ちょうど1週間前にメモがわりのブクマをして、あとでまとめておこうと思ったんだけど、また話題になったのでこの機会に。
1957年の防衛大第1回卒業式で、吉田茂が語った有名な言葉ですね。「君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」 https://t.co/7vlooqsXZI
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2020年9月16日
こんな発言吉田茂は防大の第一回の卒業式で一切行っておりません。 https://t.co/dPt52tiVBO
— ダフネのえせ千種 (@dourakutaro2013) 2020年10月6日
その「伝・吉田茂」の言葉は、内容の賛否とは別に実際にあったのか、の事実関係に疑義があるそうです
— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) 2020年10月7日
詳しくは、さっき指摘されたダフネのえせ千種さん@dourakutaro2013 も加わる、この一連のツリーで概要がわかるかな?https://t.co/hoCctZhNqk
ぐぐったら
— 鷹 (@takatwi2) 2020年10月7日
吉田茂自身の回想録にあるが、卒業式でないことは記録から明らかで、一期生の平間洋一によると「大磯の邸宅に学生を呼び寄せた際に、自宅応接室での立ち話しの中で発せられたもの」
らしいhttps://t.co/zHos9QwYEW
今現在は、プロの図書館司書の調査でもあるし、一番詳しい資料となるか。
質問
(Question)
「自衛隊が冷遇されている時の方が国民にとっては幸せだ」という趣旨の吉田茂の名言は、何時どのような場所で発言されたのか? 前後の分脈も含め全文を読みたい。
回答
(Answer)
昭和32年(1957年)3月26日に挙行された防衛大学校の第一回卒業式での訓示だったと一般には信じられている。この時、吉田茂は元内閣総理大臣(初代防衛庁長官)として小滝彬防衛庁長官と共に来賓として招かれて出席している(資料2)。資料1の吉田の回想録にも以下の通りの記述が見つかる。・・・・・引用ここから
(前略)私も初代の防衛庁長官として、地方出張の際などは、各地方部隊の巡視検閲を行い、時に訓示も試み、努めて隊員との接触を図った。防衛大学にも数回参観に出向き、今春の第一回卒業式にも参列した。※防衛大学校第一期学生に対する訓示(要旨)
「……自衛隊が国民から歓迎されチヤホヤされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。言葉を換えれば、君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている。しっかり頼むよ」
・・・・・引用おわり
〔出典:吉田茂.回想十年:新版の p.257-258〕
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しかし隔月刊誌 『歴史通(ワック出版)』 の2011年7月号(No.13)の総力特集〔吉田茂――復興から独立へのリーダーシップ〕の中に、防衛大学第一期生で元海将補の平間洋一氏の寄稿文が見つかるが、『大磯を訪ねて知った吉田茂の背骨』と題されたこの記事には、昭和32年当時の裏話として当事者が直接体験した経緯が明かされている。これによるとお尋ねの訓示は実際には卒業式当日に発せられたものではなく、卒業アルバム制作費の肩代わりを申し出た吉田茂が平間氏(アルバム編集長)ほか防大一期生に興味をもち、2月上旬の日曜日に大磯の邸宅に学生を呼び寄せた際に、自宅応接室での立ち話しの中で発せられたものという。
ほへー じゃあ日陰者であるーってのはどこからきたんだろうなぁ
— y.y 三連休教徒 (@miz0miz0) 2020年9月30日
平間洋一がネタ元だったんですが、これまで色々疑義は出てたんですよね。
— ダフネのえせ千種 (@dourakutaro2013) 2020年9月30日
ほへー じゃあ日陰者であるーってのはどこからきたんだろうなぁ
— y.y 三連休教徒 (@miz0miz0) 2020年9月30日
平間氏が何か他のタイミングに経験した話と混ざってるという話を以前に読んだ記憶はあるのですが… この十年史によってとりあえず卒業式でないことは確認できるということで、式辞含めて興味深いです。
— y.y 三連休教徒 (@miz0miz0) 2020年9月30日
正直、平間洋一の話は途中で吉田茂邸を防大生達で表敬したという内容に変わっているのですが(ちなみに91年刊の財団法人吉田茂記念事業財団編の「人間吉田茂」だと防大からの帰り際に学生たちに語ったという話だったりします)、他の一期生の話を見ても平間と同じような回想を見かけないんですよね
— ダフネのえせ千種 (@dourakutaro2013) 2020年9月30日
なるほど…詳細にありがとうございます。オーラルヒストリーである以上は複数の当事者や資料からの検証が欠かせませんね。故人の創作なのか、多少は元ネタとなる会話がなされたのか興味はつきません。
— y.y 三連休教徒 (@miz0miz0) 2020年9月30日
正直、個人的に平間氏の研究・言論活動を見ていると創作説を採りたくなるのですが、それでも自衛隊の立場がまだまだ微妙な時代に吉田茂でなくとも関係筋がそういう考え方を披露していてもおかしくはないな、とは思います。
— ダフネのえせ千種 (@dourakutaro2013) 2020年9月30日
それが受け入れられ広まった経緯などを追えれば、時代や当事者である自衛官や国民の認識というのが滲み出てくるような気もしますね。戦後日本における軍民関係の一端が見えてくるといえばよいのか… ありがとうございました。
