「昭和の日」で”再放送”。元記事もそのまま残ってるんだけどね。
ビッグコミックオリジナル2019年3月5日号掲載「昭和天皇物語」より
そのスリは、冷たい目で、ひとりの若者を見ていた。
パリの地下鉄の、中であった。
見つめる対象は、東洋人の若者だった。
金はあるのだろう。着ている服は、派手ではないが、間違いなく上質の生地を使っている。
常に留学生や亡命者が多い、この街だ。
東洋人が、洋服を着て、この花の都パリを闊歩しているのも珍しくない。
それに嫌悪感をもち、嫌がらせの犯罪をするものも多いが、このスリにはそんな感情は無い。
ただ、闇のプロフェッショナルとして、この若者…一人従者がいるが、それを含め−−が、警戒心のない、仕事のやりやすそうな人間だから目をつけた。ただそれだけだ。
目は好奇心に満ち溢れていて、車中をくまなく記憶したいというように周辺を見回しているが、だれかが自分を狙っている、利益を求めて盗みを働く。そういうことを想像し、警戒する、そういう注意をまったく行っていないことを、そのスリは気づいていた。
そろそろ、仕事にかかるか−−。
少し前から微妙に位置をずらした彼は、停車した駅に降りるためにドアへ向かった。
そして、計算どおりにその方角にいた東洋人の若者に、やや乱暴に肩をぶつける。おつきの従者は警戒ではなく、無礼をとがめるように声を上げようとしたが、若者が目で制したらしい。こりゃありがたい話だ。
完璧だ。
自らの”仕事”を終え、あと一歩で地下鉄の車両を降りようとしたその瞬間までは、その評価は正しかっただろう。
腕を、初老の男に掴まれるまでは。
「な、なんだよ、おまえは!」
「それを、彼にお返しなさい。」
「てやんでえ!」
スリの技術には誇りもあるが、腕っ節だよりの荒仕事だって嫌いなわけではない。
一発ぶんなぐって、猛ダッシュで逃げてやる。
その刹那!
狭い地下鉄で、男の天地が逆転した。「少々すまんね。金持ちから、すぐれた技術で芸術的に盗む。それ自体の価値は私も否定はしたくない。たしかに君の技術はマエストロ級だった。だけど、そのレベルにあるなら分かるだろう。あまりにも彼は警戒心がなかった。異国からの客人の、そんな態度に付け込んで盗むというのは、少々紳士としては避けるべきことではないかな」
「だっ、だれが紳士だよ!俺はスリだぜ、紳士的にふるまう泥棒なんてきいたことねえや!」
「それが不可能とは思わないのだがね…」
この騒ぎに気づいた、くだんの東洋人の若者がその場に近づく。
「どうしました?わたくしに関係しているようですが…」
たどたどしいが、はっきり聞き取れるフランス語だった。「これを、貴方が落とされたようでしてね」
初老の男は、スリの胸ポケットから、巾着袋のようなものを取り出した。
「そっ、そいつはス…」従者の言葉を、若者は「竹下…」の一言でのみこませた。
「これはメルシー、貴方も、そのお方も」
スリの犯罪は、不問に付す。その了解は、だれもが自然とわかった。スリはあまりの事情の急転と、おもわぬ赦免にぽかんとするばかりだった。
袋を完璧な状態で返せるかどうか確認した初老の紳士は、その紋章に、小さな声で驚いた。
「ほう、キク」。
だが、それ以上の詮索はなく、黙って袋を若者に渡した。
好奇心を発揮し、詮索したのは若者のほうだった。
「さきほどの技は、柔道?」
「そうです、お国のブジツですよ。ジゴロー先生直伝が、当方のいささかの自慢です」
「そうですか、わたしは一流の選手の試合を小さいころから見ていますが、あなたのあれも引けをとりません」
「そちらも、相当やるようですな」
「いいえ、私は相撲と、スクネ流というものを少々かじっただけです。それに技はともかく、こういう場で争いに使う度胸や勘がなくてね」
「それは、いいことですよ」
その場で、二人はさらに二言三言、言葉を交わし、同じ駅で降り、左右に分かれて去っていった。
ここで逆に、その初老の男は「逆スリ」を働いた、のだという。自分の身分…というか「正体」を明かす、名刺というか、カードというか、そういうものを若者のポケットに滑り込ませたのだ。これについては、宮内庁にまだ残されている、という話をかなりの確度で信じることができるが、もちろん公式にはそういう発表は無い。
なお、若者のほうは、「切符は降りた駅で渡す」ことを知らず、改札口でひと悶着あったのだが、それは別の話。
時は流れ・・・・2006年。
かつての侍従が残した「富田メモ」をめぐる調査を行っていた御厨貴、秦郁彦、 保阪正康らは、一枚のメモを前に首を捻った。
「御製ですかね?」
「いや、こういう歌は記録に無い。即興で歌ったものを、富田さんが書き残したのでしょうか?」
「1982年、ミッテラン大統領がフランスの国家元首として初めて来日した際のもの、と書いてありますな」
「ふらんすの 地下鉄車両で 出会いけり かの国の生みし ルパン氏を思ふ」
「ルパン氏に 倣って1枚 盗みけり 我が宝たる パリの切符を」
【補足】
■パリの地下鉄の話
http://www.all-tama.co.jp/akitama/museum/tachikawa_showa_emperor_sp.html
右:パリ地下鉄切符
パリの地下鉄に乗られた時の記念として保管されていた切符。 パレ・ロワイヤル駅→ジョールジュ・サンク駅の4区間ご乗車された。裏には「1921.6.21」と昭和天皇の直筆の日付が。
宮内庁所蔵(展示期間:10/26まで)
※現在も展示中で、実物が見られる
http://www.ohba.ne.jp/history/01.html
パリでは竹下中将とたった二人で切符を買って地下鉄に乗り、切符を固く握りしめたまま改札口を通り抜けようとして駅員に怒鳴られたエピソードも知られている。
ロンドン説も?
ウィキペディアではロンドンで地下鉄に乗った、とある。パリとロンドン両方で乗ったのか、ウィキペの誤記か。フランスのほうは物証があるので動かしがたいが。
年齢
昭和天皇は1901年のこの日の生まれで、計算しやすい。20歳。
ルパンは1874年誕生。初老と書いたのは失礼だったかしら。40代後半。
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初出 2009年 今回「昭和天皇物語」の画像を収録した。