物ですよ」ぐらいしか言うことは特に無い。いや、吉田の総合へのアジャストは何だかんだ言ったって、転向の年齢を考えれば見事なものだし、爆発的な一瞬のパワー、投げの技術、シウバに極め掛けたクソ力の足関など危険な武器は多々ある。
しかしそれでもなお、「ジョシュが心配するのは油断のみ」という言い方には大方の同意が得られるだろう。何といっても吉田は減量次第でミドルとヘビーを行き来していた体格なのだ。
お疑いの向きはスパー経験がある吉田本人、また、ちゃんと両方のいいところを見て、リアルな範囲で煽る仕事もわきまえている高阪剛に訊くとよい(笑)。
そんなところで因縁話。この日、3月5日は・・・
で、以下の話に気づいたわけだ。この偶然の一致に気づいてうれしくなり、NHBニュースに投稿したから読んだ人は分かりますでしょう。
この戦極が旗揚げする三月五日は1921年、
ところは靖国神社において、太平洋をはるばる越えやってきたキャッチレスリングの猛者アド・サンテルとその弟子が、講道館柔道の猛者と決戦をした日であるのです(二日間にわたったので正確には五日、六日)。
実は以前、ブログを始める前にはホームページ(このブログの上部分参照)に雑多なデータを挙げていたのですが、そこのメインコンテンツのひとつでした。
実はこの機会に見直したら、おやおやリンク切れが発生している(笑)。それを修正してあります。これはその試合の80周年を記念して作った記憶がある。もう7年前かよ!
【関連資料】
※当時の記録は現在、ほとんどが著作権フリーです。写真等ご自由に転載下さい
http://www20.tok2.com/home/gryphon/JAPANESE/SANTELL/santellmini.htm
白眉は中央公論に後日載った観戦記を写真ファイルにしたものだが、国会図書館でこれをコピーし、撮った当時はデジカメの性能も今とは段違い・・・現在の機材と技術ならもっと鮮明に写せるのだが、現物は実家に置いてしまったのでご勘弁を。
以前から、HPのコンテンツをブログに移したかったので、この機会に「サンテル、靖国で闘う」となった経緯を書いた夢枕獏の文章を引用しよう。
夢枕獏「鬼踊りで候ふ」(波書房、1992)収録「明治・大正の異種格闘技戦」より。
アド・サンテルが最初に闘った日本の武道家が野口潜竜軒である。
野口は柔道家ではない。古流柔術六派の調書を集めて作った”神合六合流”帝国尚武会の総帥である。この野口が、アメリカで、アド・サンテルに敗退した。
野口に勝ったサンテルは、その時から柔道世界チャンピオンを自ら名乗るようになる。
当時、日本柔道が、世界的に有名になりつつあったことから、それをサンテルが利用したのである。
この噂を耳にして怒ったのが、講道館の伊藤徳五郎である。伊藤は、すでにアメリカに渡り、何人ものレスラーたちと異種格闘技戦をやっている実力者である。
「柔道世界チャンピオンを名のるのは、自分に勝ってからだ」そう言って、伊藤はアド・サンテルに挑戦したのである。
その試合が行なわれたのは、大正五年(一九一六)五月、サンフランシスコであった。
一回二十分の三本勝負。
おそらく、両名ともジャケットを着ない勝負であったか、あるいは伊藤のみ、ジャケットを着ての闘いであったかもしれない。
一本目は、時間切れの引き分け。
二本目は、伊藤が後方からサンテルの胴に脚を巻きつけ、スリーパーホールドに行ったところを、アド・サンテルが、伊藤を背負ったまま立ちあがり、おもいきり後方に倒れたため、頭を打って脳震盤をおこした伊藤のKO負け。
三本目は、そのまま試合ができず、戦闘不能で伊藤の負け。
結局、サンテルの勝ちとなった。
このふたりによるニ度目の勝負が行なわれたのが、翌月のサンフランシスコである。
ルールは前回と同じである。
一本目とニ本目は、時間切れで引き分け、三本目を、伊藤が勝っている。
勝利したその時の技の名が、資料には、”首絞め”と、短く書かれている。
この首絞めと何げなく書いてあるところがおそろしい。首絞めというのは、ようするに文字通りに首を締めて勝ってしまったのだろう。暗い戦懐が背を走る思いがする。
この当時の、日本柔道家の異種格闘技戦の試合結果を見ると、”腕への関節技””足への関節技”というのが意外と多い。
どろどろとした、ねちっこい試合が、ガス燈の下で行なわれたのであろう。
さらに、このふたりは、三戦目を闘っている。詳しい記録は残ってないが、両者引き分けという結果であったらしい。
