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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【没25年】高坂正堯外交・政治箴言集~中公新書の評伝から

【はじめに】高坂正堯の著作や発言を「箴言」ふうにまとめたいという希望はこのブログを始めた直後からあった。ほんの少しだけこのブログで試みたりtogetterまとめの形で制作したことがあったが、なかなか手に余るためそれ以上の進展はなかった。
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だが2018年に、中公新書から高坂正堯ー戦後日本と現実主義」が発行され、少し前に読む機会があった。全体としても非常に示唆に富む本であり、高坂の実際の行動や人間的な思い出話の部分も、むしろ読む人によっては面白いものであると思うが高坂の多くの著書、雑誌への寄稿などを手際よく引用した 「引用集」としても優れている。限られた分量だからか(それでも中公新書としては結構厚めの本だが)、かなり骨子を厳選しており、すでにこの段階で箴言集化していると言っていい。著者服部龍二氏の実力のほどはこの引用だけでもわかる。

高坂正堯―戦後日本と現実主義 (中公新書)

高坂正堯―戦後日本と現実主義 (中公新書)

日本における国際政治学の最大の巨人・高坂正堯(1934~96)。中立志向の理想主義が世を覆う60年代初頭、28歳で論壇デビューした高坂は、日米安保体制を容認、勢力均衡という現実主義から日本のあり方を説く。その後の国際政治の動向は彼の主張を裏付け、確固たる地位を築いた。本書は、高坂の主著、歴代首相のブレーンとしての活動を中心に生涯を辿り、戦後日本の知的潮流、政治とアカデミズムとの関係を明らかにする。

そこで、高坂の発言、著述部分だけを出来る限り抜き出して、新たな「高坂正堯外交・政治箴言集」とさせて いただきたい。いま作成したあとに気づいたのだが、ことしは1996年逝去の故人の、没25年となる。


テーマごとに分類再構成しようかとも思ったが、掲載の順番はこの中公新書の並びにそのまま拠った。だから例外はあるが最初の頃が若い時代やその時代を回想した言葉、後半に行くほど晩年に近くなっている。
時代状況も戦後間もなくから、冷戦が終わり湾岸戦争などに直面した時代へと進んでいる。



これが可能になったのは、実のところ Google ドキュメントの音声入力のおかげという部分が大きい。これをタイプやスキャンの形で行ったらもっと手間暇がかかっただろう。音声認識の精度は、これまで以上に極めて満足のいくものだった。皆さんも実地に音声入力をもっと積極的に使ってみてはと勧めておく。(とはいえ見直したら結構誤字は多く修正した。精度が99%でも、これだけのテキストだと絶対量的にはかなり出るわけだ。さらなる進歩を熱望する。)


利用に際して、その音声入力で提示された漢字ひらがなの使い分け、あるいは漢字の選択など、ある程度は直したが、ある程度は許容範囲ということで、 実際の表記と異なるものがある。(高坂はひらがなを結構多用している。)

また同書の引用では「 」と( )を厳密に使い分けているが、それに従った部分も、箴言化のためにはひとまとめの文章にあえてした方がいいと考え、そのようにした部分もある。

その発言がされた年代や、何に対しての発言か特に知ってもらった方が良いと判断したものにはこちらで入れている( )の説明もある。


高坂正堯外交・政治箴言

子供の頃を振り返って印象に残っている先生というものは、自分の教えていることを真実に好きで、その価値を疑わない人ではないだろうか。高校の漢文の先生がそうだった。その先生は唐の詩など美しい文章が心から好きでそうした文章を読んで解説することを身体ごと楽しんでおられた。

父は私にカントについて語るとき、私は何よりもそこに自信に満ちた人間の姿を見た。それは社会の評価にほとんど左右されない自信であった。そして、この信念こそ、父から子へと受け継がれていくべきものなのである。
私は父から聞いた哲学の話を、 すっかり忘れてしまった。しかし大切なことは、父が子に、彼が一生をかけてきたものについて、自信に満ちて語ったということなのである。

