きのうの「ローキック」記事に関連してtwitterで話材に。
極真のローキックは、1964年のタイ遠征を通じてムエタイからもたらされた、という風に理解していたのだけれど、思い直したら「誰がどこでそれを語っていたか」の記憶がすっぽり抜けているので、たいへん心もとない。 https://t.co/3g5Udv9mFI
— 股丘コーイチ (@MATAOKA_Koichi) January 16, 2021
そもそも「ダメージを与えることを目的とした足への蹴り」だけでなく「中足や足の甲ではなく、臑を用いた蹴り」自体が当時の空手(極真)にはなかったという話だったと思うけど、「この本のここに書いてある」と示せないので、まあ、話半分ということで。
— 股丘コーイチ (@MATAOKA_Koichi) 2021年1月16日
いや!自分も極真vsタイ式ボクシング(当時の呼び名)で、ローキックという新しい技術が…云々をどこかで読んだ記憶だけはあるのです!だがそれ以上はもう記憶の彼方。
— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) 2021年1月16日
自分もそのあたりについて書かれた本は最近ほとんど読んでないので、だいぶ昔の記憶になってしまうんですよね。
— 股丘コーイチ (@MATAOKA_Koichi) 2021年1月16日
最近読んだ『沢村忠に真空を飛ばせた男』は、極真のタイ遠征について詳細に書かれてて、すごくおもしろかったんですが、ローキック云々については触れられてなかったと思います。
『沢村忠に真空を飛ばせた男』、極真のタイ遠征についてはいろいろと「えっ、そうだったの?」という話満載なんだけど、一番驚いたのは、野口修に話を持ちかけられたときの大山倍達の最初の一言。
— 股丘コーイチ (@MATAOKA_Koichi) 2021年1月16日
意外だったけど、いわれてみるとすごく説得力あるのよ、「たしかにそう言うかもな」って…… https://t.co/burbtp9x9C
この本は話題の「明石家さんまヒストリー」と同様、「水道橋博士のメルマ旬報」を経由して生まれた本。
対象モチーフの知名度に違いが大いにあるんだが、そういう媒体が無ければそもそも企画が実現しなかったのではないか、という点は共通している。
両方とも見事に商業出版物として市場に出た、という点でもよろこばしい。
ところで、「昭和の格闘技プロモーター」な時点で、相当に危ない橋を渡った波乱万丈のひとだろう、と決めつけるのだけど、その通りなので決めつけもなにもない(笑)
で、極真カラテ、大山倍達の記述があるのも当然と言えば当然。
なにしろ「極真鎮魂歌」でもセンセイ・オーヤマは盛大にキックボクシングをDIsっているのだ。
大山倍達、黒崎健時やキック関係者をディスる
「キックに関しては野口に騙されたようなものたよ。弟子をタイに連れて行っていい結果を出したらかなりの報酬をくれる約束だったが、黒崎があんな負け方するものたからギャラはゼロだという。黒崎はコーチで行ったのたから試合に出れば負けるのはわかっていたのに、勝手に試合に出てぶざまに負けた。それを理由に報酬ゼロと言う。そんな野口を信じられるはずないじゃないのよ。もし一緒にやるならば私が主導権を取るという約束でね、私は野口と組むことにした。そこにまた黒崎が口を出してきた。スポンサーを見つけるのが黒崎の仕事だったのに私の弟子たちを私が知らないところで引き抜いてキックの練習をやらせたりね。(略) 私のお人好しが全部裏目に出たということだね」
大山倍達、「キックの鬼」沢村忠をディスる
「私たって昔アメリカ遠征で未知のレスラーと戦ったし、力道山にも挑戦した。強い弱いは理屈じゃないんたよ。あんな沢村なんて、ちょっと寸止めの学生空手をかじったたけの男じゃないか。学生空手チャンピオンなんて売り文句は根も葉もない嘘だし、山口(剛玄)先生の道場で剛柔流の真似事をしたたけの男がなんで連戦連勝なの、何が真空飛び膝蹴りなの。みんな八百長よ。、私もタイでムエタイと戦ったり稽古もしたからわかるのよ。沢村など、日本人選手の相手をして負け役を演じているのはほとんどムエタイを知らないタイ人の留学生たちなのよ。それでもムエタイはタイの国技たから負け薬の戦士たちも本気でやったら澤村なって一発で吹き飛んでしまうよ。中村や藤平がムエタイに挑戦した時も彼らは勝ったけど黒崎は額を割られ血だらけになって負けたことを忘れちゃいけないよ。まあ黒崎が勝てる確率は、相手が誰だろうと最初からゼロたったんだが…要は強いのはタイの選手。そのタイの選手を倒す前に、沢村八百長選手を君たちに一蹴してもらいたいんたよ」
m-dojo.hatenadiary.com
こういう話に「キック側」から言いたいこともいろいろあったろうよね。
そもそも的には、
あれだけブームを巻き起こした「昭和キックボクシング」の回顧というジャンルが、プロレスや野球などと比べて非常にパイとして小さい気がして(自分も正直、昭和プロレスへの興味と比較するほどの情熱や知識はない)、そこが残念なのだが。
これは、第二次ベビーブーム、団塊ジュニア世代とこのブームが微妙にずれていることが大きいんじゃないかと思うのだけど…
ただ、だからこそこのジャンルを「開拓」する意味は大きいだろう。