関連年表
http://members.jcom.home.ne.jp/americana/page/history/page06.html
そして、サンテル来日後の一連の経緯はこの夢枕氏の他に桜井康雄氏、横田順ヤ氏らが、それぞれ専門のプロレス、明治大正面白雑学(+「武侠世界」周辺研究)などそれぞれの立場から書いている、はず。
ここでおもしろいのは、講道館も「喧嘩は受けて立つ」と「他流試合まかりならぬ」という二つの狭間で揺れ動き、結局公式には闘わないことに決めたことですね。国会図書館で思わずほうと声を上げたのだが、この試合の記事が出た面の別部分に、嘉納師範が五輪に関する帰国報告会(だったかな?)か何かを行って、貴賓名士が多々集まった、という記事が載っていた。
その前後の政治がらみ、そして肝心の試合に関しては、ネット上では
http://kaigaitabibito.web.fc2.com/jyujyutu/kakutougi/kakutougi.html
が一番充実しているだろう。
(一回http://okigura.lolipop.jp/jj/jj/kakutou/koudou3.htmlから移転しています)
大正10年の春、そのサンテルから
1通の挑戦状が東京の講道館にとどいた。「ぜひ講道館のチャンピオンと試合がしたい」というのである。
(略)
”伊藤五段を破った男”サンテルの挑戦をめぐって
講道館は騒然となった。黙殺すべきか、応ずるべきか、決は嘉納師範のはら一つ。
高段者たちの間には、さまざまの憶測が流れた。
新聞がジャンジャン書き立てる。初めは黙殺するつもりであった師範嘉納治五郎も
新聞社の追及に・・・・・・
http://okigura.lolipop.jp/jj/jj/kakutou/koudou3.htm
http://kaigaitabibito.web.fc2.com/jyujyutu/kakutougi/kakutougi.html
・・・「しかし、俺はあえて言う」と立ち上がったのは岡部平太五段だった。
(略)
アメリカで体験したプロレスラーの実力と実体を縷縷説明したあと
勝っても負けても、彼に講道館が利用されるばかりであると説いて
敢然と反対をとなえたのだ。
(略)
一度は叱りとばした嘉納も、熟考の末、その忠告を入れて
サンテルの挑戦に応じる回答を撤回し「サンテルと試合する者は破門する」と
館員とちに厳命した。これで一件落着と思わたが、波紋は講道館の外に広がっていた。
そして、サンテルは初日、二日ともアウェイの地で負けなしだった。初日はヘッドロックが、ルールの話し合いの不備もあり反則を取られたが、それにより相手が続行不能となったという(レフェリーは「流れの中なので大丈夫」と言った…というのは嘘(笑))。
二日目は時間切れ引き分け。ただ、公平に見て判定をつけるならサンテルのほうがかなり押していたという。ちなみに上半身は、ともにジャケットを着ての試合だったというからサンテルは相当な実力者だったのだろう、やはり。
それと引き分けた庄治彦男氏は、この試合でその技術を痛感したレスリングをアメリカで学び、日本に持ち込んだひとりとなる。(最終的にはその流れは非主流派となったが)また、戦後は国会議員ともなり、その面からも歴史に爪あとを残した。
http://www20.tok2.com/home/gryphon/JAPANESE/SANTELL/interviiewshoji.htm
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/0796/00205200796014c.html
サンテルは、のちに鉄人ルー・テーズのコーチとなる。
流智美訳・監修「鉄人ルーテーズ自伝」より。
・・・ジョー・マルセビッチが仕切っていたサンフランシスコはそれほど大きなマーケットではなかったが、兄貴分のレイ・スチールがトップで活躍していたことで、最初からメーン、セミの待遇を受けた。
マルセビッチ自身、エド・ルイス、ジョー・ステッカーらと同世代のプロレスラー出身だったから、私の技術を非常に高く評価してくれ、近郊のオークランドでプロモーターをしていたかってのライト・ヘビー級王者・アド・サンテルを特別コーチにつけてくれた。
(略)