哲学は引退してから勉強する。

(京大の第一印象に関して)カビ臭い、生き生きしない、屁理屈ばかり言っている場所だという印象が入学時代からありましたし、今でもその印象は残っています。

日本の国際関係についての現実的判断に非常に優れたと言うか、 その当時におけるベストの人二人 (猪木正道と田岡良一)が私の先生でした 。その事に対し、私は感謝もしているし、今でも誇りにしています。

田岡教授は中立を主張され、横田教授はその批判者であった。 田岡教授の説かれた中立は『非武装中立』ではなかったから、この二人の先生の議論は『安保』対『非武装中立』 という与野党間のそれとは直接関係がなかったが、それは議論が毒々しいものになるのを救っていたし、それゆえ、私は心から興味を持つことができたのである。

イギリス外交は現実の冷静な計算の上に立っており、道義的にイデオロギー的に外交を見る日本人にとってこれほど理解の必要があるものもないであろう。私はその意味においてイギリス外交の研究を必要と思う。

私はあらゆる絵の中で、中世の絵、特にドイツに見られる中世の宗教画が一番嫌いです。おそらく、私のドイツ嫌いはこの時に始まる、という感じがします。

国際連盟は単なるユートピアではなかった。それは民衆の平和熱が強力なものである限り、その意味においてリアリティーであった。

吉田茂さんが駐英大使時代に、日本に送った電文があって、それが非常に面白かった。吉田さんはもうその頃には全くの少数派で、吉田さんの意見が取り上げられるなどということはまずありえない時代でしたが、その電文でも「日支事変は、イギリスの優先でまとめるべきだ。 そして日本外交は今後も英米協調で行かなければいけない」ということを言ってるわけですね。 そんなことを言っても無視されるに決まっているというあきらめを一方で持ちつ、一方でしかも堂々と言いたい事を言っているという感じで、そういう場合にありがちな悲壮感がほとんどない。

今後は分極化でなくて 、もっと多極化していく過程に入るんじゃないかと思うんです。 まず日本は善隣国としてアメリカのモラリズムを補うという面があると思うんです。
こちらへ来て一番強く感じることは、なんといっても冷戦が相当厳しい現実だっていうことですね。日本にいるとやはり冷戦の当事者じゃないから多少甘い考えを するわけだけれども、冷たい戦争が予想以上に厳しいというのが偽らざる実感ですよ。

アメリカ人たちはその歴史が成功の歴史であったため、彼らの歴史から生じてきた価値が普遍的に適用可能なものであると信ずる傾向があり、その価値がアメリカの成功を可能ならしめてきた特定の条件と関連していることを認めたがらない。(※これはS・ホフマンの「引用」だったが、 せっかくなので残しとく)

外交論議が何らかの意味で外交政策に寄与するためには、抽象的な中立が問題なのではなく、いかなる政策の積み重ねとしての中立か、が問題なのである。

中立論が日本の外交論議に最も寄与し得る点は、代行における理念の重要性を強調し、それによって、価値の問題を国際政治に導入したことにあると思う…国家が追求すべき価値の問題を考慮しないならば現実主義は現実追随主義に陥るか、もしくはシニシズムに堕する危険がある。また価値の問題を考慮に入れることによって初めて、長い目で見た場合に最も現実的で国家利益に合致した政策を追求することが可能になる。

日本が追求すべき価値が憲法第9条に規定された絶対平和のそれであることは疑いない。私は、憲法第9条の非武装条項を、このように価値の次元で受け止める。

理想主義の国際政治観は…国内的には必要であったとしても…国際的には現実主義が必要であったことは疑いない。 日本は理想主義に鼓舞された民主主義的価値体系の創造と、現実的な方法による国家利益の追求を、ともに必要としている…この意見の対立は、大切に発展させれば、そこから大きな知恵を得ることができる。

