産経新聞には「昭和正論座」という、いまは歴史となったあれやこれやのトピックを、当時の執筆者の新聞寄稿文の再録で振り返るというコーナーがある。高坂正堯が登場した。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090510/amr0905100831003-n1.htm
以前、提唱というか希望したのが、高坂正堯の文章から固有名詞などを抽象化し、ひとつの箴言とするという試み。
ひとつの文章があるのだから、試みにやってみよう。
「現状の固定は平和の基礎である。昔から、現状の承認なしに平和はなかった」
「相手の怒りそうなことは書かないという姿勢故に、相手の自由の欠如は、ほとんど報道されず、批判しても怒らない「寛容」な国や集団については、いくらでも批判するのは、結局は非寛容な人々の圧力に屈しているわけである。 一体、それで腹が立たないのであろうか。もしそうなら、彼らは自由の精神を真実には持っていないということであろう」
「現実の平和というレベルでは現状を承認したが、より高次の正義というレベルでは、決して現状を承認してはいない。それは自由の精神に生きる以上、当然のことであろう」