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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

昭和・平成の極真会館と統一教会(~「添野義二・極真鎮魂歌」より)

なんか、タイトルだけで、書ききった感が……いやだからってとめるわけにもいくまい


もとは、参院選に絡んで同書の「大山倍達が政治に野心を燃やし、参院選出馬を模索しながら、挫折するまで」という記述を紹介しようと思って準備してたんだけど、世の中の動きを見たらテーマを変更せざるをえまい。

「……昨日まで韓国空手(テコンドー)を名乗っていた道場が、翌日には極真会の看板に変わる。ボディビルのジムが突然、極真空手の道場に変わり、空手着を着たボティビルダーが立ち方も知らず黒帯を締めている。そんなことは日常茶飯事だから、もう驚かなくなった。館長は認可料が欲しいだけだから、規定の何倍もの認可料を取る。定期的な上納金が滞れば簡単に破門にしてしまう。話は簡単だよ」
再びの沈黙。茂師範がトイレに行くと忠師範は彼の後ろ姿を眼で追いながら声を潜めた。芦原先輩は空気を読むのが早いから、茂師範の姿が見えなくなると、素早く中村師範に膝を詰めた。中村師範が言った。「館長が付き合う人間は、みんな金回りのいい韓国・朝鮮系のギャングばかり......。グレート東郷朝鮮人社会にコネがあるから、東郷に可愛がられたギャングやアメリカ各地のアンダークラウンドでのし歩く連中から金をもらって、極真の看板を売っている。要は館長も金儲け、村も金儲け。このままでは、我々がアメリカで汗を流す意味もないという結論になったのです」
「その館長の朝鮮ルートのひとつが、統一教会ですけん、茂師範は関わっとるんですかね」

素早い芦原先輩の突っ込みに、忠師範は動じることなく答えた。「もちろん関わっている。でもそれを大山茂師範は嫌っている。泰彦君も活動的な人間だけど、あえてコリアン系とは一線を画している。今は茂師範たちに疑問を持たなくてもいいと思う。いずれ考えざるを得ない時が来るかもしれないが。問題なのは館長の好き勝手なやり方なんです」
茂師範と中村師範の話は以上のようなものだった。何もかももっともだ、と私は思った。極真会館は大山館長が総本部にいて、支部は独立採算だけれど一定期間ごとに上納金を総本部に納めるという契約で成り立っている。いわばコンビニエンスストアフランチャイズ形式に似ている。支部長にとっても道場経営はボランティアでなくビジネスであることは事実だ。支部の売り上げの数パーセントを総本部に収めるという行為も当然の義務だと割り切っている。しかし大山館長は、金銭関係に細かいだけでなく異常なほど猜疑心が強かった。だから茂師範や忠師範から届く上納金の額に少なからず不信の念を抱いていたのだろう。(220,221P)