(初期の重要論文「現実主義者の平和論」発表とその反響を振り返り)落下傘で降りたら敵ばかりだった…あの頃、現実主義者というのは悪い言葉だったのです。その蔑視用語を平気で使えるようでなければだめだというのが私の見解でした。

国防政策の重要政策をめぐる議論は不毛のままで終わる可能性が大きい…その原因は与党にも野党にもある。その根本的な理由はどのような軍備をどの程度持つべきかについて奇妙なことにほとんど議論されたことがないからである。

中共政府の主張する数百億ドルの要求に日本が応じえないことは明らかだが、その1/10程度の形だけのものであっても、また形式的には賠償と名付けなくても、日本は中国に対して 、他のどの国よりも多額の賠償を支払うべきではないだろうか。それは、具体的な形での戦争責任なのである。

中共は平和的であり、従って中共と協力さえすればよいと考えることはまちがっている。中印国境の紛争における中共の行動は、少なくとも防御的とは言えないものであったし、また 中共チベットに対する政策は新帝国主義と呼んで差し支えない。中国が東南アジア諸国をその支配下に置こうとすることも考えられないではない。

対米従属と対中従属というジレンマは実在し、それを逃れる道は日本自らの力を強める他はないのだ。

イギリスは海洋国であったが、日本は島国であった。イギリスは海洋の可能性を十分に活用して外の世界で活躍し、日本は海の背後に閉じこもってしまったのである。 実際、 島国はこの二つの可能性を持っている。 なぜなら、海は世界の各国をつなぐ公道であると同時に、国家を他の国家から遮断する壁でもあるからである。

私は現実主義者であるよりはロマンチストであるかもしれない…二つの極の間の釣り合いを取ることこそ、現実主義の最も難しい課題かもしれない。それは政治について、基本的に消極的な見方を取り、政治を偉大な建設者としてよりも、利害の妥協を行う調停者として見る立場なのである。

吉田茂が大きな業績を成し遂げた立派な人間であったことを認めるべきであるけれども、それを「吉田体制」にまで高めてしまってはならない。

吉田茂さん自身にも合計3回会いましたが、喋っていてあんなに面白い人とは思わなかったですね…傲岸不遜な人のように言われていましたから、やはり意外でしたね。ジョークもなかなかうまかったし、話が適度に屈折していて、しかも率直に言うべきことは率直に言うというところが面白かった。

日本の復興に政治が何ら寄与していないということはあり得ない。政治は悪いが、 国民の努力が日本を復興させ支えているという思想は、戦後の知的雰囲気が生んだ不当な神話にすぎない。

問題なのは吉田茂が国民に呼びかけ、世論の力を集めて、彼の外交を支える力にすることを怠っただけでなく、それを嫌い、かつ軽蔑したことにある…政治、経済そして世論が、国家を支える3本の柱なのである。 しかし、吉田はこの第3の柱を持っていなかった。 それは彼の固い信念に内在する欠点なのであった。

吉田茂は中国との関係において資産よりも負債を残した。

講和後に憲法改正を強行していたとしても、それは日本の生き方についての悩みをなんら根本的に解決しなかっただろうし、憲法9条について曖昧な状況が、日本に存在する方が良いかもしれない。

吉田茂によって国家の政策として据えられた経済中心主義は、 池田勇人によって定着させられた。それは日本の新しい国家理性となった。吉田茂は経済発展という仕事にあまりに取り憑かれていたため、その当時においてさえ存在した日本外交の行動の自由を、過小評価していた。

吉田さんは、善悪両用の意味で日本人離れした人でしょう。 金持ちで西洋趣味。 ところが、佐藤(栄作)さんは、その逆で典型的な日本の中産階級ですね。人付き合いで見ても吉田さんは初対面の人をバカにしてかかるとこがあって 、ある程度しゃべって面白ければ 、まともに話すようなところがありました。佐藤さんは初対面の時からこちらが恐縮するほど、まともでね。

