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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

プロレスが「信頼関係」で成り立ったり「信頼関係が無い」ことで成り立ったりすること(笑)

まず、この記事を読んで頂くとする。

64年5月のテーズ対ゴッチは、20年以上早い藤波対前田だった
http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20140518/p1

これは以前からのふるきち氏の持論で、
http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20081024
でも語っている。それは当方の

ゴッチをめぐる謎その3・一応最終回予定(Gスピリッツから)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081031/p2

でも紹介しているGスピリッツ9号を受けてのものだ。

Gスピリッツ Vol.9 (DVD付き) (タツミムック)

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まず、前提として、カール・ゴッチvsルー・テーズの、”プロレスの枠を超えた不穏試合”との説がある戦い、をめぐる議論がある――という前提を共有してくださることが必要で、そのためには流智美氏が別冊宝島に書いた文章を読んでもらうのが一番いいのだが、要は

■1964年のタイトルマッチ。
■ゴッチはテーズのバックドロップの際、体勢を入れ替えて押しつぶしアバラを三本へしおった。
■テーズはエプロンのゴッチをドロップキックで転落させて王座を死守。
■テーズは入院、長期欠場・・・
■病院にてテーズ「カール!なんでこんなバカな真似をしたんだ、言ってみろ!」ゴッチ「すまない、我を忘れてしまった・・・」

で、「試合で急にマジになって、バックドロップ封じをしかけたゴッチ」がいたのは事実だが、その後
「ゴッチはそのままマジで攻撃を続けたが、テーズはうまく捌いて、なんとか引き分けに持ち込んだ」
説と
「ゴッチも試合中に”ハッ”と気づいて、、我に返ってテーズと一緒に試合の収拾に協力した。リングアウト側みの決着はその結果」
という説がある。ちょうど半世紀前の試合でこんな議論をして飽きないのだから、プロレスファンは効率的でおトクですね。……いや、贅沢な浪費か??
で、ふるきち説では前田日明vs藤波辰巳がひとつの傍証になると。「空気の読めないシュート野郎(※プロレス内での)が、試合の中でやりすぎてしまったが、やられた相手もそこでうろたえずにうまく『プロレス』を続け、シュート野郎のほうもハッとわれに返り、当初の想定かどうかはともかく、なんとか試合を成立させた」という試合はあり、テーズゴッチ戦もそうなのじゃないか??というね。
そうすっとお見舞いにいったゴッチの第一声も「テーズさん、どうしたんですかそのアバラ?」、テーズは「お前にやられたんだよ!」だったのかしら。


時代は変わって平成も四半世紀をすぎた今、プロレス人気は新日本を中心に盛り返し、「昔プロレスというものがありまして…」と傲慢に言い放った谷川K-1をはじめとする格闘技を返り討ちにしております。
しかし。
今のプロレスを「あまりにも相手を信頼した上で戦いすぎる」
と不満をもらす昭和の忘れ物も多い。

http://j-lyric.net/artist/a00245e/l003d9b.html
モノがあふれて 心が痩せて
渋谷の街は演歌が 居づらくなるばかり
夜更けのハチ公 目に涙
俺たち時代に はぐれたね あゝ

という歌(新沼謙治「渋谷ものがたり」)な感じのうっとおしさであることは承知だが、この相互信頼に依存しすぎているプロレスを

1月新日東京ドームを見た、昭和世代ファン(挑戦者ストロング)が名言を連発。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140308/p2

でも紹介した

■新日1.4東京ドームに思う徒然
http://d.hatena.ne.jp/Dersu/20140126#p1

では
性善説プロレス」、
さらにハッテンして、いや発展して

なかよしを超えた「やおいプロレス」

なる造語で語っていたりする。いやもうひどいですね。よく言っておきますから。

プロレス創世記の”相互信頼”に関するある挿話

そんな話を締めくくるのが

千一夜 エド・ストラングラー・ルイス
http://roseckie.net/cms/?p=3447

ヘッドロックを必殺技に一世を風靡した絞め殺し屋(ストロングラー)・ルイス。
実は一説には、プロレスをいわゆる競技でなく、今の「プロレスはプロレス」としかいいようがないものにした功労者?の一人が彼だったという。それも「千代の富士方式」で…。
つまり、”ガチ”ではないのだが「20分でフィニッシュだ。お前が片足タックルにいくのを俺ががぶって、そのままヘッドロックで…別にそれがいやなら、ガチでいいんだぞ?その代わり俺も本気でいくけどな(ギロリ)」というやり方で、プロレスのプロレス化を進めたという……
このへんを参考にしていただきたい。

■「千代の富士53連勝」そして大乃国と、板井の著書「中盆
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100919/p2


そんなルイスのプロレスの「相手との信頼関係」とは。

…ルイスのライバルはジョー・ステッカーであった。ステッカーとの対戦は生涯に19回。着目すべきは1920年12月13日から1928年2月20日までのブランク。7年あまりの冷戦期間の確執は、「馬場と猪木」「大木金太郎と張永哲」に匹敵するグレイトなものである。コレを語っていると長くなる…
(略)

ルイスがグランドの状態でステッカーにヘッドロック柔道で言う「袈裟固め」の状態になった。ルイスがリングサイドの女性を見つけた。実はステッカーのフィアンセ。ルイスは件の女性を、自分ならいかにして口説き、連れ込み、コトに及ぶかを、下になっているステッカーに対してののしり続ける。ステッカーの顔面はみるみると怒りに満ち溢れ…

ちょっと やな話。
まあ、こういう関係ばかりでもいかんし、本当に緊張感なく、どっぷり信頼し合ってるだけでもいけない、という中庸な話に落ち着くのですかのう。