……大山茂・泰彦の父は日本名(通名)・大山高誉という朝鮮人民族活動家だった。世界基督教統一神霊協会(統一教会)を興した文鮮明の側近中の側近であり、戦後民族運動に傾倒する倍達のスポンサー的な存在だった。
(略)
統一教会を日本に持ち込んだのも高誉である。彼の紹介で倍達は、のちに統一教会の会長に就く久保木修己と知己になる。久保木は宗教家というより一流の実務家だった。倍達は久保木との交流を深めつつ、統一教会、さらには政治組織・国際勝共連合の国内活動に積極的に関与していった。倍達は明らかに統一教会勝共連合指導部、あわよくば会長への出世を目指していた。
ところが、自ら「右翼」と称し、反共を公言する笹川良一が、圧倒的な資金力と人脈を背景にして統一教会勝共連合の日本支部顧問・名誉会長の座を手にしてしまう。これを快く思わなかった倍達は、反笹川の旗幟を鮮明にし、高誉、久保木との関係はもつれていく。大山が全日本空手道連盟に加盟しなかった真の理由も、ここにある。
折しも一九六五年、統一教会は、反共の一大戦力としてアメリカ進出を果たす。その先兵のひとりが茂・泰彦兄弟の父・高誉であり、有能な高誉は次々とアメリカ政府高官との人脈を広げていった。結局、大山倍達は、兄弟が父の庇護を受けながら経済的な成功を果たすことを怖れた。茂兄弟が莫大な資金をバックにアメリカでのし上がっていくことで、極真会館内の力関係が逆転することを危惧した。それが大山の本音だった、と私は理解している。
(略)
こうして大山兄弟は極真会館を離脱していった。
ただし、これは概略でしかない。また茂兄弟の名誉のために断言しておくが、渡米以来、兄弟は父親である高誉との関係を保ちつつも、一切、統一教会勝共連合の活動には関わっていない。父親の「事業」とは一線を画し、空手家として道場経営と弟子の育成に命を懸けてきた。大山泰彦は私に対し、「君ほど鋭いマスコミの人間を見たことはない」とお世辞を言って笑いながら、「兄貴も俺も家族は大事だ。でも親の金を頼りにしたことも親の仕事に関係したことも全くない。それだけは信じて欲しい」、歯を食いしばるように話す彼の真摯さが、私の心を賞いた。そして隣では、郷田勇三が黙って頷いていた。
大山倍達極真会館は、戦後政治の闇と言ってもいい複雑な暗い影に包まれてきた。長い間、極真会館が主催する大会を後援してきた日刊紙『世界日報』の母体は、統一教会である(後略)

極真空手統一教会笹川良一勝共連合(添野義二極真鎮魂歌)

一九九二年頃だったと記憶する。私は、極真会館総本部館長室のさらに一階上にある私室で、大山とともにテレビを見ていた。昼過ぎのワイドショー。歌手の桜田淳子統一教会の「合同結婚式」に出席したという話題で番組は大騒ぎだった。私は落ち着かない想いで大山を横目で見た。すると大山は言った。「困ったねえ、統一教会も......」
きっと大山の胸には大山茂兄弟や彼らの父・高誉の姿がよぎっていたに違いない。

なんで、ただの一格闘技者の自伝で、こんなダイレクトなカルト情報が出てくるんだよ……

ただ、ここまでテーマが大きくなると注釈をつけねばならぬから言っておくと

・そもそも、同書と同書の著者の格闘技の歴史は、さまざまな論者からこれまた「それは違う」「事実に反する」とクレームや批判を受けることがある(たとえば吉田豪氏は、その強烈な批判者のひとりである)。

・その場その場の、印象的な場面での発言が、ちょっと乱れが無さ過ぎる。あまりにも整いすぎている(つまり、そのまま「生の発言通り」と考えるのはやや不自然…と個人的には感じる。)

・この本に出てくる空手家たちの統一教会周辺に関する言及は…昭和平成の時代的限界か、それとも武道家ゆえに直情径行にすぎるのか、しばしば
統一教会の問題 /それに関係を持つ個々の武道家の問題 /その武道家の「ルーツ」 /そのルーツにあたる国及び地域住民の「国民性・民族性」への極端な意見 >
が混同されて、混然一体になっている。
ハッキリ言えばその見方は、逆に最初の「団体・組織の問題」へのクレビディティ、信頼性をすら大きく損なっているように感じられる。

だが、かといっていまこの状況下で、手元に同書があって触れないのも、自分の心の中では不自然なので書いておいた……

もともと統一教会の問題については
もっと詳しい専門書も出ているとは思うけど、逆にそういう専門書にこういう話(極真幹部の愚痴や不満)が書いてあるとも思えない。


この前キックボクシングの歴史を紐解く本が、期せずしてアジア主義右翼の戦前史を掘り下げる研究になったりした。


武道やスポーツは歴史を遡れば遡るほど、軍や政治、財界などの上流階級とつながりをもっていたりする。
上の情報も、かなり古い(話題自体が昭和の時の回想だ)ものではあるが、何かの資料になれば。


【追記】よく考えたら、これとも連動していく
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