各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。従って、国家間の関係はこの三つのレベルの関係が絡み合った複雑な関係である…昔から平和について論ずるとき人々はその一つのレベルだけに目を注いできた。

希望することを辞めてはならない。戦争はおそらく不治の病であるかもしれない。 しかし、我々はそれを治療するために努力し続けなくてはならないのである。 つまり我々は懐疑的にならざるを得ないが、絶望してはならない。それは医師と外交官と、そして人間の務めなのである。

ベトナム戦争の行き詰まり状態は今後かなりの期間にわたって続く…交渉による名誉ある和平が得られない限り、アメリカは南ベトナムの戦争で勝つにせよ、敗北するにせよ、その外交政策における最初の大失敗を記録することになる。( 1965年の発言 )

自己を規制できない程度にまで相互依存することは正しくないが、しかし、相互依存という事実を無視して自給自足性を追求することは、必ず激しい緊張を生む。

タスマニア島は私が密かに関心を持ち続けてきた場所であった。タスマニア島の原住民の滅亡の話を子供の時に聞いて以来、タスマニア島という名前は私の記憶から離れなかった。

微生物の伝染の話は国際関係そのものを象徴すると言えるであろう。…異邦人の持つ力よりも、それの持つ”悪”に感染する方がはるかに恐ろしい。だから人々は、外国の病気や習慣を持ち込まないように、滑稽ともいえるほどの努力を支払ってきたのである…しかしそれはたまにしか人間や社会を滅ぼしはしない。 人間は病気についても悪徳についても、やがて抵抗力を身につけるからである。こうして、文明人とは病気についても悪徳についても 、より多くの”悪”への抵抗力を持っている人間たちだということができるだろう。

フランスはアメリカの繁栄に付随することに満足しない。独自の存在であることを 欲している。

占領軍は日本国民の意思を先取りして、旧体制を破壊し、新しい体制を作った… 日本人は大きな改革に常につきまとう悩みを経験しなくても済んだ。… 戦後日本に些か浅薄な明るさが生まれた。

戦争によって占領したものを手放したがらないのは、全ての国の習性である…沖縄返還交渉は戦後初めての外交らしい外交になるであろう。

自民党というのは、良きにつけ悪しきにつけ鵺(ぬえ)みたいな政党ですね。 どこに尻尾があって、どこに頭があるのかわからない。… 政府というのは議院内閣制である以上、自民党を主体とした政府でしょう?
ところが政府のやっていることと自民党のやっていることは全く違う…確かにある程度の多様性を持つことは必要ですが 、自民党の場合、 原則の問題について一致していない。

自分の学問は自分で作るものだ…それがない、と言うなら私のところに来なくてよろしい。

佐藤内閣は学者・知識人の言動を政治的説得の手段として利用するのではなく、好きなことをさせ、立派な出番を与え、政治に言葉と形を与えることに満足したように思われる。 大体、学者・知識人の考えたことを政治家が実行するというのでは現実にうまくいくわけがない。 しかし、政治家が目指していることの正当化あるいは理論付けを学者・知識人に依頼してもその持ち味は活かされない。 ”キャッチボール”とは言い得て妙で、両者がそれぞれ独立に考え、行動しながら、お互いに啓発されるというのがあるべき姿なのである。

学者というものは自分が一番偉いと思い、自分の言うことを全て聞いてもらわないといかんようなことを言うが、政治とはそんなものではなく、学者の意見は2、3割通ればいいもんだ。

日中国交正常化のキャンペーンに関して)新聞のあり方としては邪道であった 。そのことは去年「林彪失脚事件」があって世界の新聞が全部報道したのにも関わらず、日本の新聞だけが報道しなかったという奇妙奇天烈な状況に表れている。