サンテルは当時既に52歳だったが、その実力はいささかも衰えておらず、彼自身、自分の持っていた様々なテクニックを私に教えるのが楽しくて仕方がなかったようだ。体中あちこちがいたんで試合には影響があったが、もちろん私もサンテルとのトレーニングが楽しくて仕方がなかった。1日に4、5時間、一週間に5,6日、これを5カ月間続けたのだから私の技術に進歩がないはずはなかった。ジョージ・トラゴスに教えてもらったテクニックがプロレスの全てだという風に思っていた私に、プロレスの奥に底はないということを教えてくれたのがサンテルだった。サンテルに教えてもらったのは主として”フック”(hook)と呼ばれている、関節技の中でも最も高度で危険なものであったが、のちに世界チャンピオンとなった時、何度このサンテル教室に感謝したかわからない・・それほどサンテルのフックは実戦で役に立った。ある日、私とサンテルが地下のトレーニング・ルームでスパーリングをしていた時、ジョー・マルセビッチがこれを遠くから”のぞき見”していた。サンテルは私の左腕をまき込んで折れる寸前にまでねじ曲げ、私も思わず痛さにうめき声をあげた。その時にマルセビッチが血相をかけて入りこんできた。
「アド、なんてことをするんだ!テーズは大事なメーンエベンターなんだぞ!いい加減にしてくれ!」
私とサンテルは顔を見合わせて大笑いした。連日サンテルの技を受けていたことで、事実私は余りの痛さに4、5試合を欠場したこともある。これはプロモーターのマルセビッチに対しプロとして実に失礼なことだった。しかし本当のフックを身に付ける代償としては、このくらいのことは覚悟しなければならなかった。
- 作者: L.,テーズ,流智美
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流氏訳のこの本は、基本的に「プロレス神話キープバージョン」で、テーズは英語版で他にもう一冊、ぶっちゃけバージョンの自伝「フッカー」という本を出しているとも聞く。そこにあるサンテルの記述も、あれば読みたいところだが。
この物語は70年代?に桜井康雄原作、竜崎遼児画で少年ジャンプに「プロレス対柔道」として短期連載もされた。
これも個人的に、コピーを持っていたが・・・
そして2年前、最新の研究を加えた決定版というべき書が出版された。
内容(「BOOK」データベースより)
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日本武道界を代表する講道館に、挑戦状が送られる。対戦者はサンテル、受けて立つのは…。異種格闘技戦の原点はここにあった。
内容(「MARC」データベースより)
日本武道界を代表する講道館に挑戦状が送られる。対戦者はサンテル、受けて立つのは…。大正10年に行われた柔道対レスリング(プロレス)の他流試合「サンテル事件」を追い、スポーツへと向かっていく柔道の歴史を検証する。
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この本の面白いところは・・・・おいおい、この本みつからねーよ。たしかに買ったのに。つうか、こうやって紹介するためにわざわざ買ったんだぞ!肝心の紹介時点で無いなんて何なんだよ!!
と、100%自分のせいなのに文句を言ってしまいました。
たいへんしょっぱいまとめ方になってしまいましたが、まァそういう意味でも「戦極」旗揚げ戦、ジョシュvs吉田にご注目下さい。
【補足】靖国神社と格闘技(プロレス)興行などについて
そもそも「えっ、靖国神社で異種格闘技?」と驚く向きもあるかもしれないが、同神社は成立直後から、近代に沿って「創作」された神社の性質を現すかのように、モダンな娯楽、興行の場としても成立していたことは坪内祐三の出世作
- 作者: 坪内祐三
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にあるとおり(一部、このサンテル話や力道山奉納プロレスの話も書いている)
そして一年前か二年前か、kamiproで真下義之氏の構成による「靖国神社とプロレス」特集が組まれ、同神社の神学的な見解(貴重な資料と言える)も掲載された。
プロレス興行とかも、「みたまを賑やかな催しでおなぐさめすることになる」から、プロレスとかもオッケーなんだそうです。実際にランジェリー武藤や中国人の酔拳使いも登場できたのだから、何とも幅の広い話だ(笑)