— y.y 三連休教徒 (@miz0miz0) 2020年9月30日
一番始末に悪いパターン、【その本人が言ったと思っていて「そう言いました」と思っていたり、そう書いた資料がある。だが、実際は「その場で」それを言ってないという資料がある】と、言うね。
m-dojo.hatenadiary.com
でな、冗談抜きでこれの解決方法は「吉田茂が言ったと言った言葉」と書くことだよ(笑) 「回想十年」で、自分がそう語ったと書いたんだから、そういうことでしょ。だが、誤植にしか見えないな、そう書くと(笑)
ちなみに「吉田茂の本当の式辞」はこれだという。
冒頭を埋め込みさせてもらい、以下はコピペした文章の、継ぎ目を修復した。
以下、防衛大学校十年史(防衛大学校編、甲陽書房)より吉田茂の防衛大学校第一回卒業式での祝辞
— ダフネのえせ千種 (@dourakutaro2013) 2020年9月30日
「防衛大学校創設の頃に関係をしたという訳で、私に卒業生諸君に対する祝辞を述べよとの意向でありますが、防衛大学校創立当時の私の気持としておりましたことは、嘗て陸軍幼年学校の創立当時の(続)」
防衛大学校創設の頃に関係をしたという訳で、私に卒業生諸君に対する祝辞を述べよとの意向でありますが、防衛大学校創立当時の私の気持としておりましたことは、嘗て陸軍幼年学校の創立当時の趣意について聞いたことであります。それは日本の軍人たる者は、少年時代から、軍人精神を吹き込んでおかなければいけないということから幼年学校を設立したという話でありました。私は軍人教育として、しかも幼年学校の如き制度を設けて少年の時代から軍人教育を吹き込むという趣意はいいでありましょうが、その教育の内容はどうであったかと疑っておったのであります。
また、従来日本の教育は、よく申すことでありますが、一高・東大などといって、秀才教育を主としておったようであります。これもどうであるか、防衛大学校創立の時には、どうかして先ず軍人精神の大事であることは勿論であるが、同時にその軍人は国民的教育といいますか、国民的精神を第一に十分体得しなければいけない。第二に、たとえ国民的精神が打ち込まれた教育であっても、その卒業した者が人間であり、人間愛を理解する人でなくてはならないと私は従来思って来たのであります。教育は如何にしても、その教育に関係せられる校長、教授その他の諸氏の人選によって、具体的に申せば、校長先生以下の人柄やその見識によらなければならないというように考えたのであります。
そこで、防衛大学校創立の時に最も重きを置きましたのは、校長先生の選任であります。私はこのような気持から、所謂官学を避けて私学というのはおかしいのでありますが、慶応義塾の小泉信三先生に御相談を致して、その推薦によって槙校長を得たのであります。
また、この言葉をもって卒業生諸君にお話したいのでありますが、自衛隊の幹部として立たれるのには、先ず軍人精神をもって立たねばならないことは当然であります。先日防衛大学校の雑誌か何かの求めに応じて、こう書いた積りであります。
第一次世界大戦の時に、パリがドイツ軍に襲われて、将に陥落せんとした際に、当時の総理大臣であったクレマンソーは、ドイツ軍を迎えて、パリの外で戦い、パリの内で戦い、パリの外で戦うと。最も勇敢に最も明瞭に、所謂敢斗精神を吹き込んだのであります。これがパリを守り得たのであります。また、第二次世界大戦の時に、大陸へ出て対抗した連合軍はドイツ軍に敗れ、30何万かがダンケルクから引き揚げたのでありますが、その時、イギリスの内閣総理大臣であったチャーチルは曰く、イギリスの外で戦い、イギリスの内で戦い、イギリスの外で戦うと、すなわちカナダに至ってまでドイツ軍とは戦争をするという敢斗精神がイギリスを救い、あるいはヨーロッパを救い、世界の平和をうちたてたのであります。この精神が、すなわち諸君の精神であると確信致します。同時にその軍人は日本の国民であって、日本を守る、日本国民を護るという精神がなければならないのであります。そして敢斗精神が現れて愛国精神になるべきなのであります。ここに防衛教育があると私は考えるのであります。更に、単に自国や自国民の利益を守るというような狭い考え方では、今日の文明国たる世界の強国の国民あるいは軍人とはいえないのであります。世界の人類のため、あるいは世界の国民の自由は勿論でありますが、進んで人類の自由までも守るという考えを持たなければならないのであります。
私は諸君が自衛隊の幹部として任務を尽くされる間に、あくまでも敢斗精神を持たれることは、軍人として必要であるが、同時に日本国を守る、日本国民を護るという精神をもって、任務に当たられんことを希望致します。更に進んで、人間として世界と人類という広い視野に立って、諸君が常に任務を遂行されんことを希望致すのであります。私は、かかる精神をもってこそ、日本の自衛隊なるものが日本の防衛が、国防なるものが完遂され得ると考えるものであります。
嘗て、北海道農学校(原文ママ)の教育を始めたクラークという先生が、去るに臨んで学生に言った言葉は「学生諸君、大志を抱け」Boys, be ambitious. というのであり、この言葉を残して北海道を去られたのであります。私はこの言葉が今日、諸君に送る(原文ママ)言葉に最もふさわしいと思うのであります。卒業生諸君が学校を出られて、任務につく場合に、私は諸君に向って(原文ママ)今申すような、大いなる志を抱けということをもって、諸君に対する祝辞とし、また送別の言葉と致したいと思います。
(防衛大学校十年史 防衛大学校編、甲陽書房 昭和四十年、43-44頁)
- 作者:防衛大学校
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