ある程度、国際的に通用する軍事理論をやらんことにはね、日本の対外行動は誤解を招いてしょうがない…日本はこれだけの防衛に関心を持つということを言うことによってですね、それ以上は持たないんだということを、明白にすべきだと思いますね。

シビリアンコントロールと言うけれども、実際は具体的な戦争のケースで政治家がしっかりしておったかしっかりしていなかったかによって 、シビルコントロールになりもするし、なりもせぬ。制度的な決め手はないということですね。

支持政党は自民党ですが、衆議院選挙では自民党に投票したことがない。私が住んでいる選挙区には投票したい候補者がいませんでしたから。。

理論に基づかない断固たる行動は吉田茂の特徴かもしれない。彼は理論より勘を重んじたことは明らかである。回想録は「外交感覚(ディプロマティック・センス)」の重要性を強調することから始まっているし、会話では「鼻が利かない犬と同様、鼻の利かない奴はダメだ」と公言していた。

外交は常に時間がかかるものだし、それゆえ『待つ』ことが極めて重要な美徳とされた。

古典的勢力均衡体系の終わりについて語ることは容易ではない 。それは一見終わるべくして終わったという様相を呈してはいないからである。古典的勢力均衡大系は、明らかに第1次世界大戦と共に終わったが、その第1次大戦は唐突に起こったものである。

私は現実の国際政治をフォローしながら、その合間に歴史のやや本格的な研究をするという方法を取ってきた。 しかもその際と私は現代の問題に光を当てようという目的意識を持って、歴史を研究したわけではない。それが好きだからやったので、いわば趣味として合間に歴史研究をやってきたのである。奇妙な仕事のスタイルと思われるかもしれないが、私にとってはそれが歴史研究から最も多くのものを得ることができるものであった。

安全保障とは国民生活を様々な脅威から守ることである。 そのための努力は、脅威そのものをなくするための国際環境を全体的に好ましいものにする努力、脅威に対処する自助努力、及びその中間として理念や利益を同じくする国々と連帯して安全を守り、国際環境部分的に好ましいものにする努力、 の三つのレベルから構成される…この三つの努力は相互に補完すると同時に矛盾もするので、そのバランスを保つことが重要である。

ソ連との付き合いが難しいのは、こちらがタフに出ると向こうも強く出る、こちらが弱く出ても向こうはやはり強くでる、それが厄介だと (キッシンジャーは )言ってますね。

日本の安全保障政策は真実の意味で総合的であるとは言えない。その歪みとは、安全保障の軍事的側面の軽視、または嫌悪ということである。それは、言うまでもなく、歴史的事情によって説明されるところが少なくない。

衰亡の原因を探求して行けば、我々は成功の中に衰亡の種子があるということに気づく…だから衰亡論は何よりもまず、成功した者を謙虚にする。…衰亡論は我々に運命の移ろいやすさを教えるけれども、決して我々を諦めの気分に陥れるのではなく、かえって運命に立ち向かうようにさせる。

私は1%枠のように合理的根拠のないタブーのようなものによって防衛費を規制することが、かえって防衛論議と防衛政策を歪めるがゆえに、撤廃するか、より妥当なものに変えるべきだと考えているから、今回の決定は妥当なものだと思うし、日本として十分責任の取れる範囲の決定だと考えている。

日本で外交に関する一番支配的な議論の仕方、すなわち外交官というのは、現在の秩序が前提となるわけですよ。だからその秩序の形成とか維持に自分が参加しているという意識はないわけね。…安定期にはこれでいいんですが、秩序が揺らいでまた新しいものを作らなきゃいかんということになると、その議論じゃダメになってくるんですね。いろんなことに関して日本は自分の立場を説明すべきですね。説明すれば案外わかってもらえることはあるだろうと思うんですね。

吉田茂は座談の名手だった。しかしそれは話好きとか、話し上手とかいうことではない。まして演説がうまいということとは何の関係もない。吉田茂の演説が人を感動させるものであったと私は思わないし、吉田茂自身演説が好きではなかった。彼の言葉はサロンやクラブやカクテルパーティーで輝きを放つものであった。

常識的なことだがクラブやサロンではよく話す人物や議論の巧みな人物を会話上手とは言わない。口数は少なくても爽やかな印象を与え、頭に残る言葉を吐く人間が会話上手とされ、そして教養ある人物とされてきたのである。

異質論は危険な議論でもある。というのは、それは人間の原始的な感情とどこかでつながっている。人間は「我々」と「彼ら」に分ける癖を持っていて、その「彼ら」はトーテム野蛮で危険な存在でもある。交流が増大し、文明化された後も、そうした感情は時として蘇る。例えば勢力争いと結びつくときにはそうである。

(学園紛争時代、授業を止めろと要求する学生集団に対し)何を言っている。 一人でも学生がいる限り、自分は教師として教える義務がある。

昭和天皇崩御直前の自粛ムードに対し「朝まで生テレビ」で)僕らにはタブーはないですけどね。やっぱり自粛現象というのは悪いと思いますよ…( 天皇は)無用の用で、ある種の安全弁みたいなものであると思うのです…僕らは関西だから、天皇さんになるんだね。天皇陛下といったこともあまりないし、天ちゃんといったこともない、天皇さんなんです。 普通に扱うのが一番いいと思います。だから僕は自粛反対なのよ。あんまり恭しく扱うのは良くない。

パックスアメリカーナというのがそう簡単になくなるとは思えませんし、また日本が世界の指導国の一つになるとも感じておりません。…現在の日本の政策について、何よりも大事なのは、できるだけ態度を決めないということだと考えております。…冷戦ほど大きなことが終わる時には全く新しいゲームが始まるんで、そのために知的な準備が必要であるということは、間違いないことだと思います。(1989年)

歴史的に見れば”中原の国”の強大化は常に困難な問題をもたらす。(ドイツ統一に関して)

すべての本を読むには人生はあまりに短く、歴史はあまりに複雑である。

我々はまず「安全保障は経済上の問題だけではない」ことを思い知るべきであろう。日本では、その逆の命題すなわち「安全保障は軍事力だけの問題ではない」というのが盛んだが、大体「XXXXだけではない」という議論は「XXXX」を他人がやってくれるだろうという甘えに基づく、賢ぶった議論なのである。(1990年、湾岸危機に際し)

責任がある決断をし、行動するということをやらなかったら、道徳的な構造、英語で言えばモラルファイバーというのはだんだん朽ち果てる。これが日本の第1の危険であると私は思うのです。

国は戦争に敗れても滅びはしないが、内面的な腐敗によって滅びる。従って状況は誠に ゆゆしいのであり、我々は誰よりも真剣に、我々の致命的欠陥の克服に取りかからなくてはならないのである。…私は怒り以上のものを感ずる。しかしそうした非道徳の極致の人々はどうでもいい。日本の将来が私には心配である。

私は通常、人間はやや軽い調子で語るべきものだと思っている(中略、サマセット・モームを引用。…だが)人間は時として真面目に、やや大げさに言えば、自分を賭けて行動しなくてはならない。自分がそう感じて行動したのは吉田茂の伝記を書いた時、佐藤内閣の時の沖縄返還交渉に際して基地問題研究会で仕事をした時、それに湾岸戦争の時ぐらいである。

およそ決まり文句ほど邪魔になるものはない。その最たるものは『非軍事的貢献』をよしとする議論で、日本の中ではそれでなんとなく通用するのだが、国際的には何の感銘も与えはしない。

自衛隊の問題についても、あの憲法、特に第9条から読み取ることができるものは、日本国民、大いに悩みなさいということ以外にないんですよ…自衛隊が合憲か違憲かに割り切ってしまうことには、僕はどっちかと言うと反対なんです…僕は「悩みながら持て」と言ったわけです。

だいたい私は、憲法については、不文憲法論なので、憲法は人間が書くなんて言うのはおこがましいと思っておりますから、逆説的に言えば、誰が押し付けてもあんまり気になりません。強いて言えばいくつかのプリントがあって聖徳太子憲法以来今に至るまで何べんも焼き付けてきて、その複合が日本人の国体みたいなものを構成しているという感じがします。従って私は日本国憲法の第1条は「和をもって尊しとなす 」ということであると依然として信じております。

第9条が政策関係者に与える影響も悪いものとなってきた…その最たる例が自衛官についての法制局の解釈で、日本には個別的自衛権集団的自衛権もあるのだが、後者は憲法上その行使は許されないことになっている、という。どのように条件をひっくり回しても、なぜそうなるかが私には分からない。やはり詭弁だと思う。

ハンチントンの最大の誤りは、今後の趨勢が経済的地域統合にあるとした後で、その統合を1930年代のブロックや、冷戦時代の東西両陣営と同じようなもの、すなわち、強固なまとまりを持ち、他に対するもの、あるいは排撃するものと考えてしまったことにある。ただしアジアに経済ブロックが出現する場合、それは中国を中心とするものであって、 日本はその独自の文明ゆえに中心になり得ないといった指摘は誠に鋭い。

中国の将来を考える時、それが民主化するのか否かを中心的な問題にする傾向が一部にありますが、 私にはそれが問題の立て方として適切だとは思われない。

理論抜きには広い世界は理解できないが、歴史抜きの理論は危険で大体のところ害をなす。

戦後処理がきちんと行われなかったことを日本の責任とする言論が昔も今も存在するけれども、それは間違っている。戦後処理は基本的に勝者の責任なので、それが行われなかったのは勝者の意見が合致しなかったからであり、彼らに責任がある。

自衛隊を強化したり海外に派遣したりしなければ日本は”平和国家”だと考えるようになった。しかしそれは先に述べたように、国際社会の仕組みによって軍事力がそう扱われないようになっているという事実を無視している。

彼ら(マルクス主義経済学者)のおかげで、京都大学の経済学部が取り返しがつかないほどの長期的打撃を受け、多数の青年たちに大損害を加えたことは、 間違いない。

そもそも我々は個人としてどのくらい自分の人生を左右できるだろうか。それにもかかわらず、自己選択をしない人間はおそらく誰よりも劣る。国として日本がそうならないことを、私は切に願う。

(ガンの発覚を受けて)俺も多少は人生の勉強してきたし、死についても考えてきた。死ぬときは森鴎外の遺言にあるように、市井の人間として静かに死にたい。

なんとか定年までは頑張れそうや。集団的自衛権の解釈についてやり残してるしな。

人気とか威信とかリーダーシップとかを国際的な舞台でも留めないことは一つの立派な見識である、と私は信ずる。

私は最近、若い研究者に対して「中国問題は21世紀前半の最大の問題だが、それは私たちの世代の問題ではなくて、君らの世代の問題だよ」とよく言う。…中国問題が現実化するのは10~15年先だが、七十歳を過ぎた人間が現に起こっている問題に適切に対処できるとは思われない。(この文章の執筆は、亡くなった年の1996年)

私は日本が好きだし、日本は悪くない国だと思っている。しかし、自分は愛国者であると自認することには、なんとなくためらいを感じる。また、私は、 自分のしていることが日本のためになって欲しいと思っている。しかし、自分は国家のために働いているのだと言いたくはない。しかも、なお自ら愛国者と名乗りたくないが、何十年か後で、人々が私のことを「彼は愛国者だ」と言ってくれたら嬉しいと思うだろう。

付録

亡くなった年に書かれた、TV「サンデープロジェクト」での共演者・大谷昭宏氏の追悼記事から。
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